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Episode 28. 生命形成(補足①)

 地上の生命形成のプロセスを単純に整理してきたが、言わずもがな、実際にシステム内で起こった生命形成のプロセスは僕が簡単に理解できるほど単純なものではない。ややこしい話を持ち出すと、そもそも起こってすらいないとも言えるかもしれない…。


 僕が今見ている過去の動画記録は、システム内の現象の全てをミクロレベルで拡大しながらリプレイすることができる、まさに神の目線で記録された代物だった。だが、実際、動画に記録されている映像の多くは当時のシステム内で可視的に表現されたものではないらしい。


 一体どういうことか?


 解りやすい事例では、仮想情報空間を舞台にした彼の有名な某クラフトゲーでは、プレイヤーを中心とする一定範囲 (チャンク)の景色・設定のみが表示・シミュレーションされる仕様になっている。つまり、表示距離、シミュレーション距離を超えた領域については、情報処理容量の節約のために非表示化されたり、一部の設定のシミュレーションが省略されている。


 このような仕様を採用することにより、ゲームのプレイに要する単位時間当たりの情報処理量が大幅に節約されることになり、プレイヤーは情報処理の遅延 (ラグ)に悩まされずにゲームをプレイすることができる。


 これと同様の仕組みが当該メタバースにも採用されているらしい。


 例えば、宇宙の彼方で起こっている物理現象や、生体内の分子の挙動などは観測時には可視化されるものの、通常はシステム内で表示OFFの状態で情報処理されている。観測者が存在しない原始地球での出来事も同様、大半の場面が表示OFFの状態で内部処理されていた。つまり、僕が今見ている映像は当時の地球で表示された出来事を光学的に記録したものではなく、表示OFFの状態で情報処理された記録を視覚的に再現したものに過ぎないということだ。


 当該システムの創造主であるXも、現代のゲーム制作者と同様、情報処理容量を節約してシステムのクオリティを高めた方がより良い作品が作れるという結論に至ったのだろうか…。裏を返せば、外部世界のリソースも無限ではないということなのかもしれない。


 システムに負荷をかけるほどの複雑な物理現象が絡み合った現象を理解すること、そして万人に理解できるように説明することは至難の業だ。今回の補足もかなり限定的なものになってしまうが、そこは割り切って進めていくしかない。



【①】生命形成で重要となる補足トピックの一つとしては、先ず自然発生した生体分子の連鎖反応系、つまり「代謝系」の構築プロセスが挙げられる。「代謝」とは、生命活動に必要なエネルギー・分子素材を体外から取り込み、それらを用いて体内の化学反応 (同化・異化)を効率的に進行させるプロセスと表現できる。


 ここで言うエネルギーとは、化学反応・酵素反応を促進させる素粒子・分子・原子・イオンの電磁相互作用が引き起こす外力で、光や熱、電流、分子の濃度勾配差による拡散、機械的な力等が挙げられる。結局、生命体も電池で動く装置と同様、外部から外力を与えられることで駆動している。


 外界に太陽などの光源、熱水噴出孔などの熱源、発熱反応で分解する化学物質が恒常的に存在する場合は、それらに依存した生命装置が自然発生する。エネルギー源の依存先や依存度に応じて、生存できる環境も当然ながら変わってくる。


 ちなみに、既存の生命体の大半は「ATP(アデノシン三リン酸)」と呼ばれる分子を主要なエネルギー源として頻用していることが知られている。ATPは、アデニンとリボースから成る「アデノシン」に、リン酸が三個連なった化学構造を有している。重要なのはリン酸の重合部で、リン酸間の結合は互いの持つ負電荷の反発作用により適度な不安定性を持っており、自発的に分解して適度な熱を外部に放出する。


 外界に十分な熱源が存在しなくても、ATPを分解すればカイロのようにいつでも生体内を適度に温めることができ、恒常性を維持することが出来る。とりわけ、寒冷環境への適応には不可欠な携帯品だ。


 無論、ATPは原始地球に最初から普及していた代物ではなく、原初の生命はリン鉱石表面の細孔中に多く存在していた二リン酸やADPをATPの代わりに頻用していたらしい。確かに、ATPよりは化学構造が単純で存在量も多いだろうからATPの先駆けとしてとして使用されていたというのは納得できる話だ。


