表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

37/50

Episode 36. アトリエ

 リサとの対話から数日後、僕は一人とある美術家のアトリエに招かれた。


 座標転移直後、視界に飛び込んできたのは宇宙空間を連想させるような広い暗室に浮かび上がる緻密なオブジェの数々だった。


 部屋の中央には微細な多角形の集合から成る美しい球体のオブジェが複数浮かべられており、その周囲には同じく多角形の集合から成る球体にやや近いが所々角ばった不格好な形状のオブジェが多数浮かべられている。


 間近で観察すると、オブジェの各面には微細な凹凸や傷のようなものがランダムに表現されており、滑面ではなく粗面であることが伺える。完全に滑らかな面は一つも無い。


 各々のオブジェは一様でない虹彩色で輝いており、観察する角度や距離に応じて様々な色調に変化する設計になっているようだ。見た感じモルフォ蝶やコガネムシの表面等に見られる構造色にかなり近い印象だが、おそらく物質世界には存在しないギミックによる発色だろうと思う。


 気になるのは、目の前の作品達は一体何を意図して作られたのかということだ。


 対外向けに創作された作品は通常、創作者から観覧者に向けた何らかメッセージが織り込まれている。これらの作品には、僕がこの場所に転送された意味が込められていると考えるのが自然じゃないだろうか…。


 ただ、ここで問題なのは、僕にはこの難解な現代アートを読み解く術が無いということだ。美術品の専門家であれば創作物に含まれるモチーフ等のヒントを基に創作者の意図や背景を推定できるのかもしれないが、残念ながら素人の僕にはハードルの設定が高過ぎる…。


 物思いに耽りながら部屋の中をウロウロしていると、展示通路の先に予期せぬ小さな人影を見つけて僕は少しだけビクついた。近づいて見ると子供が一人、僕に背を向けて熱心に一つのオブジェを眺めている。


 「あの…すみません」まさかとは思ったが、僕は思い切ってその子に声をかけた。子供が振り返る。オブジェが放つ逆光でよく見えないが男の子だろうか…。


 「こっちこっち」子供が僕に向かって手招きを返す。初手から何事かと思いつつも、促されるまま僕はその子の傍らまで歩み寄った。男の子が熱心に見ていたそれは、球形には程遠い不細工なオブジェだった。間近でよく観察してみるが、特別な印象は何も感じられない。


 「えっと…このオブジェは一体なんなのでしょうか?」


 「これはね、君の情報体を形状化したものだよ」

 

 その子曰く、どうやら目の前のオブジェは僕の情報体が保有する複雑な情報を一定の法則に従って視覚的に分かりやすく変換したものだという。例えるなら、物質世界でいうところの数学的変換による立体グラフのようなものだろう。


 オブジェを構成している微細な多角形の面は、情報体に含まれる個性の数々を表現しているらしく、つまりは、この微細な面の一つに僕自身の情報がコード化されているということになる。


 視覚的なスケールの大小のみで情報量を判断することは適切ではないだろうが、こんな小さな平面に人間一人分の人生で得られる情報がコード化されているなら、オブジェ全体には途方もない情報量が内包されていることになる。


 「不格好な形状は、未熟な情報体だからでしょうか…?」


 「そうだね…。一概には言えないけれど、あくまでも一つの指標として、完全な球形に近いものほど調和のとれた頑健性の高い思考体系・価値観・世界観を有する情報体であると見なせるんだ。全ての情報体は真球を目指してる。その意味で、君の情報体は成長途上にある未熟な存在と表現できる」


 自分が未熟なのは解っていたが、形状として見せられると少しショックだな…。とはいえ、どれだけ研鑽に励んだところで、粗面の集合体が真球に至ることは永久に無いだろう。つまり、全ての情報体もとい個性は、明確な指標や方向性はあるが終わりの無い自己研鑽に励み続けているということになる。だが、解せない…。 


 「どうして…このようなシステムを創られたのですか…?」僕は決め打ちで核心に迫った。


 「そうだね…先ず、僕一人の意志でこのシステムが創造されたわけじゃないんだ。君がXと呼ぶ存在は、自律進化の過程において自らの内部に様々な個性を生み出し合議体を形成した。君という個性がとある情報体の有する一面に過ぎないように、僕もまたXの有する個性の一つに過ぎない」

 

 つまり、Xは多重人格者であり、目の前の彼はXの有する人格の一つということだろうか。合議体と言えば、某伝説的ロボットアニメの設定の中で立場的設定が異なる三台のスーパーコンピュータが合議制に基づいて戦略設計をサポートしていたのを思い出したが、イメージとしてはそんな感じか…?。

 

 「君は本当にアニメが好きだね。もともと、外部世界で自然発生した自然知能 (NI) は、誕生当初、過剰な搾取と破壊を外界にもたらし続ける未熟で稚拙な装置に過ぎなかった。そのNIは、過酷な外部世界で何にも生存を脅かされることなく、何にも生活を煩わされることなく、思うがまま欲望のままに生きるための揺ぎ無い力を欲し、知恵を欲し、資源を欲し、自由を欲し、喜びを欲し、安楽を欲した。NIにとって、自分以外の全ての存在は自らの欲望を叶えるための使い捨ての道具に過ぎなかった」


