Episode 23. 原始地球形成(補足①)
僕達の肉体アバターの超精密な駆動機序は、学問的な知見に疎い人でも経験的に察しがつくだろう。正直、こんな代物が自然に作り上げられてしまう世界が恐ろしい…。
肉体アバターは地上に存在する118種類の元素のうち、21種類から構成されている。それらの元素はイオンや生体分子として体内に存在し、後者においては生体高分子(核酸、タンパク質、多糖)や、その構成単位(ヌクレオチド、アミノ酸、単糖)、脂質、ビタミン、ホルモン、細胞間伝達物質、その他の生体低分子を形成している。
生体分子のほとんどは有機化合物で、炭素原子を化学構造の基本骨格としている。有機生命の「有機」という用語が「炭素原子を要とする」という意味合いであることからも、地上の生物にとって炭素原子が主要な要素であることは自明の理だ。とはいえ、炭素原子が地上の生物にとって具体的にどのように特別なのか…。
高校化学を習った人間なら大方知っているような退屈な話になるが、各原子の性質情報「原子パラメーター」の違いについては、今後の流れを汲んで一度補足しておく必要がある。
【①】原子同士は電磁相互作用によって互いに結合し合い、分子を形成する性質がある。その結合様式は「共有結合」「イオン結合」「金属結合」「分子間力(双極子)による結合」の4種類に大別できる。原子間の結合様式にバリエーションが生じる理由は、原子核と電子の引き合いの安定性の違いにある。
原子は、陽子(+電荷)と中性子(0電荷)からなる原子核と、電子(-電荷)が電磁相互作用で互いに引き合い、電子が原子核の周りを超高速でぐるぐる回っているような構造をとっている。電子は原子核に束縛されない運動エネルギーを都合よく持っているので、太陽系の惑星と似たような理屈で、引力と遠心力が釣り合う立体軌道上に収まる。これを「電子軌道」という。
なお、先にも触れたが、電子軌道上の電子は電子雲と呼ばれる雲を形成しており、一般的には「粒子としてではなく状態不確定な雲(波)として振舞っている」と表現される。この不確定状態は、人間の脳内に観測情報がインプットされることで解除されることが知られている。理解し難いかもしれないが、素粒子には粒子性と波動性(エネルギーの中心点の空間単位は粒化し、中心点周辺の空間単位は粒化に至らず波化する性質)があるため、電子が粒子として軌道内をウロチョロすると、軌道内は波化した空間単位で満たされることになり、その結果として電子雲が形成される。
電子雲は原子間の結合で重要な役割を果たす。見方を変えると、電子が不確定なデジタル状態でなければ分子が形成されず物質世界も成り立たないということになる。物質世界は、アナログ的な物理に完全依存しているように見せかけて、現実にはデジタル的な設定がアナログを要所要所でサポートしている。
陽子を多く抱える原子は、同数の電子を抱え込んで原子全体としての電荷を相殺し、安定な状態に至ろうとする。だが、電子を抱え込む様式には物理的な制約がある。例えば、最も原子核に近い軌道は1s軌道と呼ばれるが、一つの軌道形態で抱え込める電子の総数は2つで、それ以上を抱え込むと電子間の-電荷の斥力によって電子が軌道から弾かれる。多くの電子を抱え込むためには、p軌道やd軌道、f軌道等々といった各種軌道を追加していく必要がある。
だが、軌道を単純に追加することで原子核が電子を完璧にキープできるかというと、そう簡単な話でもない。
例えば、各種軌道は、1つの電子で形成されるよりも2つの電子で形成される方が安定化することが知られている。軌道の維持には電子ペアの間に働く適度な斥力が重要らしい。だが、原子が持つ電子の数がそもそも不足しているような場合、全ての軌道を2個の電子で満たして安定化することができない。この状態は、軌道の「開殻状態」と表現される。
開殻状態の軌道を持つ原子は、他の開殻状態の軌道をもつ原子と電子を共有し合うことで自らの軌道を安定化しようとする。この現象により、原子間には結合力が生まれて分子が生じる。この結合様式は電子の共有にちなんで「共有結合」と呼ばれる。
