Episode 41. 神画
外宮を発つ前、僕は白狐に世話になった礼をさせて欲しいと願い出た。無論、今の非力な僕にできる事などほとんど無いだろうが、彼らの善意を当然のように受け取ることなど僕にはできなかった。
だが、案の定というか、そんな僕の申し出を白狐は断った。彼女曰く、礼は既に返されているということらしい。
一体どういうことか…?詳細を伺ったところ、白狐の主を始めとする大勢のアドミン…もとい神仏様のもとには、日々、件の事件の被害者達に対する大勢の人々の祈りが届いているらしい。現状、そのような祈りに込められたエネルギー情報を神仏様が有用な形へと変換し、その一部を僕に還元している状況であり、その代償は祈りの送り主達によって既に支払われているとのことだった。
ただし、件の事件に関しては神仏様もまた相当に心を痛められているらしく、助力の中には神仏様の自ずからの善意も多分に含まれているのだそうだ。言葉に尽くし難い感情が涙となって込み上げてきた。
「もし、貴方がそのような想いに報いたいと言うのであれば、先ずは貴方の行くべき場所に早く向かいなさい。既に理解しているでしょうが、これ以上、此岸を学習環境として選択し続けることは正直お勧めしません。調子に乗って留まり続ければ、最悪こちらの世界でもアバターが破壊されて貴重な学習の機会を失う羽目になりますよ?」
確かに…二度も早死にするなんて洒落にならないよな…。もし仮に、そんな悲惨な事になれば僕一人の心身の問題に収まらないことも知っている。僕を思ってくれる方々に対して、恩を仇で返すような真似はもうしたくない。
だが、情けないことに、僕はまだ自分の中の複雑な思いを整理しきれていない…。怒り、悲しみ、後悔、絶望、罪悪感…様々な負の感情が呪いとなり、僕を此岸に縛り付けているようにも思えた。今の僕は、俗に言う未成仏霊というやつなのだろう。
内面の整理は僕にとっての喫緊の課題と言えるが、最近、様々な情報に触れたことで大切な何かが掴めそうな気がしている。自分という存在、立ち位置、生きる意味が明確化され始めたというかなんというか…少しずつ五里霧中の状態から抜け出しつつあるように感じていた。
「こんな僕の事を思ってくださり、ありがとうございます」
皆から送られてくる温かな想いのエネルギーはこちらの世界に来てからずっと感じていたし、実際、そのような想いに込められたエネルギー情報でもって心身共に救われてきた。地獄のどん底でも僕が今までやってこれたのは皆の思いやりがあったからだ。
だからこそ、皆に恩返しがしたい。与えられた慈悲に対する形式的な虚礼や、見返りを前提とした自己満足のための偽善などではなく、僕自身がそうしてもらったように純粋に相手に喜んでもらえるような思いやりを返したいと強く思った。
とは言え、手持ち部沙汰な自分に一体何ができるというのか…。
試案を巡らせた結果、僕は客間のテーブル上に適当なサイズのキャンバスとデジタルイラスト用のタッチペンをイメージでもって召喚してみた。こちらの世界に来て初の術式だったが、意外と上手くいった。ついでに、僕が生前愛用していた某グラフィックソフトウェアのインターフェースと描画機能も再現可能か試してみた。良い感じだ。
これなら、いける。
「な、何をなさっているのですか…?」
「自分にできることがこれ以外に思い浮かばなかったので…。少々お時間をください」
僕は、一心不乱に目の前の白狐の神画ならぬイラストを描き始めた。これでも、生前には動画制作の過程でイラストを描く業務を多々こなしていた。背景画はめちゃくちゃ苦手だったがキャラ絵の早描きには多少自信がある。推しのVTuberを被写体にしたワンドロをSNSに上げまくっていたあの頃が懐かしい…。
当時、人気絵師とまではいかなかったが、有難いことに自分の描いた拙いイラストをいつも褒めてくれるファンが何人かいた。自分が投稿した絵が推しにピックアップされて奇跡的にバズった日にはもう嬉しくて、疎遠になってた朝霧にまで連絡して自慢したっけか…。まぁ、ネット界隈に疎かったあいつにとっては何のこっちゃ全くわからなかっただろうが。
懐かしい過去に思いを馳せながら、タッチペンを走らせる。
「こ、これはもしや…私の絵を描いてくださっているのですか?!」
僕の意図に気付いた白狐が、文字通り目をキラキラと輝かせながら興味深そうに僕の作業を覗き込んできた。こういうのは嫌じゃないかと聞いたところ、嫌じゃない、寧ろとても嬉しい。ファンアートは久しぶりだとの返答があった。過去に彼女のファンアートを描いた絵師がいたのだろうか…?
