公爵令嬢に婚約破棄をされて、破滅した英雄が元鞘に収まるまでの物語。
ユリウス・ハルド将軍は人生の絶頂期にあった。
隣国との戦に勝ち、その戦果によって国王陛下から褒美を貰い、王宮へ出向けば、夜会で女性達からチヤホヤされ、男性達からは羨望の眼差しを浴び、怖い物なんて何もなかった。
銀の髪に紺碧の瞳の彼は容貌も美しく、剣技にも優れ、博識でおまけにダンスも上手で、欠点等何もなかったのだ。
そんな彼の人生が転落したのは、一人の公爵令嬢から婚約破棄された時からだった。
エルデシア・ミルデウス公爵令嬢18歳。
ミルデウス公爵は王国の宰相を勤め、権力の頂点にいる男だ。
その娘、エルデシアは本当は王族に嫁がせたかったのだが、残念ながら王家に似合いの年頃の男性はいなかった。今の国王陛下は30歳。既に他国から王女を妻に迎えていたのだ。
そこで白羽の矢が立ったのが、英雄ユリウスである。
歳は25歳。
戦が終わった彼に押し付けられた婚約者がエルデシアだった。
一人の女に縛られたくない。まだ自分は若いのだ。
やっと戦が終わったのだ。
お金もあるし、もう、のんびり気ままに生きていきたい。
それにエルデシアはきつい女だった。
「わたくしは貴方の婚約者になったのです。ですから、婚約者扱いをしっかりとして下さいませ。」
何度、夜会で注意された事か。
しかし、ユリウスはそんな彼女がめんどくさく、エスコートもせず、他のチヤホヤしてくれる令嬢達と仲良くしていた。
ユリウスの態度の悪さに、ついにエルデシアが切れた。
「婚約破棄させて頂きます。貴方には失望致しました。」
「それは上等。私は結婚したくはないのだ。婚約破棄でも何でもするがいい。」
その日から異変が起こった。
夜会へ行っても、令嬢達が近寄って来ない。
皆、遠巻きにしてこちらを見ているだけなのだ。
あまりにも酷い態度に、ユリウスから令嬢に近づいてみれば、皆、ササっと逃げてしまう。
どういう事だ?
エルデシアが婚約者の時にそのような事態になるのなら解る。
その時はエルデシアに他の令嬢達と仲良くするなとは注意されたものの、そのような事はなかった。
何故、婚約破棄され、フリーになった自分にそのような態度になったのだろう。
信頼なる商会にお金を預けて、利益を分配して貰っていた。
しかし、お金を返して来て、
「もう、ユリウス様とは商売はしない。」
と宣言されてしまった。
潮が引くように周りから人がいなくなり…
賃貸で豪華な屋敷を借りて暮らしていたのだが、出て行ってくれと大家に言われた。
お金はあるので、新たな屋敷を借りようとしたが、どこへ行っても断られる。
仕方が無いので宿に泊まろうと思ったのだが、宿からも断られた。
「いかに英雄様といえども、泊める事は出来ません。」
住むところが無くなってしまった。
仕方が無いので、自然公園のベンチで寝ていると、いつの間にか持っているお金が無くなってしまった。
盗まれてしまったらしい。
寒い…雪が降って来た。
冬が近い…
一体全体、何を間違えたのだろう。
一人の公爵令嬢から婚約破棄されただけなのに。自分は英雄のはずなのに。
この扱いはどうなんだ?
「英雄も見る影が無いわね。薄汚れた格好で行く所もないなんて。」
スっとベンチに座ったのは、自分を婚約破棄したエルデシア・ミルデウス公爵令嬢だ。
力なく腹を空かせてベンチの背にもたれかかっていたユリウスはちらりとエルデシアを見やる。
この女のせいで、このような目にあっているのだ。
絶対に降参してなるものか。
エルデシアは包みを広げて差し出してきた。
肉と野菜がたっぷり挟んであるパンである。
ぐうううううっと腹が鳴った。
「お召し上がりになって。お腹がすいているのでしょう。」
悔しいっ…ものすごく悔しい。でも。空腹には勝てなかった。
貪るように差し出されたパンを食べる。
ポットに用意させていた温かい珈琲を飲めば、胃に染みわたった。
