005_燃え上がる毛皮と満身創痍の青年
「グアァァ!」
視界を取り戻した魔物はブレッグに殴りかかり、それを間一髪のところで回避する。
「くっ!」
食らっていたときのことは想像しない。
大きく避けすぎてしまったせいで崩れてしまった態勢を急いで建て直す。
隙は今しかない。
「はあああぁぁ!!」
踏み込んだブレッグは、がら空きになっていた魔物の横っ腹に右手の火球を叩きつけた。
腹部は激しい炎に包まれ、魔物は太い腕を振り回して再び炎から逃れようとする。
少しずつ後退していく魔物に対して今度は左手の火球で追撃すると、腹部で燃えていた炎はさらに強く燃え上がった。
「はぁ……はぁ……」
――これだけ連続して魔法を発動したのはいつ以来だっけ。
冒険者として活動していた全盛期ですら、1日に2、3発が限度だった。
その限界は既に超えており、さらに次の火球の準備を始めようとしている自分にブレッグは驚く。
――きっと少女がいたからだな。
いまブレッグが逃げ出してしまっては、あの少女が襲われてしまう。
「まだ……もう少し……」
魔力の欠乏により強い倦怠感に見舞われるが、意に介さないで両手に火球を構える。
そのとき、視界が一瞬ホワイトアウトしたブレッグはふらつく。
「あ……れ?」
酸欠の魔力版とでもいえようか。
咄嗟に足を開き重心を落としたことで、倒れることなく中腰の姿勢で持ち堪える。
「はぁ……くそ……」
こうべを垂れて肩を揺らしながら矢継ぎ早に呼吸していると、草を踏みにじりながら走る重い音がブレッグの耳に入る。
はっとして顔を上げると、そこには血走った眼で突進してくる魔物の姿があった。
炎が自身の身体を焼き焦がしていることなんて気にも留めていない。
巨体であるにも拘わらずその足は異常に速く、次の瞬間にはブレッグの眼前に迫っていた。
「しまっ――」
回避行動は間に合わなかった。
火傷を負った魔物の頭部がブレッグの腹部に思いっきり激突する。
メキメキといった鈍い音と共にブレッグの体は宙に浮かび上がり、勢いよく突き飛ばされた。
今までの人生で一度も経験したことがないほど強烈な突進だった。
周囲の光景が数回転したところで地面と激突し、そこからさらに何回か転がると樹木に背中をぶつかる形で停止した。
巨大な肉の塊を受け止めた樹木は枝を揺らし、数枚の葉が舞い落ちる。
「ぁ……ぅ……」
くの字の姿勢で悶えているブレッグは身動きが取れず、人の声とは思えないほど小さな声で悲鳴を漏らす。
骨なんかは何本折れていても不思議ではなかった。
それどころか、折れた骨が内臓に突き刺さっていたり、衝撃によって内臓が破裂している可能性すらある。
すぐに呼吸ができないことに気付くと、息苦しさから苦悶の表情を浮かべた。
「はっ……はっ……」
突進により圧し潰された肺は空気を求めて息を吸いこもうとするが、一向に肺は膨らまない。
口を大きく開けて出来るだけ多くの空気を口内へ取り込むが、喉元を通過することなく口内で滞留するだけだった。
パニックに陥りかけていたブレッグは、服の胸元に手を当てると強く握りしめる。
そのとき、追い打ちをかけるように胸に激痛が走った。
「っぐぅ! ……かはっ!」
激痛によって呻き声を上げた時、幸運なことに肺の機能は回復し新鮮な空気を取り込むことに成功する。
「はぁ……はぁ……」
胸が膨らまないよう浅い呼吸で息を整える。
――死ぬ。殺される。
ゆっくり、しかし迅速に腕で体を持ち上げると、震える足で片足ずつ立ち上がろうとする。
思うように力が入らず手間取るが、樹木に都合よく生えていた枝を掴み2本の脚で立ち上がった。
「いっつ……!」
強く歯を食いしばって胸の痛みを堪えながら、魔物と再び相対する。
そんな、満身創痍なブレッグの瞳に入ってきたのは再び突進して来ている魔物の姿だった。
燃えていたはずの炎は完全に鎮火しており、火球を打ち込んだ部位の毛皮も焦げてはいたが致命傷とはなっていない様子だった。
「ここまで……か」
察するしかなかった。
所謂、詰みという状況。
樹木に肩を預けているブレッグは立っているだけで精一杯であり、魔物の攻撃を回避する力は残っていない。