Episode 33. 休閑・怪談2
先に紹介した怪奇現象は、二名以上の人間が体験した現象であること、また情報生命体が有する様々な物理特性を考察できる現象であることから、恐怖ネタとしては不足があるものの考察ネタとしてはかなり優秀だ。
当該事例からも察せられるとおり、情報生命体は自身が有するリソース(潜在的エネルギー)の範囲において空間単位に干渉し、物質化できる能力を有している。粗い画素数での可視化、質量を得て物体に触れる等はその基本だ。
対象が高密度で物質化した場合、俗に言うところの霊感の有無とは無関係に万人が対象を視認することができる。一方、低密度で物質化した場合、Web上にありふれている視覚アートのように対象が見える人と見えない人で差が生まれる。
物質化すらしていない基底状態においては、可視光を介して肉眼で視認することは不可能となり、いわゆるシックスセンスを有する一部の人間にしか認識できなくなる。俺自身、幼少期と大人になってからで対象の見え方が異なるのはそのせいだろう。
さらに、情報生命体は空間単位からエネルギーを抜き取る能力も有している。体温を奪われるような感覚を覚えたり室温が異常に寒かった理由はその能力に依る。さしずめ、アピールに必要なエネルギーを俺の体や大気分子が有する熱エネルギーを奪って賄ったんじゃないだろうか。
当然のことだが、彼等も物質世界で活動する以上はエネルギー保存則の縛りを受けるらしい。
いわゆる霊的存在が有するこれらの性質を上手く許容できる理論モデルは、俺の知る限りにおいてメタバース宇宙論以外に存在しない。仮にこの考察が正しい場合、俺は何故こんな場所に囚われているのだろうか…。
前置きが長くなったが、次の事例は俺の大学時代の体験になる。
当時、俺は金の無い苦学生で、授業料減免制度と奨学金制度を併用することで無理繰りに学びの機会を得ていた。借金を積み上げながらのギリギリの学生生活。安い家賃のアパートを探して運良く好物件と巡り合った。
大学近辺には怪奇現象が頻発する曰く付きの物件が少なからず存在していたようだが、俺が借りたそのアパートは幸か不幸か単なる綺麗な住みやすいアパートだった。強いて言うなら、小型犬ほどの大きさの白いモヤ(通称:イヌ)がたまに床をウロチョロしていた程度だろうか…。
大学1年のある時期、俺は知人の伝手でとある男女(山崎拓郎・橋本彩音)と知り合った。出会った当初から二人は付き合っており、一緒に俺の家によく遊びに来てくれていた。
そんな二人との何度目かの家飲みの際の事だった。
拓郎は酔った勢いで、部屋の中を白い小動物がウロチョロ動き回っているのが見えると告げた。その際、彼が指さす方向には何も見えなかったが、俺は経験的におそらくイヌの事だろうと思った。
彼曰く、どうやら彼には幼い頃から他人には見えない霊的な存在を視る能力があるらしい。彼は、過去に俺が出合ってきた人間の中でも際立って苦労の多い生い立ちをしており、苛烈な養育環境に加えて他人には理解し得ないおかしなナニカを視る能力が彼の人生に追い打ちをかけていた。
環境ストレスの影響で幻覚が見えるようになる者も世の中には大勢いるだろうが、イヌに関しては俺以外にも家に来た友人の何人かが存在に反応を示しており、彼の告白には信憑性が感じられた。
俺と拓郎は、他人には理解できないような過去の苦労話や心霊体験の話で不思議と意気投合した。一方、彩音は拓郎の過去には興味津々だったが心霊系の話に関しては相当苦手な様子で、時折、耳を塞いだりヘッドホンで音楽を聴くなりして誤魔化していた。
そうして話が盛り上がると、突如、拓郎が俺に折り入って相談したいことがあると言い出した。どうやら、彩音の前ではできない相談なのだという。
当然、彩音はその内容を聞きたがったが、怖い話が苦手な人が聞いたら夜眠れなくなるような洒落にならない話だよ?という彼の説明で彼女は渋々納得したようだった。俺と拓郎は彩音を居間に残して台所に場所を移し、その場で俺は軽率に拓郎の話を聞いた。
その内容は彩音の実家についてのものだった。
俺自身、彩音の家に遊びに行ったことは無いので真偽は不明だが、彩音の実家は、市街地の中心部に古くから立っている木造二階建ての大きな一軒家らしい。拓郎がその家に遊びに行くと、いつも不気味な気配があるのだという。
拓郎自身、直接的にそのナニカを視認したことはないらしいが、彼が彩音の部屋のある二階に続く階段を上る際、毎回決まって気掛かりなことが起こる。
突発的な頭痛。
その痛みとともに、霊感としか表現できない感覚で彼の脳裏に映し出される白いワンピースのような衣装を身に纏った髪の長い女のイメージ。その目に瞳は無く、代わりにバーコードのような複数の縦縞が浮かび上がっているのだという。
見た目で判断するのは良くないことかもしれないが、明らかに善良な存在とは思えないその風貌。もしかしたら彩音やその家族に危害があるかもしれない。もし、対処法を知っていれば教えて欲しい。
それが拓郎の相談だった。
話を聞いている俺も拓郎と同様、話を聞いているだけでも対象のヤバさ、異常性が伝わってくるような感覚、頭痛や吐き気、悪寒を覚えた。話し手が拓郎だったというのも影響として大きかったと思う。
内容や言語表現以上に気持ちの悪い話だ。
そう思いながら個人的な意見を拓郎に述べようとした。
その時だった。
「ぁあぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
男とも女とも区別できない重低音の声と共に、白いモヤが俺の顔の右側から急接近してきた。
それと同時に、拓郎が俺に向かって「危ない!!」と叫んだ。
俺は拓郎の声の大きさに焦りながらも、耳元で気持ち悪い羽音を鳴らす虫を払うかのような仕草でそのモヤを排除した。モヤを排除すると不気味な声も一緒に消えた。
そして、目の前で俺を見ていた拓郎に何が見えたのかすかさず聞いた。
拓郎によると、俺の顔の右横に白いモヤが突如出現し、人間の手のような形状を成して呻き声を上げながら俺の顔に触れようとしていたらしい。
後の議論の末、白いモヤの正体はイヌではなく、相手方が警告目的で脅しにきたのだろうという推論で着地した。仮に相手が情報生命体であれば、物理的な距離は関係なく量子もつれ的な情報伝達機構を介して瞬時に情報リンク先に移動することも可能だ。
拓郎と彩音にはおそらく事前にリンク・監視の目が張られていたのだろう。
部外者に邪魔されないための悪質かつ粗雑な嫌がらせ。攻撃的なアプローチ。
対象が人間の魂に由来する存在なのか完全に人外の存在なのかは俺の知るところではないが、この手の悪質な情報生命体に関しては人間的な思考経路や邪さを行動の中に感じることが非常に多い。
俺は拓郎に対して詳細な考察を述べることは自粛し、対象の影響が未知数である以上なるべく距離をとって気にしないのが一番だと拓郎に伝えた。
実際、情報生命体に対する確実な有効手段を当時の俺は持ち合わせていなかった。
相手は仮想情報空間のメカニズムを俺よりも確実に熟知して使いこなしている。
一方の俺は霊能力者でもなければ有識者でもない。役不足が過ぎた。
結局、相手の思惑どおり彩音の家の問題は保留となった。