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Episode 29. 生命形成(補足②)

 生体はATPだけでなく炭水化物や脂質、タンパク質の分解でも、ATPの分解による発熱反応と似たような原理で微々たる熱源 (カロリー)を得て化学反応を推進している。また、分子素材に関しては、炭水化物のみならず脂質についても炭素骨格材として複雑な生体有機物の合成に利用している。


 物質の活用方法は一様ではない。代謝の各論については、教科書レベルで掘り下げてもキリがないので基本的な物理の整理のみで自粛させてもらい、今回は分子自体の機能性に焦点を絞らせてもらった。こんな話を高校時代に聞きていれば多少は成績が上がったかもしれないが…たぶん当時の僕はほとんど聞く耳を持たないだろうな…。


 加えて、彼女との話は少しずつオカルティックな方向へと流れていっている。どうやら、生体アバターは自然界の中でも仮想情報空間上の特殊な情報物理的なギミックが多数仕組まれているらしい。個人的には寧ろそちらの話題に興味津々なのだが、お世辞にも子供の教育上好ましい話とは言えないだろう…。


 何の役に立つのかは今のところ不明瞭だが、少なくとも、いつの日か物好きな友人と再会した際に僕の物語を語り聞かせられるよう、今回も大雑把ながら地道に整理を進めていこうと思う。


【①】これまで見てきたとおり、物質世界における生体とは「分子間相互作用と化学反応の超大規模連鎖系」だ。膨大な数の分子種が電磁相互作用に由来する種々の力を頼りに運命の相手と自然に出会い、特異的に結びつき、生命現象を引き起こすことで生命が維持される。


 至極単純な機械的原理だが、一芸を極めることで膨大な生理現象を表現するに至っているように表面上見える。


●例えば、ATPは、リン酸結合の加水分解による熱源的役割、リン酸結合の加水分解に伴う機械的エネルギーを利用した駆動源的役割、リン酸基供与による化学反応の逆止弁的役割、リン酸基供与による化合物への電荷・親水性の付与、リン酸基供与による化合物の構造変化 (相互作用性や細胞膜透過性の変化)等々の生理機能を表現する。


●タンパク質は、自身の持つ電荷や疎水性を推進力としてアミノ酸鎖が折り紙のように折り畳まれて (フォールディングされて)三次構造を形成し、またはユニット折り紙のように他の分子種と合体し合って四次構造を形成する。高次構造の形成により立体的な凹凸ができることで、凹凸にピッタリハマる分子と相互作用する性質を獲得する。また、複数の分子と組み合わさることでリボソームのようにロボット的 (分子機械的)な駆動力を獲得する。


 ちなみに、フォールディングパターンの中には他分子 (分子シャペロンやリボソーム等の外部因子)の介助が必要なものもあるが詳細は割愛する。


 高次構造を形成したタンパク質は、酵素としての役割、細胞の構造支持を担う役割、細胞同士を直接・間接に結び付ける役割、分子やイオンの輸送を担う役割、分子やイオンの貯蔵・保持を担う役割、生体防御の役割、遺伝子発現を仲介する役割、遺伝子発現を調節する役割、遺伝子を増殖させる役割、遺伝子を修復する役割、細胞間や細胞内の情報伝達を仲介する役割、概日リズムを刻む役割 (体内時計を管理する役割)、ATPを利用して駆動力を提供する役割 (細胞内輸送や筋収縮、細胞分裂を仲介する役割)等々の生理機能を表現する。


●DNA (デオキシリボ核酸)は、二本のヌクレオチド鎖が合体した長鎖の二重らせん構造を形成する。長鎖は余りにも長すぎて縺れやすいので、普段はヒストンと呼ばれるタンパク質に巻き取られてコンパクトに収納される。遺伝子発現時には、随時ヒストンから必要箇所が部分的に紐解かれる他、二本鎖が部分的に一本鎖に解かれて遺伝情報を読み取られる。