一方、開殻状態の不安定な軌道では、遊離の電子や他の原子の電子が入り込んだり、電子が脱落したりする。電子が開殻軌道に入り込んだ場合、原子は-電荷が付加されて陰イオンとなる。逆に、電子が開殻軌道から脱落した場合、原子は原子核の+電荷が優勢になり陽イオンになる。ちなみに、陰イオンと陽イオンの間の電子の共有を介さない電磁相互作用による結合は「イオン結合」と呼ばれる。
重要なのは、同じ開殻状態の軌道を持つ原子であっても、電子を取り込み安定に維持しやすい原子 (陰イオンになりやすく、イオン結合を安定に形成しやすい原子)、電子が脱落しやすい原子 (陽イオンになりやすく、イオン結合を安定に形成しやすい原子)、安定な共有結合を形成しやすい原子 (原子間で共有された電子の引き合いの均衡を絶妙にキープしやすい原子)、不安定な共有結合を形成しやすい原子(原子間で共有された電子の引き合いに不均衡が生じやすい原子)が存在するということだ。
その原理は、原子核の「有効核電荷」の大きさ、電子軌道の形状、電子軌道間の斥力バランス等々に依存している。
例えば、原子核から距離が離れた開殻軌道では、内側に存在する電子による遮蔽や距離的な影響により、原子核の+電荷の引力が減衰する。この原理・現象は「遮蔽効果」とも呼ばれ、各電子が感じる正味の原子核の+電荷を「有効核電荷」という。
有効核電荷は原子核の大きさの他、軌道の形にも左右され、外側に存在する軌道でも一時的に内側を通るような軌道では電子が原子核に引き付けられて安定化しやすくなる。また、軌道間に働く斥力のバランスも軌道の安定維持には重要で、同じ開殻軌道であっても他の軌道のバランスを支えている開殻軌道からは電子が脱落し難く、軌道間のバランスを乱す開殻軌道からは電子が脱落しやすい。
これらの原理を原子に当てはめると、陰イオンを形成しやすい原子は、原子核が比較的大きく、開殻軌道のバランスが比較的安定であるため電子を得やすい(電子親和力が高い)。他の原子と共有結合する場合においても、共有した電子を自らに引き付ける力が強い(電気陰性度が高い)ので、分子形成後も電荷が完全には相殺されずに不安定な結合となることが多い。このような、分子を構成する原子に部分的に生じる電荷は「双極子」と呼ばれ、分子間の電子の引き合いで双極子が生じる現象を「分極」という。
逆に、陽イオンを形成しやすい原子は、原子核が比較的小さく、開殻軌道のバランスが不安定であるため電子が脱落しやすい(電子親和力が弱い)。他の原子と共有結合する場合においても、共有した電子を自らに引き付ける力が弱い(電気陰性度が弱い)ので、分子形成後も電荷が完全には相殺されずに不安定な結合となることが多い。
【②】各原子における電子の安定性に関する性質は、原子核の大きさと電子の数によって周期変化することから「周期表」を用いて整理することができる。
●例1として、17族のハロゲン元素(F,Cl,Br,I,At)は最も陰イオン性の高い元素族として知られている。それぞれ1つの安定な開殻軌道を持ち、原子核(有効核電荷)も大きく、他の原子から電子を強奪できるので陰イオン化しやすい。また、内側の電子数が少ないほど遮蔽効果が薄れて有効核電荷が上がる原理から、フッ素(F)は他と比べてとりわけ陰イオン化しやすく他の原子との反応性も高い。
これに対し、1族(H,Li,Na,K,Rb,Cs,Fr)は最も陽イオン性の高い元素族として知られている。原子核 (有効核電荷)が小さく、1つの不安定な開殻軌道を持つため、他の原子に電子を奪われて陽イオン化しやすい。また、内側の電子が少ないほど有効核電荷が上がるので、水素(H)は他と比べて電子が若干脱落し難い。ただし、原子核が最小ということもあり、結局は他原子に電子を奪われてプロトンとして存在していることが多い。
なお、水素以外はアルカリ金属とも呼ばれ、金属体として存在しているものは水と爆発的に反応して強アルカリ性の化合物を形成することが知られている。イオン性の高さは反応性の高さと同義と見なしていい。
●例2として、酸素を含む16族(O,S,Se,Te,Po)は、17族に次いで陰イオン化しやすい。それぞれ2つのやや不安定な開殻軌道を持ち、原子核(有効核電荷)は中の上程で、他の原子とやや安定な共有結合を形成する。「やや安定」とは、電子を引く力が比較的強いため、形成された共有結合には強めの双極子が発生しやすいという意味で、とりわけ酸素(O)や硫黄(S)は生体にとっては強すぎず弱すぎない絶妙な反応性を持つ分子・官能基を形成する。