陽皇国では、古来より神様に対して絵画や彫像、工芸品等を神社に奉納する風習があった。白狐曰く、神仏等の精霊アバターは人間のような定型を持たず個としての概念も物質世界の生物と比較して希薄であるため、人間側から特別なイメージ情報を付与されることで個としてのアイデンティティの具現化が促されるらしい。
また、そのような作品が人界と神仏様を結ぶ窓口としての機能を持つ場合もあるのだという。何でも、人間は具体的にイメージし易い対象であるほど、対象に対して特異的かつ正確に祈りのエネルギーを届けられるようになるらしい。世界には偶像崇拝を良しとしない宗教もいくつか存在するが、実際には偶像を介した方が祈りの効率は格段に向上するということだ。
神仏様にイメージを付与する行為は、情報世界で言うところのIDを付与することに等しい意味を持つのかもしれない。おそらくは神事に限らず、仏像や仏画、曼荼羅等にも同じことが言えるんじゃないだろうか。そう考えると、何だかいつにも増して緊張してきた。
「もし宜しければ、銀製のアクセサリーもデザインして欲しいのですが…」
作業中、白狐が横から自分好みのデザインを色々と伝えてきた。彼女は何故か最近のネット界隈の事情に精通しており、アニメやゲームのキャラに例えながらイメージを伝えてきた。話の馬が合ったせいか僕もつい調子に乗ってしまい、最終的には1作品には収まらず2作品のイラストを描き上げた。
一つは、現在の彼女の姿である正統派の巫女装束姿をベースに、ケモ耳・種々の細工を付与したデザインの作品。個人的にはモフモフの尻尾を描き加えたかったところだが、白狐には何故か尻尾が無いらしいので諦めた。もう一つは、完全に僕と白狐の二人の趣味が融合したような、メイド風の衣装をベースにしたデザインの作品だ。
完成したイラストを手渡すと「ありがとうございます!後生大事にしますね!!」と、誰が見ても嬉しそうに見える好反応が返ってきた。喜んでもらえたことはもちろん嬉しかったが、何より相手が満足できるクオリティの絵を奉納できたことにプロとして心底安心した。
こんなに喜んでくれるのなら、生前にも神仏画を沢山描き残しておけばよかったな…。今からでも間に合うのなら、白狐の主を始めとして御世話になった神仏様にも僕の絵を奉納させてほしい…。
「良いですね。貴方らしい試みだと思いますよ。こちらの世界では、絵師がイメージに込めたエネルギー情報は具現化しやすいので、絵師の思いの乗った作品であれば絵に描いた餅であっても本物の餅に成り得ます。例えばこのように…」
白狐はそう言うと、僕がデザインしたメイド風のドレスに一瞬でチェンジした。衣装やアクセサリーの細部まで忠実に再現されている。一瞬見惚れて我に返り、自分の描いた絵にそんな力が宿っていることに自分で驚愕した。こんな僕でも皆の役に立てることがようやく一つ見つかったような気がした。
「今年のコミケはこの衣装で参加させて頂きますね♪」
なるほど…同族だったか。
僕の中で白狐の好感度が爆上がりした瞬間だった。