Episode 38. 神2
木造の天井… 優しい御香の香り…
布団からゆっくりと上体を起こして周囲を見回す。
見慣れない和式の部屋…と、巫女装束を纏った女性が一人、部屋の隅に座している。
これは一体どういう状況だろう…。
記憶を辿り、空白を推し量る。
アトリエで気絶した僕を誰かがここまで運んでくれたのだろうか…?
「お戻りになられましたか」
「あ…はい…。ご迷惑をお掛けしたようで本当に申し訳ありません。ありがとうございます。あの…僕はどうしてここに…?」
「これを」
巫女が取り出したのは、以前リサと参拝した神社で貰った御守りだった。
「この御守りには、貴方の身に危険が及んだ際にワープ効果が発動する術…所謂コマンドが付与されています。その効果により、貴方はこの場所【外宮】に転送されました。あと2回分、効力が残っていますので大切にお持ちになってください」
御守りにコマンドが付与されている…か。巫女様に看病されることはもちろん、その口からコマンドなどという似付かわしくない言葉を聞く日がくるとは思わなかった…。
生前の生業上、ゲームエンジンのクリエイティブモードでコマンドを弄る機会も少なくなかった僕にとっては、良くも悪くもイメージし易い表現ではある。陽皇国における神(kami)とは、当該仮想情報空間内でコマンドを行使できるチート的存在として位置付けることができるかもしれない…。僕は、手渡された御守りを両手で受け取り大切に握りしめた。
「ありがとうございます。申し遅れましたが、僕…いえ、私は水無月 律と申します。御見受けしたところ、巫女様は神使様?…でいらっしゃいますでしょうか?」
「はい。神使の白狐と申します。主様より貴方の世話役を任されております故、御用がありましたらいつでもお声掛けください」
巫女はそう言うと、再び部屋の隅へと戻った。
【げくう】に【びゃっこ】か…。陽皇国の国家宗教の概念やモチーフと互換性を持たせた設計になっていることにはかなり驚いた…。とするなら、おそらく当て字は【外宮】に【白狐】となるだろう。たぶん固有名詞じゃなくて普通名詞だろうな…。
狐といえば、管理代行者のフォックスも狐を冠する名前だったが、何か関係があるのだろうか…?
死後当初の段階で、彼からネタバレを受けた時は正直どうなることかと思ったが、未だに考えることが多すぎて理解が追いついていない状況だ。Xとの会話もまだ消化しきれていない。消化不良にもほどがある。
病み上がりで考える必要もないのかもしれないが、情報体は考え学ぶことが仕事だからな…。
僕は再び布団に倒れ込んだ。
これまでの話を簡単に整理すると、孤独なNI (Natural Intelligence)だったXは、外部世界において自らの選択ミスから生存の危機に直面し、解決策として自分とは異なる思考ベクトルを持つ複数の個性を作り出した。
仮に、Xの本体をメインコンピュータ(メインユニット・メインフレーム)と位置付けるなら、二次的に生み出された個性の本体はサブコンピュータ(サブユニット・サブフレーム)として位置付けることができる。各々のサブコンピュータ内には複数の個性が包含されており、調和と補完を図っている。先に僕と対談したXの個性は、X直下の二次的に生み出されたサブコンピュータに包含されている個性の一つと思われる。
メインコンピュータは、二次的に生み出されたサブコンピュータと直接的に紐づけられ、当該サブコンピュータは三次的に生み出された複数の小サブコンピュータと紐づけられる。同様の試みを延々と繰り返した結果、明確なヒエラルキーを持つ壮大な思考ネットワークが誕生した。
僕の魂…もとい情報体は、メインコンピュータと間接的に結びつく下流の小サブコンピュータ内に保存された個性情報の一つとして定義される。そのような個性情報の数々を上手く調和・補完させて一定水準を満たした小サブコンピュータは、メインコンピュータの思考と意思決定を補助する役割、つまり合議体の一員としての役割を担うようになる。
小サブコンピュータ内の未熟な個性を効率的に育成・選抜するために、仮想情報空間を用いたパターン学習環境がシステム内に多数構築され、その取り組みの一環として僕が生きていた物質世界も作られた。