エルデシアは雪がちらつくどんよりと曇った空を見上げて、
「もうすぐ冬が来るわ。無一文の貴方が生きていけるとは思えない。今なら許して差し上げても良くてよ。」
ユリウスは立ち上がる。
「飯は美味かった。有難う。だが、降参はしない。」
エルデシアは目を見開く。
「それでは死を選ぶというの?」
「いや、隣国へ行く。英雄である事を隠して、ユリウス・ハルドの名を捨てて、精一杯もがいて生きてみせる。」
「地獄の選択だわ。隣国ではユリウス・ハルド将軍を恨んでいる人も多くてよ。それでも行くの?」
「このまま、牙を抜かれたまま朽ち果ててたまるか。」
ユリウスは決意した。
絶対に生き抜いてみせると…
「エルデシア。有難う。私は行くよ。」
その日からユリウスは、ユリウス・ハルドの名を捨てて生きる事にした。
美しかった容貌もすっかり様変わりし、髭だらけで筋肉がモリモリついた男性へと変貌していったユリウス。
隣国へ行ったユリウスは、名をリュードと変えて、鉱山で必死に働いて生きていた。
この鉱山は良質な燃料になる石が採れるのだ。
鉱山の労働者には罪人が多く、強制労働として働いている人も多くいる。
「僕は廃嫡されてね。ユリド王国の王太子だったんだよ。一人の男爵令嬢に心を奪われて、婚約破棄をしてしまった。その罰により鉱山送りになったんだよ。」
そう言ったのは、ユリド王国の元王太子アレックだ。
一度、戦場でまみえた事がある。
だが、あまりにも様変わりしていたので自分の事がユリウス・ハルドとは解らなかったようだ。
アレックとは仲良く話をするようになった。
不思議な縁である。
戦場で一騎打ちをし、華々しく戦ったライバルが今はお互い落ちぶれて、こうして鉱山で働いているとは…
アレックは身体が細かった。
それでも、剣技が優れ王太子として戦場へ出向き、自分と一騎打ちを繰り広げる程の無理をしてきたのである。
ある夜、仕事が終わり、酒を飲みながら聞いてみた。
「どうして婚約破棄を?」
「ああ、公爵令嬢が嫌いだったから…強引に結ばれた婚約が嫌だったんだ。」
「同志よ。」
思わず手を握る。
「何故に同志っ?」
思わず自分の正体を話してしまう所だった。
「何故?公爵令嬢が嫌いだったんだ?」
「それは…貴族そのものが僕は嫌いでね。仮面を被って腹の探り合い。そういうのが嫌だったんだ。その点。男爵令嬢のアリアはとても素直で可愛らしくて…彼女を幸せにしてやりたい。そう思ってしまった。」
「それで、鉱山送りになってしまったんだな。」
「不思議だな。君とは以前、どこかで会った気がする。」
「気のせいだ。気のせい。」
疲れたようにアレックが横になる。
「ここの労働はキツい。僕はもう耐えられないかもしれない。そうしたら、崖に捨てられて下に住む魔物の餌になり果てるか。」
「後悔はないのか?」
「後悔はない。国王になれなかったが、僕は国王の器ではなかったから。弟の方が強かでしっかりと王国を発展させてくれるだろう。ああ、僕が婚約破棄した公爵令嬢は今は弟の婚約者だ。彼女もしっかりしているからよい王妃になるだろう。」
彼を死なせたくはない。
そう思った。
自分はいつでも出られる。
罪を犯してここに送られてきたわけではない。
だが、彼は…彼を背負って逃げるとなると、逃げきれるのか?
それでも…彼を死なせたくはない。そう思った。
「一緒に逃げよう。」
アレックは首を振った。
「そうはいかない。」
「それでも逃げよう。」
不思議である。戦場で何人もこの国の兵を殺してきた。
一騎打ちした時、互いに殺気を持って刃を交えた。
それでも今は…彼の事を助けたい。
彼を背負うと、ユリウスは山を駆け下りた。
体力には自信がある。幸いにも夜陰み紛れて見つからず、追っ手はかからなかった。
寒い…季節は冬なのだ。身を切るような寒さ。それでも彼の命を助ける為に逃げなくては。
しかし、逃げるといってもどこへ逃げる?
