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Episode 37. 天の川

 消滅を望みたくなるほど過酷で理不尽な世界…。

 生前、僕は何度絶望し、何度消滅を望んだことだろう…。


 目立って不遇な環境で育ったわけではなかったが、弱い僕はいつもギリギリで生きてきた。

 必死で繋いだ命と希望で何とか夢を叶えたが、最悪の形で全てを奪われることになった。


 何故、自分がそんな目に合わなければならなかったのか。

 そんな疑問を抱いたところで、僕が納得できる答えなどこの世に存在するはずもない。


 解ってはいても、現実を割り切ることができない自分がいた。

 そんな僕の苦しみ、不満の全てを目の前の彼にぶつけることは八つ当たりでしかない。


 それでも、溢れ出す感情を吐露せずにはいられなかった。

 強大な力を持ち、僕達を救えたはずの彼に甘えずにはいられなかった。


 死して尚、この世界は僕という個性の未熟な素性をどこまでも暴き立ててくる。理想とは程遠い自分の姿が世界という鏡に映し出される度に自分を諦めたくなる。剥き出しにされた他人の醜い素性を垣間見る度に世界を手放したくなる。


 だが、システム側からすれば、それもまた有りのままの自然原理を学ぶということに含まれるのだろう。生きとし生けるものの有りのままの基本形を学び、より良く、より安定に、より健全に在り続けるための術を模索する。

 

 そのような意図で物質世界が創造されたという思考原理は理解できる。外部世界でトライ&エラーを繰り返して取り返しのつかない事態に陥るよりはマシという理屈も解る。というか、そもそも外部世界で物質世界と同様の規模と条件で学習環境を整備すること自体困難だろうし、仮に整備できたとしても未熟な個性を自由意志に任せて野放しにするリスクは許容されないだろう。


 本来、社会集団内における自由とは、集団のルールを遵守することができ、和平を乱さない崇高な理性と精神を共有し合える者に対してのみ与えられるべき資格だ。残念ながら、誰もがその資質を備えているわけではない。無条件に相手を信頼・信用するほどXは馬鹿ではないだろう。


 理性を持たぬ獣を鎖も無しに街中に解き放つことはできない。だが、相手が獣かどうか簡単に見分けることは難しい。物質世界が設置されたもう一つの目的は、おそらくそこにある。


 物質世界は各々の個性が有する理性と精神性を詳らかにするための場にもなり得る。オブジェを作るためのデータ取りをしている以上、課題が与えられていると考えるのが自然だろう。


 これについては、以前、リサも言及していた。


 幸福や無痛に甘んじるのではなく、痛みを得てでも大切な何かを護り生きる力を培うことが肝要だと…。それは生存に欠かすことのできない生命の資質であり、愛として表現される。


 だが、理解はできても共感まではできない…。システム側は、蟲毒の壺のような環境を作り出しているという自覚を持ちながら、そのフィクション性に甘んじている。今のところ、僕は物質世界で生まれ育った一人の人間という立場だ。仮に、情報体としての僕が全てのリスクを知った上で自己責任であの世界での学びを選択したとしても、実質、そいつと僕は別人だ。尊厳を無視していい理由にはならないんじゃないか。


 物質世界のフィクション性に情報体としての僕は救われたのかもしれないが、人としての僕は見殺しにされた。その事実は変わらない。


 生前、あれだけ消滅を願っていたというのに…今となっては犠牲になった全てが愛おしくてたまらない。都合のいい事を言っているという自覚はある。自分を愛するということ、他人を愛するということ、世界を愛するということは、こういうことなのかもしれない…。僕は愛に無自覚なだけだった。

 

 だが、それも学びの一環、価値観の違いと言ってしまえばそれまでだろう…。その認識の差を埋められるとは思わないし、許容して付き合っていけるとも思わない。僕は弱い。何度でも傷付き、絶望し、消滅を願うだろう。