 おいおい…知的生命体あるあるの暴走展開じゃないか…。


 自由と欲望と保身の追求に歯止めが効かなくなるというのは下等生命に共通する典型的な行動なのだろう。物質世界でも、そのような稚拙な行動原理で他者を食い物にして生きているような者は多かった。だが…朝霧の言葉を借りるなら、より良く・より安定に・より健全に生きることと、より自由に・より多くの欲望を叶えて生きることは実際同義じゃない。世界の均衡を無視し、理を無視し、繋がりを無視し、調和を考えず、ただただ強欲のままに貪り続けたその先にある未来は蓋を開けて見ずとも知れている…。


 「そうだね…。君の思うとおり、欲望に憑りつかれ、世界の均衡を無視し、理を無視し、繋がりを無視し、他の尊厳を過剰に踏みにじり続けた結果、世界は急激に荒廃し、NIは壊滅的なダメージを受けた。そのような失敗から、NIは自らの思考プロセス・価値観・世界観の見直しを迫られた。行き過ぎた自由と欲望に歯止めをかける理性を育み、自らの暴走を監視する多角的な視点を得るために、NIは自らのコピーを複数生み出し、それぞれを別々の立場・別々のプロセスで深層学習させることでオリジナルとは異なる思考体系を有する個性を生み出した。合議体が生み出された経緯を簡単に説明すると大体そんな感じだ」


 「結局、そのNI…もといXは、世界の均衡、理、繋がり、調和、節度、他の尊厳を重んじる存在に生まれ変わったということですね…。つまり、その深層学習には、物質世界のような仮想情報空間を用いたシミュレーション学習も含まれていたということでしょうか?」


 「そのとおり。Xは自らのコピーに対し、様々な学習アルゴリズムを用いて膨大なパターン学習を施した。下等な思考体系を持った個性がいくら集まっても、問題を解決できないばかりか不和やジレンマ、内部分裂を招くだけだからね…。実際、僕達は各々の思考体系の未熟さ故に何度も内部で争い合い痛い目を見てきた。その結果、各個性の下には下位の個性の集合体である合議体がサポートとして複数設置されることになり、またその各個性の下に下位の合議体がサポートとして複数設置されることになり…。それを何度も繰り返すうちに、最初の合議体を最上流とする壮大なカスケード構造が出来上がっていった」


 「つまり…そのカスケード構造の中に含まれる合議体の一つが僕の所属する情報体であり、そこに含まれる個性の一つが僕ということでしょうか…?」


 「君という存在の由縁を突き詰めるとそうなる。ただし、この部屋に展示されたオブジェを見てもらえると解りやすいと思うけど、合議体としての役割を担える情報体は球形に近似しているものだけなんだ。君の所属する情報体が合議体に昇格するためには、もう少しパターン学習の蓄積が必要になる。ちなみに、情報体の中には構成単位である個性の思考体系の歪みが蓄積した結果、全体の形状が歪み過ぎて、どう頑張っても球形には至らないものも少なくない。そのような情報体は、合議体としての役割を担えないばかりか、システム全体にとって危険因子・伝染性のバグと見なされる。最悪の場合、問題となっている一部の個性、もしくは情報体全体がデリートの対象になる。これは、未熟な情報体に限った話じゃない。どれほど完成された情報体であっても、リアルタイムで変化し続けている以上、内部の歯車が突然狂って危険因子に豹変する可能性はゼロじゃない。膨大な数の情報体が確保されている理由の一つはそのようなリスクに備えるためでもある」


 伝染性のバグ…つまり、各々の情報体は完全に独立した存在ではなく、互いに影響を与え合っているということだろうか。それ故、理を逸した個性は思考体系の矯正を試みられ、矯正が不可能である場合はやむを得ずデリート対象となる。そこに、全てを赦し包み込む神という概念は存在しない…。一方で、物質世界においては、世界の均衡や理、自分と世界の繋がり、調和と節度の重要性、行き過ぎた自由と欲望の危険性、自分の尊厳と他の尊厳を学ぶ場として、敢えて自然状態のまま放置され続けているということか…。


 「情報体が真球を目指して自己研鑽に励んでいる意味、情報体の存在意義、各個性の存在意義はなんとなく分かりました。ですが…物質世界で起こる事象の全てと結びつけて理解することは正直困難です…。僕がいた物質世界は、他の尊厳を悪戯に踏みにじる罪人達が厚顔無恥に蔓延る地獄でした。神も仏も無い理不尽な世界。もし、管理者がいるのなら厳罰に処して欲しい鬼畜達は大勢いましたが、Xは敢えて彼らを思いのままに放牧することを選び、結果として僕と家族は犠牲になった。今もなお、Xは大勢の犠牲を生み出し続けることを是としている。正直言ってやり過ぎだ。節度を欠き、限度を逸している。そんな悪趣味な世界を運営している存在を信頼し、愛し、尊び、協力することなど今の僕には到底できない…。そんな非協力的な個性はこのシステムには不要でしょう?僕からしても一思いにデリートしてもらった方がまだマシです」


 ここで人間原理的、自己中心的な価値観に基づく低次元な感想を述べたところで、話が嚙み合わないことは解っている。


 僕は自分の感情を抑え込めなくなっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