 ちなみに、蛇足になるが、ATPのリン酸結合が解除されることで発熱が起こる仕組みというのは自明な現象ではなく、実は詳細に解明されている訳ではない。


 以前、原子核の「質量欠損」でも触れたことがあったが、運動性の高い分子が分子間結合による束縛や水分子の水和作用による束縛を受けた際、抑圧された運動エネルギーが熱として放出される現象が起こる。この理屈でいくと、ATPの場合、合成にこそ発熱は伴えども、分解に発熱は伴わないのではないかと思われがちだ。その思考プロセスは正しい。



 だが、実際、ATPの分解で生じたリン酸と残された母体は、分解と同時に水分子によって改めて水和 (束縛)されることで、一瞬にして開放された運動エネルギーが抑圧されて発熱が起こる。また、開放される運動エネルギーにはリン酸間の負電荷による斥力に由来する力も含まれることになるので、斥力が大きい三リン酸の分解では比較的大きな発熱が引き起こされることになる。加えて、分解によってリン酸内部の電子軌道が安定化することで電子の持つ余分な励起エネルギーも放出されて発熱が起こる。


 結果として、分解後に生じる熱が分解時に要する熱をトータルで上回り発熱反応がメイキングされる。ATPのリン酸間の結合は一般的に「高エネルギーリン酸結合」と表現されるが、結合自体は通常の共有結合よりも弱い分子間力で形成されている。結合自体が直接的に熱を生み出す訳ではないので誤解が誤解を生みがちな表現になっている。


 ここで言う「高エネルギー」という用語は、一度分解すれば触媒無しに自然には元に戻らない (不可逆反応)という意味合いだ。化学反応は自然状態で可逆的なものも多い。一歩進んで二歩下がるような連鎖反応系では生命活動は安定に維持できない。後述するが、効率的に代謝を一方向に進めるためには、ATP等の不可逆反応性の高い物質を代謝反応の間に挟みこんで安定な中間物質 (リン酸化物)を作ることが重要になる。



 長い話をまとめると、適度な不安定性、適度な発熱、反応の不可逆性と反応生成物の安定性を満たすエネルギー源・代謝素材の一つがリン酸の重合体であり、ATPだったということだ。


 ATPと似たような性質を持つ分子種は他にも存在しており、例えば、リン酸と似たような性質を持つ硫酸は、ATPと似通った化学構造を持つPAPS (3‘-ホスホアデノシン-5’-ホスホ硫酸)という分子に変換され、生体内でATPと似通った用いられ方をしている。ただし、硫黄はリンよりも存在量が少ない元素である他、硫酸はリン酸よりも双極子の荷電が強力であり、水和熱が大きく反応性も高いため利用できる頻度やポイントが限られている。機会があれば追々言及することになるだろう。


【②】ATPはエネルギー源として代謝に用いられるが、当然ながらATPだけで代謝は回らない。生体有機物は炭素骨格を基本に作られるので、それらをクラフトするためには使い勝手のいい炭素骨格をもった分子素材が必要になる。


 例えば、海中で自然発生しやすく、水への可溶性が高く、比較的長い単純な炭素鎖を有する分子で、ほどよい反応性で、化学的に安定なものが好ましい。これらの条件を満たすのが炭水化物だったという訳だ。


 既存の生命体は、グルコースを代謝のメインの出発点として用いていることが知られている。生物全般において代謝の中枢を成す最古級の代謝系である「解糖系」では、無酸素状態でグルコースが2分子のピルビン酸へと分解される。ピルビン酸や、その過程で生じる安定な中間物質は、様々な生体有機物の合成原料として使用される。


 解糖系の中間経路は生物種によって複数タイプ存在する。人の場合、代謝系の流れとしては①グルコースがATPを用いて酵素反応でリン酸化される、②生成物が酵素反応で異性体に変換される、③生成物がATPを用いて酵素反応でリン酸化される、④生成物が酵素反応で半分に切断される、⑤生成物が脱水素酵素と遊離のリン酸で酸化される、⑥生成物に付与されたリン酸基が酵素反応でADPに戻されATPが生じる、⑦生成物のリン酸基の位置が酵素反応で転移される、⑧生成物が酵素反応で脱水される、⑨生成物のリン酸基が酵素反応でADPに戻されATPが生じる、といったプロセスを経て結果としてピルビン酸へと至る。


