Episode 0. はじめに
もし、この世界に死後世界が実在していると仮定した場合、僕達の目の前に広がる世界は一体どのような仕組みで成り立っていることが予想されるだろうか?
僕は物理学者でもスピリチュアリストでもない。そのような取り留めも無い疑問に空理空論を巡らせるくらいなら、現実世界について詳しく知る努力をした方がよっぽど建設的だ。僕はまだ若い。自分の死後について深く真剣に考える年でもないだろう。そう思いながら、目の前の現実に囚われた盲目的な日々を過ごしていた。
だがしかし。そのような楽観的な予想に反して、僕を取り巻く環境はある日を境に突如として激変することとなった。享年二十八歳という短い一生を終えた僕は、今まさに、死後世界と思しき状況に直面していた。
白い布が被せられた自分の遺体。それを前に立ち尽くす自分。僕の日常では有り得ないシチュエーション。これはどういう状況なのだろう。誰か説明して欲しい。周囲の人間に必死で助けを求めても、どういう訳か、誰も僕の存在に気付いてくれない。そればかりか、相手に触れる事すらできない。僕は死んだのだろうか?悪夢を見ているのかも知れない。夢であって欲しい。だが、夢にしては余りにもリアルが過ぎる。事件発生から既にかなりの時間が経過しているが、全く目覚める気配がない。もはや、この状況を現実のものとして受け入れるしかないのだろうか?
僕は、絶望を通り越して頭が真っ白になった。
自分が今日死ぬなんて、数時間前まで全く考えもしていなかった。
だったら、ここにいる僕は一体何者なのだろうか?
混乱の最中、僕は不意に、とある変わり者の友人・朝霧 司との会話を思い出した。彼は、僕の大学時代からの友人で、科学系の話題に詳しい根っからの理系男子だ。彼は、僕よりも五年ほど年上であったことや苦労人だったこともあり、学生時代には僕の知らない興味深い知識や経験を沢山語り聞かせてくれたものだった。
僕は、そんな彼と死後世界の存在について何度か深く語り合ったことがあった。彼は、心霊体験や不思議体験を何度も経験しており、死後世界について肯定的なスタンスの人間だった。その世界観はかなり特殊で、死後世界が存在することを前提とした場合における世界の構造メカニズムについて、様々な科学的考察を巡らせていた。中でも、僕が印象深いと感じたものが超ひも理論とメタバース宇宙論を融合させた世界モデルだった。
僕達が生きる物質世界は、少なくとも数千万種類以上の化学分子から構成されていることが知られている。分子は原子から構成されていて、現在、少なくとも百十八種類の原子が存在することが知られている。さらに、原子は少なくとも十七種類の物質素粒子から構成されることが知られている。素粒子とは、現在の人間の技術水準で知り得るところの物質の最小単位だ。物質の構成単位は分解していくほど段階的にシンプルなものへと近づいていく。では、もし仮に、技術的な制限なく物質の構成単位を掘り下げていけるとした場合、最終的にはいったいどのような代物に辿り着くことが予想されるだろうか?そのような疑問に対して、物質世界はたった一種類の構成単位から生じたものと仮定する物理学的理論が存在する。いわゆる<大統一理論>と呼ばれるものだ。
たった一種類の最小物質がどうやって多様な素粒子を形成し得るのか?最も有り得そうな可能性の一つとしては、最小物質は単体で様々な種類のエネルギー(例えば振動パターン)を保有できる何かであるというパターンだ。それは通常の物質の概念を遥かに超えた非通常物質的な代物と言えるが、敢えて身近なイメージしやすいもので例えるならば<ひも>のような多様な振動パターンを形成できる振動子のような性質を備えたものと考えられる。これが、いわゆる<超ひも理論>と呼ばれるものだ。
超ひもは、大きさほぼ0の振動子として仮説されており、形状(線状、輪っか状)や振動パターンのバリエーションによって複数種類の素粒子に化ける性質を備えているとされる。しかし、この場合、僕達が今居る三次元+時間の四次元空間では、全種類の素粒子を満足できるだけのエネルギーパターンを表現できないという物理的な問題が生じる。この問題を解決するためには、超ひもの振動方向が少なくとも十次元以上必要になるという。
この条件を満足する空間モデルとして、科学者は三次元空間を連続的な一塊のものとするのではなく、小さな空間単位が三次元に敷き詰められた断続的なものと仮説付けた。例えるなら、テレビ画面のピクセルが三次元方向に配置されたようなイメージだろうか。テレビを見ている観測者からすれば、テレビに映る映像は連続的に動いているように見える。だが実際は、テレビ画面に敷き詰められた小さな光源が明滅することによって映像が連続的に動いているかのように錯覚させられているにすぎない。これと似たようなことが実際の空間でも起こっている可能性があるということだ。このような断続的な空間モデルの概念は、宇宙規模の観測系において確認されている空間の膨張性や歪曲性等の特性を説明する上でも非常に都合がいい。
空間単位は、十次元以上の方向性に折り曲げられた折り紙のような構造をしており、カラビ・ヤウ空間モデルのような多種多様な構造をとっていることが考えられる。個々の空間単位には、超ひもが固定化されており、超ひもが外力を受けて十次元以上の方向性に振動することで特定の素粒子が発生するという仕組みだ。
正直、何を言っているか分からないだろうが、物質世界の仕組みを比較的矛盾なく概念的に説明しようとすれば、このような形になってしまうということだ。これほど複雑な仕組みを前提としなければ物質世界をモデリングできないということは理解してもらえたと思う。僕達は物質世界のことを本質的には何も知らず、ましてや物質世界の外側に存在している非通常物質的な何かについての詳細など到底知り得ようもない。実際、素粒子レベルのミクロな世界では、科学者達の期待を簡単に裏切るような不可解極まりない現象が多数観測されている。