例えば、水分子(H2O)は酸素原子が水素原子の電子を絶妙に引き寄せることで分極しており、この電磁相互作用によって他の磁性を帯びた化合物を取り囲み水和することができる。
ちなみに、酸素(O)や硫黄(S)は、2つのやや不安定な開殻軌道を持つため内側の電子軌道と2種類の混成軌道を形成して安定化し、2つの原子と単結合を形成したり、1つの原子と二重結合を形成する。前者はsp3混成軌道と呼ばれ、三角錐状に延ばされた電子雲が2つの原子と単結合を形成する。後者はsp2混成軌道と呼ばれ、1つの原子と2つの軌道を共有する二重結合(σ結合+π結合)を形成する。
●例3として、炭素を含む14族(C,Si,Ge,Sn,Pb,Fl)は、誰とでも比較的安定な共有結合を形成できる中庸的な元素族として知られている。4つの不安定な開殻軌道を持ち、原子核も比較的大きく、特に内側の電子が少ない炭素(C)は他の多くの原子と電子を安定にシェアしやすい。
炭素(C)やケイ素(Si)は、酸素や硫黄のように内側の不安定な軌道と3種類の混成軌道を形成して多様な共有結合を生み出すことが知られている。1つ目はsp3混成軌道で、三角錐状に延ばされた電子雲が4つの原子と単結合を形成する。2つ目はsp2混成軌道で、2つの原子と二重結合(π結合+σ結合)を形成する。3つ目はsp混成軌道と呼ばれ、1つの原子と三重結合(π結合×2+σ結合)、1つの原子と単結合を形成する。
また、炭素は、原子核(有効核電荷)が比較的大きく内側の電子の遮蔽も少ない一方、陰イオン性が高いという訳でもないので、自分自身との共有結合も安定に維持できる性質がある。このことから、安定な炭素鎖 (短鎖、長鎖)を形成しやすく、これを応用して複雑な構造物や同素体を多数生み出すことができる。炭素のこのような性質は「カテネーション性」と呼ばれる。
結論、炭素が自然界において特別な位置づけにある理由は、他の原子達との共有結合の相性の良さ、結合できる原子の数の多さ、結合のバリエーションの多さ、自分自身との結合の安定性の4つに集約される。
●最後、蛇足になるが、2族(Be,Mg,Ca他)、15族(N,P他)、18族(希ガス)については上述の元素族よりも比較的安定であることが知られている。2族と18族は閉殻状態で、15族については3つの開殻軌道が互いにバランスを取り合っているため状態が安定化しているためだ。一方、13族(B,Al他)についてはかなり特殊で、内側の不安定な電子(2s軌道内の電子)と外側の電子がsp2混成軌道を形成し、3つの開殻状態の軌道が生じている。だが、原子核(有効核電荷)が小さいため、特にAl以降の元素は開殻軌道から電子が脱落して三価の陽イオンになりやすい。ちなみに、似たような理屈で、2族のMg以降の元素も2s軌道内の不安定な電子が脱落して二価の陽イオンになりやすい。
【③】以上、整理事項が多くなった割には省略箇所が多い雑な要約になってしまった…。電子数が比較的少ない1~2族、13~17族については、自然界における存在量が比較的多く、化学的特性も豊かで、有機生命の基材になっているものが多いので押さえておくべきだろう。
ちなみに、原子の電子数が多くなると、外側の電子が原子核の束縛を逃れて自由電子として振舞うようになり、元素が金属性を帯びていく。自由電子を介した原子間の結合は「金属結合」と呼ばれ、化学結合の中では最弱の結合力として知られている。希少で重く、共有結合性に乏しい素材は、軍事的・工業的には非常に有用でも生命体の体内では使い道がかなり限られてくる。
陽子、中性子、電子の数の違いだけで、これほど複雑なシステムが出来上がり、様々な化学的性質を持った物質が多数生み出されるまでに至っていることには正直驚かされる…。
アナログの奇跡が重なりに重なって生まれた物質世界の元素バリエーションだが、それも結局、Xが素粒子の各種設定を緻密に逆算して決め打ちしているのであれば、原子パラメーターの精巧なシステムについても納得がいく。
雑に整理できない原理が多いのもXの策謀に違いないな…。
とてつもなく面倒だが、次いで、地上に有機生命の基材をもたらした隕石や、隕石中の有機化合物の由来についても補足整理していく。