Episode 39. 強襲
部屋を出たのはいいが、どちらに行けばよいのか分からない。僕が居た部屋は社殿の中庭に面していた様で、左右に長い回廊が続いている。白狐がどちらに歩いて行ったのか定かではなかったが、とりあえず関係者を探して左側の回廊を駆ける。俗に言うクラ〇カ理論というやつだ。
途中、中庭の開けた空から黒いモヤを纏った巨大な異形が遠方で蠢いているのが見えた。
「なんだよあれ…」思わず足を止めて立ち尽くす。
「叛逆者…もしくは略奪者、悪霊といったところでしょうか?」
声の主は白狐だった。叛逆者…略奪者…悪霊…どれもよく分からないが、わざわざアドミンの拠点を狙って攻めてくるような輩だ。相当ヤバい存在であることは間違いない。
「明らかにヤバい状況じゃないですか…ここにいて本当に大丈夫なんですか?!」
「まぁ落ち着いてください。アレは私達の拠点エリアに張り巡らされたセキュリティフィルター…防御結界を突破できるほどの情報処理能力を有していません。我々としても、このようなことは日常茶飯事ですのでどうぞご心配なく。それでも気になるのであれば、事態が収束するまで一緒にご覧になりますか?」
日常茶飯事…どうやら彼女達はこの類のトラブルシュートに相当慣れているらしい…。白狐の言葉を疑う訳ではないのだが、この恐ろしい爆音…部屋に戻ったところで落ち着いてはいられない。白狐の傍らで危険物を注視していた方がまだ安心できると思った。
僕が頷くと、不意に白狐はターゲットに向かって両手の親指と人差し指で四角い枠を作り、ターゲットをトリミングするかような仕草を取った。瞬間、中庭からターゲットまでの間に存在する建造物の遮蔽がシースルー化され、さらに複数の近距離モニターが中庭に出現した。
「少しは見やすくなりましたか?」
「すっげぇ…」
魔法のような壮大なエフェクトを目の当たりにして、僕は素直に感動していた。職業柄というか趣味というか…この手のものをガチ目線で見てしまうのは僕の悪い癖だ。これほどのリアリティは実写映画やVRでも味わえないだろう。僕が好きだったVRMMOアニメの主人公達も、こんな気持ちを味わっていたのかもしれない…。こんなものを見せられては流石に今後の激しいバトル展開を期待せざるをえない。
我に返り、開けた視野で改めて戦況を観察する。ターゲットは大小合わせて十数体程。意外と数がいたことに驚いた。一方、強大過ぎる化け物達に対峙していたのは…なんとたった一人…華奢な背格好をした巫女だった。
(同じ衣装を纏っているせいか、何となく白狐に似ている気がする…)
本当に彼女一人であの化け物達を相手にしているのだろうか…?アニメ的にはベタなシチュエーションだが、無双系の展開を期待せざるを得ない状況だ。ただ、現実にこれを目の当たりにすると流石に不安にもなる…。相手が単騎で倒せるほどの弱者だとは到底思えなかった。
先の白狐の話によると、内部アドミンはアドミンであると同時に、精霊アバターを付与されてこの世界の理の中で生かされている…云わば「生命体的な存在」でもある。完全無敵な存在ではない以上、彼女がどれほど強者だとしても下手を打てば死ぬ…。
「ご安心ください。あれはコマンドを用いて作り出した私のコピー…分霊になります。分霊については既にご存知のことも多いかと思いますので、当該仮想情報空間における術式…神術について少し補足しましょうか」
なるほど…。情報世界では、自分のコピー体を容易に作り出せる。リスクを負って本体が直接出向く必要なないのだ。僕の心配は杞憂に終わった。
コピー体や分霊という言葉は、僕自身、どこまで正確に理解しているのか分からないが、少なくともこの情報世界を理解するための最重要キーワードであるということは理解している。
Xは、自分自身のコピーを元に膨大な数の個性を作り出した。各個性はシステム内でユニット毎に管理され、当該ユニット内では個性がさらに細分化され、尚且つコピーされて効率的にディープラーニングが進められている。
ややこしい話だが、僕という存在は、おそらくユニット内で細分化された個性の一つであり、尚且つ僕というオリジナルのコピー体である可能性が高い。白狐が今まさにそうしているように、本体が精神崩壊リスクの高い学習環境に直接乗り込んでくるとは正直考えにくい。
フォックスやリサ、朝霧のオリジナル体も示唆していたように、オリジナルの僕は複数のコピー体を作り出し、平行世界で同時並行にディープラーニングを進めている。
最終的には、各個性の経験値がオリジナルに統合される。ユニット内に包含される各々の個性が成熟し、調和し、ユニット全体として成熟した先には、Xの思考経路の一端を担う合議体の一員として活用されるようになる…。
細かく言えば、僕自身のドッペルも含まれるのだろうが…大体そんなところだろうか。
