007_魔法陣は幾何学模様
「やっぱり聞こえてないのかな? おーい!」
「あ、あぁ」
咄嗟に出たその言葉にブレッグは言葉の選択を誤ったと思う。
この状況からして、少女に助けられたという事実は明白だ。
そんな命の恩人に対して相応しい態度ではないだろう。
ましてや、絶世の美女にはなおさら。
「――って、いや、違う、そうじゃなくて……」
言葉を訂正しようとあたふたするブレッグに対し、少女は優しく微笑む。
「よかった。聴覚は正常みたいね。派手に吹き飛ばされていたから心配したのよ」
笑顔にはまた別の美しさがあり再び目を離せないでいると、少女は魔物に向かって指さす。
つられてブレッグも魔物に視線を向けると、魔物の四肢を拘束していた蔦はさらに成長しており魔物の全身を覆いだしていた。
「ねぇ、こういう場合はどうすればいいか知ってる? この森のルールとか、地域の取り決めとか。悪いけど、私はここに来たばかりだから知らないの」
少女はブレッグへ意見を求める。
『こういう場合』とは人へ危害を加える害獣が出現した状況のことを指しているのだとブレッグは判断する。
「いつもは駆除して……ます」
少し幼い容姿をした――恐らく自身より年下であろう少女に向かって、ブレッグは無意識のうちに敬語で答えていた。
比類なき実力を見せられ、つい目上の人と話しているような感覚に陥っていたのだ。
「そうなのね」
小さく頷いた少女は魔物に向かって歩き出し、ブレッグの横を通り過ぎる。
そして、ブレッグと魔物の中間の位置で立ち止まると、少女を中心として嵐のように強烈な風が発生し、腰のあたりまですらりと伸びた薄緑色の髪が巻き上がった。
――これは、魔力だ。
普段から魔法と共に生活を送っていたブレッグは察知する。
それと同時に、個人の魔力を肌で直接感じ取れたという事実に驚きを隠せないでいた。
ブレッグは冒険者時代に、魔法の才能に恵まれた大量の魔力を持った魔法使いと共に活動していた時期があった。
すぐに別のパーティーからスカウトがかかり離れて行ってしまったが、目の前の少女と比べたら彼の魔力ですら陳腐に思えてしまう。
次に、少女は魔物に向かって右手を伸ばすと、小さな手のひらに光の粒子が集まり始めた。
淡い光を放つ粒子は規則性を持って配置され、ブレッグが気付いたときには巨大な魔法陣を象っていた。
魔法陣自体は少女の身長と同じくらいの大きさがあり、幾何学模様が幾重にも重なって構成されていた。
ブレッグは息を吞む。
魔法陣なんてものは噂で聞きいれた知識でしかなかった。
下位の魔法使いだったブレッグはそれを見る機会などなく、目の前の現象と噂で聞いた話が一致し魔法陣と結論付けていただけだ。
そもそも、魔法陣を扱える魔法使いなんて世界に数人しかいないという噂である。
この世に存在するかもわからないという意味では、伝説上の生物と大して変わらない。
「凄い……こんな魔法は初めて見る」
目の前で貴重な魔法が見れるのかと思うとブレッグは胸が躍る。
そして、高揚する気持ちと同時に恐怖心も強まりつつあった。
伝説とほぼ同義の魔法である。
それが発動された直後に何が起こるのか、ブレッグは想像もつかないでいた。
今は少女の後方にいるが、この位置が安全なのかどうかもブレッグにはわからないのである。
一滴の冷や汗を流しながら微動だにせず固唾を吞んでいると、少女は口を開く。
「すぐに終わらせるね」
慈愛に満ちた声だった。
優しく、愛おしく、暖かい。
強張っていたブレッグの表情が少し緩んだ次の瞬間、魔法陣が激しい光を放ち薄暗い森を明るく照らす。