 ヒストンと二本鎖DNAの相互作用は、余計な遺伝子発現が進行しないための制御システムの一つでもある。これ以外にも、DNAの塩基配列パターンはタンパク質のアミノ酸情報 (tRNAと結合するためのトリプレット)のみをコードしている訳ではなく、タンパク質の形成に不要な配列パターンを多く含んでいたり、様々なタンパク質と特異的に相互作用する配列パターンを含んでいる。


 例えば、二本鎖DNAの所定の配列パターンには様々な遺伝子発現の制御因子 (DNA結合タンパク質)が相互作用することが知られている。この場合、一本鎖であれば塩基配列パターンに直接結合すれば済む話だが、二本鎖DNAにどうやってタンパク質が特異的に結合するのかイメージし難いと思う。二本鎖DNAの二重らせん構造は、内部の塩基配列パターンによってらせん構造のピッチ (副溝)や曲がり易さに僅かな差が生じる。DNA結合タンパク質は、二本鎖DNA内部の塩基自体に手を伸ばして部分的に結合することに加え、二本鎖DNAの表面構造や柔軟性の微々たる差をも認識して結合している。

 

 ちなみに、種々のDNA結合タンパク質と相互作用する配列パターンの中には、自らのコピーをタンパク質に作らせて遺伝子上に組み込ませる自己増殖配列や、DNA上から自らをタンパク質に切り取らせて別の遺伝子上に組み込ませる自己移動配列 (トランスポゾン)なども存在する。


 また、遺伝子発現における転写プロセスでは、DNAの二本鎖が部分的に一本鎖に紐解かれ、RNA合成酵素が片方の鎖に結合してDNAの塩基配列と相補的なRNA鎖 (mRNA前駆体)を合成する。mRNA前駆体は、タンパク質情報を含む配列 (エキソン)部分とタンパク質情報を含まない配列 (イントロン)部分が交互に混在した塩基配列を有している。故に、翻訳の前にmRNA前駆体のイントロンを切除する加工処理 (RNAスプライシング)が施される。


 イントロンのスプライシングは、人を含め真核生物に普遍的に見受けられるシステムだ。だが何故、イントロンなる余計な配列がDNA上に存在するのだろうか?太古の昔、イントロンは前述する自己増殖配列だった。現存するイントロンはその名残という訳だ。当該機構では、イントロンを除去して、エキソンを繋ぎ合わせることで成熟mRNAが合成されるが、実際にはエキソンの一部もセットで除去されるような場合がある。このようなエラーの結果、1つの遺伝子からはエキソンの組み合わせパターンが異なる複数のタンパク質が翻訳されことになる。


 スプライシングの過程で生じるタンパク質のバリエーションは「スプライシングバリアント」と呼ばれる。過去、1遺伝子1タンパク質 (1酵素)という考えが主流だった時代もあったが、スプライシングバリアントの発見により1遺伝子の表現力が見直されることになった。つまり、生物進化の過程でイントロンなる異物が遺伝子の間に割って入ったことで、一つの遺伝子から表現できるタンパク質の数が増加し、結果として高次生命体を形成できるだけの多機能性を獲得するに至ったというただの奇跡だ。


 RNAについては、RNAワールドについて言及した際に既に整理しているので補足は割愛する。核酸の主な生理機能をまとめると、遺伝子として生体情報を記録する役割、遺伝子発現を調節する役割、後世に生体情報や環境情報を伝達する役割、進化を仲介する役割、RNAに至っては酵素やキャリアーとしての役割等々が挙げられる。


 なお、「環境情報の伝達機能」については蛇足になるが、遺伝子の中には環境条件等に応じて積極的に使用される遺伝子と積極的に使用されない遺伝子が存在する。積極的に使用されない遺伝子には化学修飾が施され、遺伝子発現が恒常的に抑制されることになる。この場合、当該化学修飾の中には後世に遺伝子を受け渡す際にもリセットされないものがある。遺伝子配列の変化に依らず、親が後天的に獲得した形質が子に引き継がれる現象を「後世遺伝」という。同じ遺伝子を持って生まれても、遺伝子の後天的な化学修飾次第では形質発現に大きな差異が生じる。当該現象を科学する学問領域は「エピジェネティクス」と呼ばれるが、詳細については割愛する。