頼る相手で思いついたのが、不思議と例の公爵令嬢だった。
エルデシア…あの雪の日のエルデシアの事が忘れられない。
自分を破滅に追いやったエルデシア。
それなのに…
駆けて駆けて、夜道を駆けて、必死に国境を越え、ミルデウス公爵家へ向かって、やっとの思いで公爵家に着いた。
隣国は雪があまり降らないが、この王国は雪が降る。
雪が降る中、門の前で叫ぶ。背にはアレックを背負ったまま。
「私が悪かった。私の名はユリウス・ハルドだ。まだ私に想いがあるのなら、どうか、門を開けておくれ。」
背のアレックは弱っているようで、瞼を瞑っている。
門が開いて、中からエルデシアが出て来た。
「今更、何の用ですの?」
「背の男を助けてくれ。彼は隣国の元王太子だ。身体が弱って死にかけている。どうか、頼む。頼れるのが君しかいないんだ。」
「わたくしを愛しているから戻って来た訳ではなさそうね。」
「申し訳なかった。私が間違っていた。」
アレックを背負ったまま、両ひざをつく。
プライドも何もかも捨てて、地に頭を擦り付ける。
エルデシアは一言、
「門の前で死なれたら嫌だわ。許しはしないけれども、中へ入れて手当だけはしてあげる。」
アレックと共に中へ入れて貰い。アレックは医者を呼んで貰えた。
命に別状はないとの事。
ユリウスは安堵する。
エルデシアの懇願で、髭を剃って身なりを整え、夕食を共にすることにした。
二人きりの夕食。
エルデシアは優雅に微笑んで、
「貴方の事を許してはいないわ。貴方は隣国へ逃げたのですもの。そうね。わたくしは貴方が連れてきた男を助けて差し上げたわ。そのお礼に…わたくしの護衛になりなさい。」
「護衛か…」
「誰が貴方なんかを夫にするものですか。貴方はわたくしの護衛。あの男は頭がよさそうだから、屋敷で書類仕事でもさせてあげるわ。丁度、執事が助手を欲しがっていたから。いいわね。もう、逃がしはしないわ。」
「解った。面倒を見てくれるというのなら、有難い。精一杯仕えさせて貰おう。」
プライドは地に落ちた。
この寒い冬を、暖かく過ごせるというのなら、悪魔にだって頭を下げよう。
ユリウスはそう思えたのだった。
アレックの身体は回復し、この屋敷に世話になる事を伝えた。
「ここは…いつの間に国境を越えたんだ。それもミルデウス宰相の屋敷というではないか。」
「宰相は王宮に泊まり込んでいていない。ミルデウス公爵夫人は領地の方へ行っていて、ここには一人娘のエルデシア様しか滞在していない。だから、安心して養生に励むといい。身体が治ったら雇ってくれるそうだ。本国へ戻ればまた鉱山へ戻されるぞ。ここにいる方がいいだろう。」
アレックは頷いて、
「有難う。確かにそうだな。ここにしばらく世話になる事にしよう。」
護衛となったユリウス。どこへ行くにもエルデシアに付き従い、彼女を守った。
誰もユリウスの事を、英雄ユリウス・ハルド将軍だと気が付かなかった。
あまりにも様変わりしていたからである。
リュードと名を変えた彼はひたすらエルデシアの安全の為に働いた。
アレックもエリアスと名を変えて年老いた執事の代わりに、執事となり公爵家の為に尽くした。
そんな日々が5年程続き、エルデシア23歳。リュード30歳となったとある日の事。
ミルデウス公爵がエルデシアに話をしているのをリュードは聞いてしまった。
「いい加減にしないか。そろそろお前にも結婚して貰い、先々、この公爵家を継いで貰わねばならん。」
「お父様。わたくしは女公爵になり、誰とも結婚致しませんわ。」
「そう言う訳にはいかん。女公爵になるというのなら、婿を取らねばなるまい。別の公爵家の次男がよいか。目ぼしい男は売れてしまっているからな。年下になってしまうが、その方が扱いやすいだろう。」
そしてチラリとリュードの方を見て来た。
公爵は聞いて来た。
「リュードはどう思う。」
「どうと言われましても、私は護衛ですから。お嬢様のご結婚に口を挟む訳にはいきません。」
エルデシアはリュードに近づきその頬を思いっきり引っ張だいて、
「昔の気概はどうしたのよ。わたくしを振ってまで隣国へ行った気概は。わたくしの気持ちはっ…貴方の事が好きなのよ。ずっとずっと、好き。それなのに貴方は…。いいの?わたくしが結婚していいの?いつの間に、牙を失くしてしまったのよ。」
リュードの心は痛んだ。
「エルデシア様を頼った時からもう、私の牙は無くなりました。私の牙は貴方を害するものを排除する。それだけの為に今はあります。」
「意気地なしっ。」
執事になったエリアスが、
「私を助ける為に、牙を失くしたのだろう?いい加減に戻るべきだ。ユリウス・ハルドに。そして、エルデシア様と共に幸せになってくれ。私は傍でその姿を見守らせて貰おう。」
「エリアス…」
リュードはユリウスに戻る事にした。
「改めて、許されるならエルデシア。私と結婚して欲しい。」
「もう、とっくに許しているわ。愛している…ユリウス。」
ユリウスは愛しさを感じて、エルデシアを強く抱き締めた。
物凄く遠回りをした…今はエルデシアの事が愛しくて仕方ない。
ミルデウス公爵は満足そうに、
「英雄ユリウス・ハルド将軍がやっと我が公爵家の婿に来るか。長かった…まことに長かった。」
「公爵…申し訳ありません。」
ユリウスは謝る。
ミルデウス公爵は嬉しそうに、
「これでやっと私も孫が見られるというもの。目出度い事よ。」
翌月ユリウスはエルデシアと結婚した。
ユリウス・ハルドに名を戻し、エルデシアの入り婿になり、公爵家の為に尽くした。
エリアスも良き妻を迎え、公爵家の執事として一生尽くした。
ユリウスとエルデシアの間には可愛い子供達に恵まれ、孫を待ち望んでいたミルデウス公爵を喜ばしたという。
公爵令嬢が英雄を破滅させ再び手に入れるまでのお話 ―もう逃がしませんわ。―(エルデシア視点のお話があります)