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Episode 31. 休閑・回想

 律。あの日以来、毎日事ある毎にお前の名前を呼んでばかりいる。

 いつも迷惑をかけて申し訳ない。


 お前は今、何処で何をしているんだろうな。お前という存在がゼロになってしまったとは思いたくないが、今の俺にはその真実を知る術がない。一番の被害者であるお前に弱音は吐きたくないが、正直辛い。この世界で大切なものを得ることが恐ろしい。


 この世界の真実がどうであれ、結局、宗教や科学の理論を捏ね繰り回したところで、体験した現実がフィクションになる訳じゃない。耐え難い苦痛の前では、絵に描いた餅など治療薬はおろか痛み止めにすらなりはしない。


 そんな苦痛を伴う出来事がこの世界にはありふれている。

 俺は何処までも無力だ。本当にすまない。

 

最近、昔一緒に見た作品の数々を観返しながら、お前の創作活動の原点について思いを馳せていた。生前、お前は何気ない学生の日常を描いたフィクション作品が大好きだったな。一見、現実にありふれていそうだが、実際には手に入れ難い幸せな日常。仲間との強い絆。劇的な演出。魅力的な登場人物。


 お前は、フィクション作品に描かれた美しい理想像を自分の人生においても渇望し、まるで子供のように現実世界に理想世界をレイヤーのように重ね合わせ、別世界を生きていた。お前の創作活動の原点はそこにあったんじゃないかと勝手に思っている。


 良く言えば少年の心を忘れない大人、悪く言えばアダルトチルドレンという表現がよく当てはまる性格だった。お前はいつも、現実と理想との大きなギャップに藻掻き苦しんでいたが、そのギャップを持ち前の知性でもって埋め合わせる努力だけは最後まで諦めなかった。その結果として、お前はこの現実世界で一つの理想を掴み取るまでに至った。


 環境からどれだけの抵抗を受けても、お前は自分を曲げなかった。というよりも、お前がこの世界で生き続けていくための必然として、自分を曲げることができなかったという方が正確だろうか。お前は、俺と同様、自分自身がこの世界で諦めずに生き続けていくために必要な世界観を自分の中に必死で構築しようとしていたように思える。


 自分では決して大きなものを望んでいるつもりはないのに、周囲の人間が当たり前のように持っている生の基本的原動力がどう足掻いても手に入らないという不運。


 行きつけの飯屋で、死にたいと愚痴るお前の心境を俺がつぶさに言い当ててしまった時、お前が滅多に見せない涙を流していたのが印象的だった。俺は、お前の理想の実現にほとんど貢献してやれなかったが、その心情だけは経験的に痛いほど理解できた。


 現実主義者だった俺と、理想主義者だったお前。当然、馴れ合えない部分は多々あったが、そんなお前と一緒にいることが、俺は本当に楽しかった。お前には、人生で最も真剣に自死を考えていた時期に命を救われたとさえ思っている。本当に感謝しかない。


 短い時間だったが、こんな俺の傍にいてくれてありがとう。


 人間は現実と幻想の両輪で動いている。現実の理を押さえることはもちろん重要だが、幻想や理想、夢や希望が無ければ人間社会はここまで発展し得なかったこともまた事実だ。水と油のような関係でありながら、実際、両者は補完し合う関係にある。


 俺とお前の関係も多分そうだった。


 今振り返ると、お前は俺を介して自分の中の世界モデルに現実を取り入れ、俺はお前を介して自分の中の世界モデルに幻想を取り入れることで互いに無いものを補完し合っていたように思える。だとすると、俺はお前からもっと多くを学ぶべきだったな…。そうすれば、今以上にもっと面白い世界モデル・生き続ける意義を作り出せたかもしれない。


 …ということで、俺の余生の目標、生きがいは何となく決まったようなものだ。お前が残してくれたものを紐解いて、自分の世界モデルに足りない要素を補完してみようかと考えている。


 実際、メタ的な視点で考えると、自分の人生の課題の一つは「どこかで高みの見物をかましていやがる知的存在が、外部世界の現実の中で生を諦めることなく健全に生き続けるための世界観を構築すること」なんじゃないかとすら勝手に勘ぐっている。


 他者と深い関わりを持てば、それが自ずと生きる支えになる。だが、現実問題として完全に依存できないのが他者というものだ。死別や生別は分かりやすい事例だが、傍にいる者同士の場合においても互いのリソースとスペックが限られている以上、身内以外の相手に割ける好意・愛情のレベルや優先度、理解し合える範囲には物理的に制限が生じる。

 

 どれだけ多くの関りを作っても、結局、自分を生かし続ける最大の原動力は自分自身の中にあると言える。どれだけ他者に認められ必要とされても、自分で自分自身を認め必要としなければ健全に生き続けることは難しい。実際、世の中には、家族や伴侶、大勢の友人に囲まれて幸せを享受しながら、自分で自分の存在を認めることが出来ずに自死を選ぶ者も少なからずいる。


 もし仮に、この世界を創造した孤独な存在がいるとすれば、その存在は今まさにその壁にぶち当たっている可能性があるんじゃないだろうか…。



 まぁ、知らんけどな…。

 もし当たっていたら、俺が死んでそっちに行った時に教えてくれ。



 長話も最後になるが、何はともあれ、俺がこの世界で生き続けることを最後まで諦めず、有用な世界モデルを作り上げてそちらに持ち帰れるように。ついでに、お前の中の世界モデルの構築にも何かしらの役に立てるように。


 どうか今日も見守っていて欲しい。

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