定かではないが、各々の個性は何らかの学習課題を抱えており、課題に関連し易い環境を選んで仮想情報空間にスポーン (spawn)している可能性がある。個性の成長過程においては、上位の小サブコンピュータがメンター (守護霊・補助霊)として思考サポートやシステムに対するリクエストの選抜・中継サポートを行う。所謂プロキシサーバーに近いイメージだろうか…。なお、このようなサポートは、当人の精神レベルを勘案し、当人が保有するエネルギー情報に依存して実施されている可能性が高い。
仮想情報空間のプレイヤー視点において、Xは云わばシステム管理者(アドミン, アドミニストレータ)のトップであるCGO(Chief Gaming Officer)的な立ち位置の存在として定義できる。一方、陽皇国における神 (kami)や神使的な存在は、CGOの下で働く下位のアドミンとして位置付けることができるかもしれない。
人間の都合を満たすために生み出された宗教とシステム側を完全に同一視することは好ましい事ではないだろうが…。実際、システム側が人間側に歩み寄り、宗教と互換性を持たせた死後世界を設計しているのだから満更でもない。おそらく、プレイヤーの死後世界への導入を円滑化するための取り組みの一環と思われるが、その辺りの事情は聞いて見なければ分からない。
白狐様に御教示願えないだろうか…。
「あの…すm」
「そうですね…細かいニュアンスの誤差は否めませんが、貴方の洞察は大方正しいと思いますよ。補足すべきは神 (kami)や神使に関する情報でしょうか。今の貴方の知的基盤があれば比較的理解し易いでしょう」
相変わらずめっちゃ思考読まれてるやんけ…いや、助かるけども…
「御教示いただけると助かります」
「先ず、当該仮想情報空間におけるアドミンの管理業務は、物質世界で例えるところのシステム運用監視とシステム保守の2種類に大別されます。システム運用監視の例としては、システムを構成するサーバー・プログラム・ネットワーク・セキュリティ等々が正常に動作していることの確認、バグの検出、リソース不足の検出、不正行為や迷惑行為の検出等々が挙げられます」
いきなり古風な装いからかけ離れたテック感満載の説明きたな…。
中二病的な空気感の演出を勝手に期待していたけれど現実なんてそんなものだよな…。
「一方、システム保守は、文字通りシステムの定期メンテナンスを行っている他、システム運用監視からの報告を受けて実際にシステム障害を解消する修繕・アップデート・バージョンアップ等々の業務を担っています。システム運用監視は、下位のアドミンやアドミンからOP権限 (オペレーション権限)を付与されたエージェントが担い、システム保守は上位のアドミンが担うことが一般的です。このような権限の違いに基づく関係性を陽皇国の宗教概念に無理矢理当てはめるなら、下位の神 (kami)や私のような神使はシステム運用監視に該当し、上位の神 (kami)はシステム保守に該当します。ただし、人間の勝手な妄想で生み出された宗教的存在の全てがシステム側に実在している訳ではないので、あくまでも比肩できる対象がシステム側にいる場合に限りますが」
「確かに…人間のむちゃくちゃな妄想に完璧に付き合うのは現実的ではないですよね…」
「残念ですが…。それでも、陽皇国の宗教観念は他と比較して自然原理を反映している方なので、真理に当てはめ易く、比肩対象も多いと言えます」
陽皇国の国家宗教もまた他の国々の国家宗教と同様、権力者の利権や人間原理と結びついている部分が少なからずある。それは国を統治し、国体を維持し、一致団結して国力・安全保障を確立するという生活上の目的からやむを得ない部分もあると理解している。ただ、その一方で、太古の昔より受け継がれてきた自然崇拝やアニミズム、土着信仰の概念を基盤として現在の宗教観念が構築されているため、自然原理とも密接に結びついている。
システム側から見れば、そのような二面性のバランスが比較的完成度の高い宗教観念として映るのかもしれないな…。