 注目すべきは、ATPを用いたリン酸化が間々に挟まっている点だ。ATPの分解とセットでクラフトされたリン酸化物は逆反応を起こし難い比較的安定な中間物質となる。そのような物質は解糖系以外の様々な酵素反応にも安定供給しやすい。決まった物量を安定に確保しやすいというのは製造ラインにとって重要なことだ。


 また、ATPの分解で生成する熱エネルギーは反応を安定に進行するための基礎になる。酵素反応は温度の影響を強く受けるため、製造ラインの製造速度を一定に維持するためには生体内の温度を一定に維持することが重要になる。


 少しごちゃついたが、ATPの実用性がなんとなくイメージできただろうか…。



 ちなみに、人の場合、解糖系で作られたピルビン酸は、クエン酸回路へと渡り、多種多様な有機酸へと変換される。それらは、アミノ酸や脂肪酸等、生命活動に必要な素材の原材料として用いられれることになる。


 さらに、解糖系とクエン酸回路で生じた水素 (水素イオンと電子)は、ミトコンドリアの電子伝達系へと渡り、最終的には1分子のグルコースから34分子のATPが生み出されることになる。


 ATPをクラフトするのにATPを多用していては本末転倒だ。電子伝達系では、ATPを主なエネルギー源として活用することはせず、外界から取り込んだ分子を上手く駆動力へと変換してATPを機械的に合成している。 


 ミトコンドリアは 外膜と内膜の二層構造で構成されている。内膜に存在する膜タンパク質は、電子を受け取ると内側 (マトリックス)に存在する水素イオンを外側に放出する機械的なギミックを持つ。結果として、内膜の内側と外側には水素イオンの大きな濃度勾配ができる。この状態で、内側に通じる門をひらけば、水素イオンは濃度勾配に従い、濃度の薄い内側に自然に流入する現象が起こる。


 その自然流を水車の力学で応用したのがATP合成酵素だ。ミトコンドリアの内膜上に存在するATP合成酵素は、内側に流れ込む水素イオンの流れを利用し、実際に水車状のタンパク質ユニットが高速回転しながらADPとリン酸を機械的な力で結合させてATPを作り出すギミックを持っている。ここまで人工的な構造物が自然発生するとは正直想像し難いが、この水車機構が自然発生しなければ生命進化は全く別のルートを辿っていただろう。  

  

【③】生命に関する話は情報が混み入っているが故にややこしく難しい。動画を見ても、リサの説明を聞いても理解できないことは沢山ある。自分の理解力の無さを呪いたくなるほどだ。こんな僕の道楽のために貴重な時間を費やしてくれているリサには感謝と謝罪しかない。今度、何かお礼を返せればいいのだが…。


 「大丈夫だよ。意思をもつ生命は皆、遅かれ早かれ世界の現実と幻想の全てを整理し、自分の物語を見直す必要に迫られる。りっ君は彼岸に渡る前に早々とその作業をやってるだけで、それを手伝うのは私達の仕事。当然と思われると困るけれど、今のところ特に何の問題もないよ」


 こんなことをやっているのは僕だけじゃないのか…? 


 「ありがとうございます。そう言って頂けると救われます…。リサさん、あの…もし僕に出来ることがあれば言ってください。可能な範囲でお手伝いさせていただきますので…」

 

 「そうだなぁ…。私はりっ君の物語・創作物が好きだから、新しい作品を世に生み出してくれればそれで十分なんだけど。少し考えておくね」 



 リサは僕の幻想と虚構にまみれた物語を事も無げに好きだと言った。

 そういえば、前にもそんなことを言っていたような気がする…。


 どういうことだろう…。


 僕は幻想にまみれた自分の人生を問題だと感じた。

 現実を知り、現実に目覚める必要に迫られて今ここにいるというのに…。


 彼女は何故か僕の未熟で愚かな幻想を受け入れてくれている。


 僕は思い違いをしていたかもしれない…。 

 僕は僕自身の感性をもっと大切にしてもいいのではないだろうか。

 

 成長することももちろん大切な事だろうが、未熟な今だからこそ創れるものもある。

 

 当該メタバースはプレイヤーの未熟さを意図的に生み出す仕様になっている。

 その理由は、もしかしたらそこにあるのかもしれない。

 

 なんとなくだが、そんな気がした。

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