Episode 12. ドッペル
「君は心根の優しい人間だね。物質世界で他者から受けた被害や恩恵等々は、彼岸に渡った後に何らかの形で精算することになるから、それで最終的に帳尻が合うような仕組みにはなっているのだけれど。己が矜持として、他人の善意に筋合いなく甘んじることに大きな抵抗を感じるというのは、精神性に長けた情報体の特徴でもある」
そんなことはないと僕が完全否定すると、彼女は満面の笑みを浮かべて僕の頭を犬っころのようにワシワシと撫でた。彼女は、情報体としては僕より圧倒的に格上の存在なのだろうが、外見的にはどこからどう見ても二十歳前後にしか見えない。傍から見ればかなり際どい絵面だろう…。
自分の受けた被害や恩恵等が、彼岸においてどのような形式で精算されるのかは気になるところだったが、彼岸での経験は僕に与えられた重要な機会の一つであるが故、詳細なネタバレは流石に教えてもらうことができなかった。先ずは現地に赴いて実際に体験し、感情や考察をある程度巡らせた後、必要に応じて情報提供等の支援を得るという流れが僕自身にとってもシステム側にとっても好ましいということだ。
先程、神仏に関する話題が出た流れを汲み、百聞は一見に如かずということで僕たちはベンチを後にして、都心で有名な観光地にもなっている神社へと赴いた。当該神社は、数千年前からこの辺一帯の土地を統治していた大精霊を主祭神として祀っており、僕自身、生前に何度も参拝させていただいたことがある馴染みの神社だった。
リサは一の鳥居の前で立ち止まり、厳格な礼儀作法に乗っ取って深々とお辞儀をした後、挨拶的な口上を含む祝詞のようなものを唱えた。神社仏閣での基本的な作法は朝霧から叩き込まれていたので、僕も似たような作法に則ってリサの後ろに続いた。
御神前の前に立つと、社殿奥に祀られた御神鏡から小さな発光体が飛び出してきた。翼の生えた小さな精霊のシルエットのように見えなくもないが…形が相当歪だ。白色と青色の間をグラデーションで行き来しているような不思議な発光色をしている。精霊体アバターは形状が固定されていないのだろうか?
それにしても、どこかで見覚えのある姿だ…。
そういえば昔、朝霧から見せてもらった神社仏閣の写真の中に似たような存在が写っていた覚えがある。朝霧は精神を相当病んでいた時期に、礼儀作法に反する無礼な行為であることを承知の上で、神仏の存在を確かめるために実験的に神社仏閣の境内の写真を撮らせてもらったことがあったそうだ。
その結果は朝霧の予想を大きく上回るものだった。翼の生えたような歪な形をした発光体が連続写真の中で様々な色調に変化しながら移動する姿が映し出されていたり、鳥居から空間を渦巻き状に歪めるようにして半透明の何かが飛び出してきている様が映し出されていたり…。僕が思わずサービスショットにも程があるだろとツッコミを入れた程だった。
今思うと、朝霧がこの世界に神仏的な存在が実在しているという前提で生きるようになった背景には、そのような数多くの実験に基づくエビデンスがあったというわけだ。
「二人とも、ようこそお越しくださいました」
リサと同伴しているせいだろうか。発光体は僕達を丁寧に労ってくれた。音声とも表現しがたいその声は、空気の振動を媒介とせず直接脳内にメッセージを送りこまれたような不思議な感覚として僕に伝わった。
「お久しぶりです山王様。今日は彼の後学のためにこちらに参拝させていただきました」
「彼の事は生前から存じておりますよ。あのような形で命を落とされたことが残念でなりません…。せめてもの手向けにと思い、こちらを用意させていただきました。よろしければお受け取りください」
山王様は、僕のために事前にお守りを準備してくれていたらしい。生前から親交を深めていた証だという。リサの説明曰く、そのお守りには山王様の精霊体のコピーが込められており、僕が物質世界に留まっている間、可能な範囲で僕を命の危険から守ってくれるのだという。
思いもよらずKamiのご加護を賜ることとなり、僕は土下座で感謝を伝えた。
帰り道でのリサの説明によると、精霊体も情報体の一種であるが故、当該仮想情報空間の中においては自分自身の一部または全てをコピーして様々な対象に宿らせることが可能だという。いわゆる分霊現象というやつだ。ご神体やお守り、各地に点在する神社仏閣に自分の分身を割り振っておくことで、精霊体は人間側が想定するKamiとして振舞うことが可能になる。
同様にして、生きた人間であっても無意識のうちに分霊と似たような現象を引き起こすことが知られているという。典型的な事例を挙げると、仕事に囚われすぎるあまり、日夜職場に出勤し続ける分身体を作り出したり。心の底から憎んでいる相手に対して、自分の分身をけしかけたり。自分の人生が苦痛になりすぎて、日常から逃避したもう一人の分身を作り出したり。
これらは、いわゆるドッペルゲンガーや生霊として知られている。
また、独立して活動できるほどの分身体ではないものの、自分にとって思い入れのある物に自分の一部を無意識に宿してしまうような場合もあるという。典型的な例を挙げると、世の中にはサイコメトリーと呼ばれる能力を持ったサイキックが実在するらしいのだが、彼らは物体に宿った対象の意識情報から必要な情報を取得しているらしい。また、呪いの刀や呪いの椅子といったような呪物の類は同様の仕組みで生み出されることが多いのだという。
本人から切り離された分身体は、本人が死んで彼岸に渡った後も物質世界に留まり続けることが多いらしい。それらを考慮に入れると、死の定義が相当あいまいなものになってくる。
仮に、肉体アバターから情報体が完全に開放された瞬間を<死>と定義するとしよう。この前提において、肉体本体の生命活動は完全に停止したものの、ドナー提供した肉体の一部や実験に供された細胞株はまだ生きて世界に存在しているといったような特殊ケースにおいては、当人の死を完全に確定することができないように思える。
また、肉体に固執する必要が無いのであれば、僕が生み出した作品や数々の思い出が物質世界に残り続ける限りにおいて、物質世界における僕の死は完全には確定されないようにも思う。
いや、個人的にそう思いたいだけなのかもしれないが…。
リサと別れる最後に、僕が今現在ドッペルを作り出してしまっていないかどうかがどうしても気掛かりでリサに尋ねてみた。本体と切り離されたドッペルが物質世界に取り残されてしまうという状況は、僕の心に刺さるものがあった。
生前においてドッペルを作り出してしまっている可能性ももちろんだが…。何を隠そう、今現在の僕自身も、この世界に対する未練が相当湧いてきてしまっている状況だし、それに比例するように僕を惨殺した犯人を憎む気持ちも相当膨れ上がってきている。自分がドッペルを作り出していないとは断言できない状況だった。
僕の嫌な予感は当たった。
リサの答えは<僕のドッペルは現時点で複数体存在している>というものだった。
複数体…?一体じゃないのか…?
僕は思わず頭を抱えた。
僕は僕自身の哀れな分身体をこの世界に残したまま彼岸に渡ることになるのだろうか?
いや…勘弁してほしい…そんな非情なことができるわけがない…
これが自己愛というものなのだろうか?自分に対する明確な愛情を意識したことなど今まで皆無だったのだが…最近、悲惨な境遇に揉まれ過ぎたせいだろうか。僕の心には、いつしか自分自身に対する不思議な感情が芽生えていた。