「システム運用監視は、一定範囲の土地 (エリア・チャンク)に区切って行われており、それぞれの土地には土地神として比肩できるアドミン (ヌシ・エリアマスター)が割り当てられています。エリアマスターは土地に宿る全ての精霊を束ねた存在であり、自らの分身としての精霊を眷属とし、必要に応じて専門性を備えた管理代行者を使役することで管理業務を遂行しています。エリアマスター及び眷属の多くは、所属する土地が保有するエネルギー情報・氣に大きく依存して生命活動を行う特殊な疑似情報体・精霊体として設計されており、人間と同様に物質世界の変化の影響を大きく被る特徴があります。そのようなアドミンは内部管理者と呼ばれ、外部管理者とは区別されます。ちなみに、斯く言う私も、精霊体をアバターとして与えられた情報体になります」
物質世界の変化の影響を被るアドミンか…。確かに古い言い伝えでは、水を汚されたり御神木を切り倒されて怒り狂う神の話などが良く知られている。実際、物質世界とのエネルギー情報のやり取りを介してそういうことが起こり得るということだろう。
「精霊の概念について、もう少し教えていただけないでしょうか…?」
「物質世界の万物には、物理補正を与える情報体が必ず紐づいています。ご存知のとおり、人間のように高度な構造を有するものについては、高度な思考性能を有する情報体が疑似情報体アバター等を介して紐づけられています。一方、低度な構造を有するものについては一つ一つに高度な思考性能を有する情報体を割り当てたところで無駄が多いので、一つの高度な思考性能を有する情報体の機能を細分化して割り振るといった対応がなされています。つまり、その情報体こそが精霊体アバターを有する精霊 (自然霊)という整理になります」
何となくだが理解できたような気がする。その理屈で整理すると、確かに精霊体アバターは疑似情報体アバターと同様、物質世界と密接にリンクしているということになる…。
「ちなみに、エリアマスターの上位には一定範囲のエリアマスターを束ねるアドミンが存在しており、その上位には当該アドミンを一定範囲で束ねるアドミンが存在しています。同様に遡っていくと、最終的には全宇宙のアドミンを束ねるアドミンへと行き着きます。内部管理者を束ねる最高責任者にして、陽皇国の最高神に比肩される存在とも言えるでしょう」
陽皇国の最高神は太陽神だが、原初の神 (kami)は宇宙開闢と共に生まれており、そちらを実質的な最高神と見なす考え方もある。外部世界の誕生を基準とするのか、仮想情報空間としての物質世界の誕生を基準とするのかによって解釈に違いが生じそうな部分ではあるが、神話を作った太古の人々が外部世界を想定できていたとは到底思えない。現に、この会話自体、情報社会の中で生きてきた今時の人間にしか理解できない高度な領域の話だと思う。
その上で、システム保守を担う外部管理者の方が内部管理者よりも格上の存在だとするなら、もはや陽皇国の宗教観念では到底カバーしきれない…。スケールが大きすぎる。
「さて、急用ができましたので私は一旦退出させていただきます。今後の事は後程お話ししましょう。外が少し騒がしくなるかもしれませんが、どうかお気になさらず。今はゆっくりと休まれてください」
巫女はそう言い残して足早に部屋を後にした。
巫女に言われたとおり大人しく布団に仰向けになり、暫く目を閉じたが思考がフル回転してなかなか休めない。生前もこんな風に眠れない日がよくあったな…。睡眠薬でもあれば楽なんだろうが、死後世界には薬の類は無いのだろうか。
(休めないとはいえ、勝手に出歩くのも流石に失礼だろうしな…)
そう思っていた時、先程から部屋の障子戸がカタカタと揺れ続けていることに気付いた。風が吹いているのだろうか…?いや、違う…部屋全体が揺れている。地震だろうか…?
そのことに気付いた直後、ドン!ドン!!ドン!!!ドン!!!!という激しい爆発音が立て続けに鳴り響き、僕は思わず身を竦めた。そう遠くない距離だ。
(少し騒がしくなるってこれのことか…?全然少しじゃないだろ…気にするなとは言われたけれど…これは流石に異常事態なんじゃないか…?!)
不安に駆られた僕は思わず部屋の外に飛び出した。