●糖質は、炭素骨格材としての役割、分解による熱源としての役割、ATPを合成するためのメイン代謝経路の出発材料としての役割が一般的な生理機能として知られているが、これ以外にも細胞表面のタンパク質や脂質と結合して糖鎖を形成し、種々の生理機能を表現する。


 糖鎖が結合した糖タンパク質はプロテオグリカンとも呼ばれ、有名なものではヒアルロン酸やコンドロイチン硫酸などが挙げられる。細胞表面のタンパク質や脂質に結合した糖鎖は、ATPと類似構造を持つ硫酸基供与体PAPSを用いて複数の硫酸基が付与され、強力な負電荷を帯びている。この電荷により、糖鎖は細胞の周りに水分子を保持する役割や、コラーゲンなどの繊維タンパク質とランダムに相互作用することで細胞同士を結合させる役割、組織全体の弾力性を高める役割等を担っている。


 水分子とタンパク質で構成された細胞外の基質は「細胞間マトリックス」と呼ばれる。真皮の張りやモチモチ感、強力な弾力性を持つ腱や靭帯、クッション材や潤滑剤としての役割を担う間接軟骨、血管や消化管等の内部構造の柔軟性などは細胞間マトリックスの機能によって表現されている。

 

 その他、細胞間情報伝達物質を細胞表面にトラップする役割、受精の際に精子を卵細胞表面にトラップする役割、細胞認識を仲介する役割等々も糖鎖の機能として挙げられる。


●脂質の生理機能は、分解による熱源や炭素骨格材としての役割、貯蔵エネルギーとしての役割、断熱材やクッション材としての役割、細胞や細胞小器官の膜を形成する役割、細胞間情報伝達物質 (脂質メディエーター)としての役割、脂溶性成分の溶媒としての役割等々が挙げられる。


 長鎖の炭化水素鎖とカルボン酸で構成されている脂肪酸は、親水性のカルボン酸の部分と比較して疎水性の炭化水素鎖が大きすぎるため高い脂溶性を有している。言い換えると、炭化水素鎖の持つ微々たる電荷では水素結合した水分子の間に割って入ることができない。


 この場合、水で満たされた細胞内において脂肪酸のような脂溶性分子は一体どのように局在し、どのように分子間相互作用や化学反応に寄与しているのか?


 小腸から吸収された脂溶性物質は、リポタンパク質との相互作用でミセル化され、脂肪滴 (油滴)として細胞内に局在する。その後、ミセル体 (カイロミクロン)としてリンパ管に入り、全身の細胞や脂肪組織に輸送される。油滴を覆う両親媒性の膜には膜結合型の酵素タンパク質が存在し、油滴の中で脂溶性成分を用いた代謝反応が行われる。


 代謝で生じた脂溶性成分を血流を介して輸送する際には、リポタンパク質のミセル体 (LDL等)として輸送するパターンや、その他の輸送体タンパク質と相互作用させて輸送するパターン、水酸基・リン酸基・硫酸基・糖などを付与して親水性を持たせた状態で輸送するパターンなどがある。

  

 細胞膜はリン脂質二重膜で構成されるが、細胞膜表面には前述のとおり糖鎖が合体した脂質分子や、脂質ラフトと呼ばれる脂質分子で形成されたラフトが浮かんでいる。後者については、脂溶性の機能性分子を固定化する足場となり、細胞間情報伝達や細胞間接着などの生理機能を表現している。


●最後に、その他の無機質 (鉱石成分)の生理機能については、元素に応じて各論になってしまうが、基本的にはタンパク質や低分子と結合して分子間相互作用を仲介する役割、化学構造を保持する役割を担っているものが多い。また、カリウムやナトリウムのように神経細胞で電気信号を発生させる役割を担っているものも存在する。


 例えば鉄の場合、酸素を運搬する血漿タンパク質であるヘモグロビン・ミオグロビンに結合して酸素をトラップする役割、生命活動のメインとなる代謝系 (糖代謝、DNA合成)を触媒する酵素 (鉄依存性酵素)の活性中心 (ヘム、鉄イオウクラスター)を構成する役割等の生理機能を表現する。