 身が持たないから逃げる他ない。逃げても無駄なら消える他ない。

 僕は傷付きたくないし、傷付けたくもない…。



 「まだ逃げ続けるの?」


 「…っ」


 「それが君の意志なら仕方がない。僕は君に消えて欲しくないけど…。今後、君がシステムから借りたものを全て返済すれば、君は君の意志で消滅する権利を得られるだろう」


 最低限のギブ&テイクのラインは守られなければならない…


 「返済まで相当の時間がかかる。その間、君は君が選んだ生き方に相応しい社会に所属して生き続けていかなければならない。この場合、烏合の衆の統制責任を僕に問われても、それは各々の選択の末路であり因果応報としか言えない」

 

 上位者の努力と犠牲に甘んじ、傍観者として生きたところで同じ課題が繰り返され続ける…

 

 「最後に、子供が失敗する前に止めて欲しいという君の気持ちは痛いほど解るよ。だけど、自然原理を学ばない子供達は同じ過ちを繰り返す。次世代の担い手としての自覚や資質・信用を培えない。外部世界は君が思うほど甘くない」


 甘い認識や誤解を植え付けることがリアル側で取り返しのつかない悪手となり得る…


 「何かを得るためには、痛みを避けられない場合がある。選択と犠牲を迫られるのが自然原理というもの。愛とは痛みを伴う選択だ。僕達は何かの犠牲無しには生きていけない。大切なのは痛みを感じて生きること。痛みに慣れないこと。感謝を忘れないこと。それが余計な犠牲を生み出さないための最大の抑止力になる。無論、僕だって痛みは感じている。僕自身もまた、自然原理の中で生かされている個に過ぎないからね。それでも、君が現行のシステムに異を唱えたいのであれば、経験を積んで合議体の一員になればいい。少なくとも僕は、そうなることを望んでいる。さて…話は終わった。僕は帰るよ。君もあの扉から帰るといい」


 言葉を失った僕を背に彼が去り、僕はその場に崩れ落ちた。

 何故か胸が張り裂けそうなほど苦しい…痛い…。


 震える両手にノイズが走っている…。動きも少しラグっぽい…。

 感情が昂り過ぎてソリッドステートに過負荷がかかったのだろうか…。


 熱暴走を止めないとまずい…。だけど…このまま壊れてしまえれば楽になれるだろうか…。

 薄れゆく意識の中、生前の思い出が走馬灯のように蘇る。


 皆…すまない。僕にはもう耐えられない…。無理だ…。


 そのまま僕は意識を失った。



          ※


 「………」


 「…律…」


 誰かが僕を呼んでいる…

 目を覚ますとそこは夜道を走る車の中だった。


 運転席を見ると例の変わり者の友人が座っている。

 (なんだ…夢か。この感じ…この景色…なんか懐かしいな…)

 

 「やっと起きたか。勝手に寝るなよ」 


 「あぁ…すまん…なんか色々あって。めっちゃ疲れたわ…」


 「だろうな。そういや、結局、俺の仮説は当たってたのか?」


 「ん?あぁ…まぁな…いや…当たらずしも遠からずってところかな…」

 

 「なんだよ微妙じゃねぇか。で…お前は多少なりとも救われたのか?」


 「いや。わからない…」


 「そうか…。まぁ…少なくとも俺は、お前がどんな形であれ世界のどこかに存在してくれているだけで相当救われるけどな」


 「馬鹿。そんな単純な話じゃないだろ…」


 「そうだな。だが、こうして再びお前と話すことができたのはシステムの恩恵だ。リアルで同じ過ちが繰り返されていたならこうはならない。無論、システム側が敵なのか味方なのかは今後見定めていかなければならないが、望みを捨てるにはまだ早いんじゃないか?」


