093_狂気的な歓喜
物音ひとつ立てずに耳を澄ます。
しかし、聞こえてきたのは、夜風に吹かれてざわつく木々の音だけだ。
普通なら、近くには何もいないことを指摘するところだが、相手はシオンである。
彼女が何かを感じ取ったというのなら、黙って指示に従うべきだということをブレッグは理解している。
それほどまでに、シオンの感覚の鋭さを信用していた。
「まずいわね。しばらく姿を隠すわ」
言い終わるや否や、彼女の姿は霧のように散ってしまう。
「……は? いや、ちょっと待ってくれ!」
突然の出来事に唖然とするブレッグ。
彼女の不穏な言動に焦りを感じていた。
しかし、『理』が発動し続けており、再構築は続いていた。
シオンが手を止めていない様子から、ブレッグも幻を維持するために集中を続ける。
何が起ころうとしているのか考えていた時、背後から小屋の扉を開ける音が聞こえてきた。
「こんなところに隠れていたか。探したぞ」
思わず振り返ると、そこには継ぎ接ぎ男の姿。
心臓が締め上げられるような息苦しさをブレッグは覚える。
「んん? お前は確か、あの夜にもいたな。そうそう。お前のせいで千載一遇の機会を逃してしまったんだ」
気味の悪い男の笑みから目が離せないでいると、脳内でシオンの声が響いた。
――集中して。でないと、フィオラの身体が崩壊してしまうわ。
冷静な口調で告げるがシオンにブレッグは反発した。
――そんなこと言っても、あいつをどうにかしないと!
――優先順位を考えて。
「くそっ!」
ブレッグの集中が切れた瞬間にフィオラは死に至る。
継ぎ接ぎ男を対処したところで、幻が維持できなくなっては意味がないのだ。
急いでフィオラと向かい合い、幻を維持することに集中しだすブレッグだったが、内心はこれ以上ないほどに焦っていた。
「おい、貴様。そこの小娘に何をしている。治療か?」
「……」
ブレッグは黙る。
というより、どう答えれば正解なのかわからなかった。
――男に妨害されたら終わりだ。
――交渉でもなんでもして、時間を稼いで。
――できるのかよ。そんなことが。
シオンから指示され、ブレッグは男に背中を見せたまま口を開く。
「治療しているように見えるか?」
質問を質問で返す。
よくある時間稼ぎだ。
「見えるな。だが、治癒力を高める類の魔法ではなさそうだ。何をしているか答えろ。三秒以内に答えなければ殺す」
低い声には殺意が込められていた。
脅しているだけではなさそうだ。
「……彼女の身体を再構築している」
口外しないとシオンと約束したばかりだが、選択肢のないブレッグは苦虫を嚙み潰したような表情で答えた。
「まさか……そんなことが可能なのか?」
男の声は僅かに震えていた。
革靴がコツコツと音を立てながらブレッグに近付いてくる。
「人体の再構築なんてものは人の成せる技ではない。魔法というよりはむしろ……」
ブレッグの背中越しにフィオラの姿を観察した男は身震いした。
「おぉ……これは……素晴らしい。ひび割れた肌も、艶を失った髪も、失われた四肢でさえも、全てが元通りではないか! くく……くははははっ!」
男は突然笑い出し、狂気的なまでに歓喜する。




