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087_口約束


「あのとき、私はブレッグに殺された。だから、今の私は残滓そのものなの。こうして外側を偽ってはいるけど、力は何も残ってないわ」


 シオンの顔に空いた孔は広がり続け、パラパラと灰を散らしている。


「じゃあ、あの凶悪な力も……」


「私の持つ『理』のことね。当然使えないわ。だけど、生身の身体があれば話は別よ」


 生身の身体。


 そんなものを差し出せる人物はこの場に一人しかいない。


 シオンは微笑み、ブレッグに手を差し伸べる。


 嫌な予感にブレッグは寒気を覚えた。


「なにが言いたい?」


「うふふ」


 微笑みながら近づいてくるシオンに、ブレッグは後退る。


 笑うだけで何も喋らない――得体の知れない彼女を不気味に思う。


 狭い部屋では逃げ場がなく、すぐに追い詰められてしまった。


 眠りについているフィオラを庇うように、ブレッグはベッドの前で踏みとどまる。


 殴り掛かれば勝てることくらいブレッグは理解しているが、そうさせない凄みがシオンにはあった。


 蛇に睨まれた蛙のように瞬きすら出来ずに固まっていると、息が当たるほどの至近距離まで両者の顔は近づいていた。


 そして、耳元でシオンは囁く。


「私と一つになりましょう。あなたの身体を私にちょうだい」


 あまりにも衝撃的な提案に理解が追い付かず、シオンの言葉を反芻する。


 ブレッグが恐れていたのは自分の身体を失うことではない。


 フィオラのためならば死ぬことすら覚悟していた。


 ――俺の身体を差し出すだけでフィオラが助けられるなら答えは最初から決まっている。だけど……


 危機感を感じていたのは身体を失うことではなく、シオンに肉体を与えるということだ。


 しばらく固まっていたブレッグだったが、左手でシオンをぎこちなく押し返した。


 力の込められていない一押しだったが、シオンはふらつきながら壁に激突する。


 紙のように軽い身体に驚きながら、殺してしまったのではないかと心配になっていた。


 そう思わせるほど、シオンは弱弱しくてか細かった。


「お、おい。大丈夫か?」


「心配してくれるの? 優しいわね」


 突き飛ばした相手に投げかける言葉ではないと思うが、それよりもシオンが生きていることにブレッグは安心した。


 彼女が死んでしまっては、フィオラを助けることが不可能となるのだから。


 壁から背を離したシオンは変わらぬ笑みを浮かべる。


「私が怖い?」


「……あぁ」


「どうして?」


「俺の選択次第で大勢の命が奪われるかもしれないんだ。当たり前だろ」


 予想外の答えだったのか、シオンはきょとんとした表情を見せる。


「なんだ。そんなことね」


 『そんなこと』と言い換えられたことにブレッグは苛立ち、眉間を寄せて睨みつける。


 シオンは自分の胸に手を当て話を続ける。


「安心していいわ。もう二度と、人の命を奪ったりしないから」


「信じろっていうのか?」


「信じてもらいたいわね。私の目的はフィオラを助けること。無意味な殺人なんてごめんよ」


「……裏を返せば、意味さえ見つかれば殺人を繰り返すってことだろ。それも、躊躇することなく」


 ブレッグの追及にシオンは溜息をつく。


 そして、気怠げに、観念したかのようにシオンは答えた。


「……わかった。これから先、何があろうとも人の命を奪わないことを誓うわ。これでいい?」


 ただの口約束を信じるほどブレッグは騙されやすい性格ではない。


 しかし、嫌々承諾した様子から、約束を守る気はありそうだった。


 さらに言えば、付き合いは浅いが、約束事を容易く反故にするような性格ではないとブレッグは思う。


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