例えば、有名な事例として二重スリット実験のパラドックスが挙げられる。素粒子には、粒子性と波動性という二つの性質が備わっていることが知られている。二重スリット実験において、二重スリットの一方の穴に一粒の電子を通過させ続けると、後方のスクリーンには何故か干渉縞が現れることが知られている。この結果は、一粒の素粒子が二重スリットの両方の穴を同時に通過し、波のように互いに干渉し合っていることを示唆している。素粒子のこのような物質を凌駕する性質は、前述の超弦理論の派生概念から説明することができる。空間単位に固定化された超ひもが素粒子化する時、周辺の空間単位に固定化された超ひもにも振動エネルギーが波のように伝播すると考えるのだ。この場合、振動の中心に位置している超ひもは粒子+波として振舞うが、周囲の超ひもは粒子としての性質を得られず、波の性質だけを受け継いで残渣のように振舞う。また、波の干渉によって振動が強められたポイントでは、超ひもが粒子の性質を帯びて素粒子が発生する。ただ、問題なのは、観測者が素粒子がスリットを通過する瞬間をリアルタイムで観測した場合、素粒子の波動性が何故か失われるという奇妙な現象が起こることだ。この不可解な現象を<観測問題>と呼ぶ。観測することで素粒子の性質が変化するという怪奇現象の原因は今もなお不明であり、現在においても「電子がどちらのスリットを通過し,どちらの経路を通ったかの情報が観測者の脳内で不足している場合においてのみ干渉縞が発現する」というバーチャルチックな解釈がなされている。このように、観測しない自然状態において素粒子の実態は不確定であるという事象は<ハイゼンベルクの不確定性原理>として知られている。
素粒子の実態の不確定性は、原子の周りに形成される電子雲の中の電子の位置座標についても当てはめることができる。物質世界を構成する分子は、原子どうしが化学結合により結びつくことで形成される。化学結合の一種である共有結合は、原子同士が互いの電子を共有することによって結合力が生み出される。電子は、原子核の周りを一定の軌道で飛び回っており、電子雲と呼ばれる残像の雲を形成している。電子雲の中の電子の位置座標は、観測されない自然状態においては不確定であり、観測した場合においてのみ具体的な位置座標を見出すことができる。つまり、原子核の周りの電子は粒子ではなく雲として振舞っていなければ、従来の物理法則を構成し得ない。位置座標の不確定性が必要不可欠ということだ。
極めつけは、量子もつれ現象だろう。素粒子は、真空から極稀に自然発生することが実験的に知られている。真空中では、互いに相反する磁気モーメントを持った二対の仮想粒子が一時的にエネルギー保存則を無視して生成し、これらが結びつくことで対消滅して結果的にエネルギー保存則に従うというような現象が無際限に繰り返されている。これは、スピン角運動量保存則とも呼ばれている。スピンとは球体の自転を表現した概念で、素粒子が球形であることを前提にしているが、超弦理論において素粒子は球形ではなくひも的振動子と仮説されているため、素粒子がどのように磁気モーメントを獲得しているのかは実際明確でない。真空から生じた二対の素粒子は、正と負の相反する磁気モーメントをそれぞれが有している。しかし、観測されない自然状態においては全ての素粒子は正と負の両方の磁気モーメントを有しているかのように振舞っている。つまり、運動量が不確定な状態でなければ、従来の物理法則を構成し得ない。さらに奇怪なことに、相反するABの素粒子の一方のAのみを観測した瞬間、例に習って素粒子Aの不確定だった磁気モーメントが正負のどちらかに定まる訳だが、この時、何故か観測していない対称性粒子Bにも観測の影響が何故か伝播して磁気モーメントが瞬時に定まることが知られている。AB間の観測の影響は、どれだけAB間の距離が離れていても光速を超えて一瞬で伝播される。このような素粒子間の不思議な遠隔作用は<量子もつれ>と呼ばれており、素粒子が何らかの非物理的な媒介を介して観測の影響を互いに情報共有している可能性を示唆している。
このような、素粒子のバーチャルチックな性質が意味することとは何だろうか?
あの時、朝霧は、僕達の物質世界は仮想情報空間である可能性を排除することができないと言っていた。僕は頭を抱えて項垂れた。僕は今まさに、幽霊と呼ばれる情報体として、この場に存在している可能性があるということか…。
仮にこの世界がメタバースなら、素粒子の不確定性然り、ダークエネルギー、宇宙開闢、重力、ブラックホールの情報パラドックス、対称性の破れ、パラレルワールド、多元宇宙、余剰次元、タイムトラベル、地球誕生、月の誕生、物質生命の誕生、人類の進化、世界五分前説等々、もはや何でもありだろう。
まさかとは思いながらも、正直嫌な予感がした。最悪の場合、僕は得体の知れない何かによって人生の初めから終わりまで騙されていた可能性も捨てきれない。
いや待て。僕はただの凡人だ。朝霧であればまだしも、僕の小さな頭で考えたところで、真実に辿り着くとは到底思えない。誤った深読みをして無駄に不安を増幅させるだけだろう。もう疲れた…。止めだ止め。家に帰ろう。
僕は物体に触れない体でなんとか家へと帰り着き、暗闇の部屋で窓の外を無心で眺めながら時間を潰した。分かっている。これほどの異常事態の中で、延々と現実逃避し続けて何もせずにいるにもいかない。時は無情に流れていく。後手に回れば問題が悪化するかもしれない。
結局、僕には選択肢がなかった。
不本意ながらも、僕はこの世界の情報を集めるために第二の人生の物語を紡ぎ始めた。