「私達アドミンが用いる神術は、大きく二パターンにカテゴライズすることができます。一つは、当該仮想情報空間に元から埋め込まれている既存のプログラムの効果を所謂コマンドを介して発動する形式のもの。例えるなら、ワールドに標準仕様として備わっている魔法プログラムを詠唱によって発動するようなものです。もう一つは、当該仮想情報空間に存在しない新たなプログラムを構築したり、当該仮想情報空間の標準設定を改変することで目的の効果を発動する形式のもの。こちらは、自分にとって都合の良い効果をメイキングできるので、多くの場合、前者と比較して強力かつ大規模な術式になりがちです。ただし、外部アドミンによる影響範囲の精査や補正処理、承認手続きが必要になるため、効果の発動までに相応のタイムラグが発生します。また、高度な情報処理能力や膨大なエネルギーを消費する等々の難点もあります」
強力な魔法ほどMP消費が膨大になり詠唱時間も長くなる、みたいな話だな…。RPGにありがちな設定が現実にも当てはまるという点が非常に興味深い。何より、当該仮想情報空間の標準設定まで弄れるのはヤバい…神がかり的に強すぎる。そんなカードがあるのなら、彼女が単騎で敵を出迎えたことも頷ける。
そのような話をしている傍ら、再び戦況が動く。
ズシンという地響きと共に先頭にいた巨体の化け物が白狐を踏み潰した。僕は狼狽えた。目視できる限りにおいて、化け物の攻撃は確実に無防備な白狐にヒットしたように見受けられたからだ。しかし、巨体がゆっくりと足を持ち上げると、白狐は先程と何ら変わりない様子で微動だにせず佇んでいた。
全くの無傷…その違和感に化け物は首をかしげながらも何度か攻撃を試みる。更には仲間達の加勢が徐々に加わり、白狐一人に対して総攻撃が始まった。しかし、彼らの努力も虚しく、結果は何も変わらなかった。
攻撃を回避しているようには見えないし、ガードやパリイで攻撃を無効化しているようにも見えない。攻撃範囲に入っているのに攻撃がヒットしない。攻撃が白狐の体をすり抜けているような感じがする…。
「そのとおり。あれは外部アドミンへのオーダーを介して発動する設定改変タイプの神術になります。今回は、ターゲットアバターのコリジョン設定を一部OFFにすることで、精霊アバターに対する当たり判定を消しました。つまり、当該仮想情報空間においてターゲットは私と全く触れ合うことができない状態ということです。ご期待を裏切ってしまったかもしれませんが、既に勝敗は決していますのでご安心を」
当たり判定を無くす…?…嘘だろ。なんて…なんて映えない魔法なんだ…。子供心を裏切られたショックで僕は思わず頭を抱えた。不謹慎なのはわかっている。期待していた自分が恥ずかしい…。それでも…それでも激しいバトル展開が見たかった…。
冷静に考えると当然の結末だ。アドミンがチーターと同じ土俵で戦う必要がどこにあるというのか…。そんな商業主義的な面白シチュエーションが拝めるのはアニメの世界だけだろう。俺は馬鹿か…。
相手はおそらく、当該仮想情報空間の中で自分が泳がされていることも、アドミンの絶対的優位性にも気付いていないんじゃないだろうか。そもそも、ここが情報世界ということすら気付いていないかもしれない。
死後世界が存在すると解って尚、この世界の物理の不自然さに何の疑念も抱かない者などザラにいるだろう。与えられたチャンスの中で真理に気付けなかった者達の末路を見た気がした。
突如、化け物達が一斉に黒い霧となって霧散する。
「は?!消えた…?」
「逃走しましたね。これも分霊術の応用になります。自身を細分化して的を絞らせないように逃走を図る方法は悪霊がよく使う常套手段です。まぁ、私達からは絶対に逃げられませんが」
そういえば、彼の有名な伝説的剣劇アニメでは、ラスボスが自分の体を細分化して逃走を図っていた。悪い奴らが考えることは皆同じだな…。歴代アニメの中でも特に厄介極まりない奴だったが、連中もいい勝負をしている。粒子化して散り散りに逃げた相手を一体どうやって捕縛するというのだろうか…。
僕の杞憂を他所に、白狐のコピー体は自らの掌の上に小さな半透明の球体を作り出した。注目していると、半透明だった球体が少しずつ黒色へと染まっていき、最後には漆黒の球体が完成した。
「結界術を応用して作り上げた球体の中にターゲットを強制転移して閉じ込めました。ついでに、今回の強襲に参加していなかった本体や分霊も含めて結界内に回収しています。あとは最後になりますが、彼らのエネルギー情報を抜き取り、外部アドミンの元に強制送還して作業終了になります。お疲れ様でした」
まさに怒涛の幕引きだった。
白虎に促されるまま部屋に戻り、何事も無かったかのように温かいお茶を啜る。
いやぁ…あんな巨体だったのに意外とコンパクトに収まるものなんだな…。
いや、そんなことは重要じゃないだろ。
我に返り、考察ポイントを整理する。
何より気になるのは、もし、白狐がその気なら相手は初手から何もさせてもらえなかったんじゃないか…?もっと省エネで瞬時に鎮圧できていたはずだ。にもかかわらず、僕が観戦を始める前から相手は爆音を響かせていた。
相手は行動選択の自由を与えられていたということ。それは何故か?大魔法発動までのタイムラグ待ちだったため?アドミンの力を公然と見せつけるため?相手を厳罰に処すための大義を得るため?それとも、単純に相手の自由意志による選択を促すため?
相手の行動原理、死後世界の実情、処罰のシステム等々も非常に気になるところが、悪霊を敢えて泳がせるアドミン側の行動原理も気になるところだった。僕は抱えきれない諸々の疑問を白狐に再び問うた。