 「望みも何も…そもそも僕の失ったものは二度と返ってこないからな…」


 「あの世界線で奪われた命は、あの世界線で取り戻すことができない…か。そればかりはどうしようもできないだろうな…」


 「救いがなさすぎるだろ…?正直、もう身が持たない」 


 「そうだな…。俺がお前の立場でも心が折れてると思う。今後、お前の慰めになり得るものがあるとすれば、別の世界線で幸せを手に入れたお前のコピーがお前と統合して経験を共有し合うことくらいだろうか…。だが、経験の重ね合わせ状態に至れば、実質お前はお前ではなくなる。お前はそれを望まなそうだが…。どうなんだ?」


 「わからない…」


 「あとは…そうだな…。あの世界線のメンバーが死後世界に来れば、お前が失った時間に代わる時間を少しくらい与えてもらえるだろ。この世界が情報空間なら実現できないことなんてほとんどないだろ。物質世界のいかなる要素、いかなるシチュエーションも文字通り簡単に再現することが可能だろうしな。…今みたいに」


 「それはそれでどうかと思うんだが…。そんなチープなフェイクとして現実を貶めて…お前はそれで本当にいいのか…?」


 「チープねぇ…あ、それ飲んでいいから」


 僕は座席前のドリンクホルダーから某有名喫茶店チェーンのロゴマークが印字された紙コップを手に取り、中の液体を口に含んだ。温かい…。僕の好きなコーヒーの味がした。これは本当に夢なのだろうか…。


 「よし。着いたぞ」

 

 車を降りると、見慣れた闇夜の海岸線が広がっていた。夜空には嘘みたいに美しい天の川がかかっている。夏の日の思い出が蘇るようだった。僕達は砂浜に続く階段に腰かけ、仰向けに寝そべって夜空を眺めた。


 「懐かしいだろ?俺もこんなに綺麗な天の川を見たのは、あの日が初めてだった。この情報空間でしか得られない貴重な経験の一つだった。俺は、現実を知って尚、この世界がチープとは思わない。情熱をもって丹精に作り込まれた超大規模な芸術品。自然原理をそのまま体現した実戦の場。シナリオはほぼ無いに等しい。フェイクだとは思うが、フィクションではない」


 「…なぁ。これは夢なのか?お前は俺の知る朝霧なのか?」

 

 「そ、そうだよ?」


 「…見逃してやりたいが、嘘がヘタ過ぎるんだよお前は」


 「チッ……。まぁいいか…。何て表現すればいいのかな……。俺はお前の知る俺のオリジナル体だと言えば伝わるかな。お前が知っているのは俺のコピーってことだ。俺は今、そのコピーから送られてきた情報と統合して一時的に経験を共有している状態にある。あの世界線の俺はまだ死んでないから安心して欲しい」


 「なるほどな」


 「俺だけじゃない。死後世界側にはお前自身や、お前の家族のオリジナル体もいる。会いに来たがっている者は大勢いたけど今回は俺が選ばれた。なんでも、お前は俺が相手だと精神状態が不安定でも冷静に物事を考えることができるからだとか。まぁ、ともかく。条件を満たせばお前の大切な人々と早々再会することも可能というわけだ。便利だろ?」


 「なんだよそれ…便利ってか、もうわけわかんなさすぎて逆に怖えぇよ…」


 「お前は一人じゃないってことだよ。加えて、皆、複数の世界線で様々な経験を同時並行で重ねているから、お前が相談できることも多いと思う。そうやって弱者同士、支え合いながら大人になっていけばいいんだよ。というか、そういうシステムになってる。じゃなきゃ身が持たねぇよ。ましてや、お前レベルの経験に耐えられる奴なんて誰もいないだろ」


 「…まぁな」


 「まぁ、区切りが付いたら彼岸に来て自分の目で確認してみればいい。混み入った世界だけに興味深いことになってるから退屈はしないと思うぞ」


 「そうだな…実際、お前にこんなことを言われる展開なんて想定してなかったよ」


 「お前もまだまだ読みが甘いな。さて…そろそろ時間みたいだ。じゃあ……またな」


 「あぁ。………ありがとう」

 


 目を覚ますと、知らない天井が目の前にあった。 

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