 銅の場合、鉄と機能が類似しており、ヘモシアニンとの結合による酸素の運搬機能、電子伝達機能、種々の代謝 (鉄(III)の合成、コラーゲン合成、エラスチン合成、メラニン合成等)を触媒する酵素 (銅依存性酵素)の活性中心 (銅イオン、銅イオウクラスター)を構成する役割等の生理機能を表現する。鉄(III)合成はヘモグロビン合成、メラニン合成は毛色の維持、コラーゲン・エラスチン合成は骨形成や創傷治癒にも影響する。


 亜鉛の場合、種々の代謝 (DNA合成、RNA合成、アルコール代謝、抗酸化、タンパク質の消化、メラニン合成、ステロイドホルモン合成等)を触媒する100種類以上の酵素 (亜鉛依存性酵素)の活性中心 (亜鉛イオン)や立体構造 (Znフィンガードメイン等)を形成する役割等の生理機能を表現する。


 ナトリウムおよびカリウムの場合、両者は共にアルカリ金属元素であり、重金属イオンと比較して電子の受け渡しには向かない性質 (毒性・反応性が低い性質)から、血中の浸透圧やpHを維持する役割、神経の電気的な情報伝達を仲介する役割、血圧を調節する役割、細胞膜上のチャネルを介した物質輸送を調節する役割等の生理機能を表現する。両者は同じ機能を担っているものの生体内では明確に区別されており、摂取量にアンバランスが生じると健康障害が起こる。


 カルシウムおよびマグネシウムの場合、両者は共にアルカリ土類金属であり生理機能も類似している。カルシウムに関しては、骨の主要成分 (リン酸カルシウム)としての役割、細胞内シグナル伝達を仲介する役割 (セカンドメッセンジャー)、血液凝固因子の相互作用を仲介する役割、筋収縮信号を伝達する役割、酵素活性 (カルシウム依存性酵素)を調節する役割、神経間情報伝達を仲介する役割等の生理機能を表現する。


 一方、マグネシウムに関しては、ATPのリン酸基の負電荷と相互作用してATPを安定化させる役割、骨の成分 (リン酸マグネシウム)としての役割、細胞内シグナル伝達を仲介する役割 (セカンドメッセンジャー)、筋弛緩信号を伝達する役割、酵素活性 (マグネシウム依存性酵素)を調節する役割、神経間情報伝達を仲介する役割等の生理機能を表現する。


 その他、セレン、マンガン、コバルト、ニッケル、クロム、モリブデン等の微量元素が生体中に存在しているが、詳細については割愛する。


【②】粗雑で難解な整理になってしまったが、要は、物質世界に自然発生した構造物で生体以上に精密かつ複雑に入り組んだ装置など滅多に存在しないということだ。


 種々の分子が分子進化したプロセスは理解できても、自然の成り行きに任せてこれだけ応用の効いた代物が自然発生し、かつ生命装置のパーツとして自然に都合よく連動するように組み合わされ、恒常的に問題なく運用されているという事実は簡単に理解できるものではない。


 加えて、生体は分子間の相互作用を分子同士の「自然な出会い」に委ねている部分が大きい。無論、生体には分子と分子が生命活動に支障なく出会えるようなギミックが凝らされていることは承知しているが、電荷を帯びた分子が多数存在している場所で分子同士の余計な電磁相互作用による干渉の影響を感じさせない緻密な大規模連鎖を構築するというのは正直イメージし難い。


 生体は余りにも理想的に機能しすぎているように思われる。それがこの世の物理だと言われればそれまでだが、物理は物理でも「量子もつれ」のように通常物質としての理を明らかに逸脱した理もこの世界には存在することを忘れてはならない。つまり、生体内の大規模連鎖系にも通常物理を逸脱した理が介在し得ると考えた。


 そして実際、それは真理だった。


 次の補足では、生体アバターに搭載されている仮想情報空間上の各種設定と疑似情報体アバターの機能について整理していく。

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