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055_心臓と刃先の距離


 天を仰ぐように胸を張って大笑いするシオン。


 ひとしきり笑い終わると、ブレッグに対して鋭い視線を向けた。


「その信頼に応えられなかったのは誰? 情けないことこの上ないわ」


「まだ……終わって……ない」


「終わりよ。クリスタも死んだし、フィオラも気絶している。この状況をブレッグ一人で打開できるわけないでしょ」


 シオンは周囲を見渡す。


 腹に大きな風穴を開けられたクリスタは口から大量の血を流して絶命しており、フィオラは樹木にもたれ掛かったままピクリとも動かない。


「この場に立っているのは私とブレッグだけ。あとはあなたを殺せば私の悲願は叶う」


「それなら……殺してみろ……」


 安っぽい挑発。


 だが、シオンはその挑発に乗ったのだろう。


 首を掴むシオンの手は周囲の空間に歪みを生じさせる。


「まるで死にたがりね」


「俺は……必ず……フィオラを……助ける」


「はぁ。来世ではもう少し身の丈をわきまえなさい。出来もしないことを口にしている人間はみっともないわ」


 聞き覚えのある言葉を発したシオンは、ブレッグに微笑みを向ける。


「さようなら」


 空間の歪みが強くなり、空気から光の粒子となって分解が始まったその時――


 ブレッグは隠し持っていた短剣でシオンの手首を切り飛ばした。


「え?」


 シオンから切り離された手はゆっくりと宙を舞う。


 ブレッグが握っていたのは刃こぼれのある使い古された短剣だ。


 所々錆が浮いたその短剣では、一般人相手でも手首を切り落とすことは厳しいだろう。


 しかし、現実として、事実として、シオンの手を腕から分断していた。


「うそ……」


 手首から先を失ったシオンは呆気にとられており、大きく開いた目で切り口を見つめている。


 シオンの動揺を好機と捉え、ブレッグでは心臓に向かって刃先を伸ばすが、なんの躊躇もなくシオンは前腕で受け止めた。


「くっ……そぉ……!」


 刃は前腕を貫くが、柄が腕に引っかかる。


 短剣に全ての体重を乗せて押し込もうとするが、石像のようにびくともしない。


 ブレッグの焦りは額を伝う汗となって現れる。


 早く止めを刺さなければ、シオンの手によって殺されてしまうことは確定していた。


「はああぁぁああ!!」


 ブレッグの筋肉は限界を超え悲鳴を上げるが、それでも全身全霊の力で短剣を押し込み続ける。


 全く変わることのなかった心臓と刃先の距離が、少しずつ近づいていき、胸に到達して一筋の血液を流す。


「ああぁぁぁ!」


 一心不乱に短剣を押し込んでいたブレッグの脳裏にフィオラの微笑みが映る。


 走馬灯のように流れる景色の中で、彼女は優しく笑っていた。


 そんな笑顔もここでブレッグが死んでしまっては永遠に失われる。


「…………はぁ……はぁ……」


 だが、力を出し切っても刃が心臓に届くことはなかった。


 握力を失いかけ、まともに短剣を握ることもできない。


 辛うじて短剣を落とさないように持っているだけの状態だった。


「惜しかったわね。何が起こったのかわからないけど、それはあなたを殺してからゆっくり考えましょう」


 いまだに繋がれている二人の手。


 ボロボロになったブレッグの右手と傷一つないシオンの左手が顔に近付く。


 ブレッグの視界に映ったのは歪み始めた世界であり、シオンが理を発動させる前兆でもあった。


 そのとき、強烈な咆哮が鳴り響く。


「ガァァアアア!」


 シオンの左手に噛みついたのは、鋭い牙の隙間から大量の血を流す異形の怪物――クリスタだった。


 ブレッグの顔に接近していたシオンの左手は引き剥がされる。


「……しぶとい。大人しく死んでしまえばよいのに」


「フゥー……フゥー……」


 腹に空いた大きな孔から血を流しながらも、ブレッグを殺させまいと必死に抵抗していた。


 そして、シオンの魔手が遠ざかったブレッグは強く歯を食いしばり、震える腕で短剣を再び押し込もうとする。


「痛ましい姿でよく頑張るわね。ブレッグも、クリスタも」


「…………」


「何があなたたちをそこまでさせるの?」


「信じてる……から……」


 それを聞いたシオンは冷ややかな視線をブレッグへ送る。


「ふーん。とても素敵な言葉。そして、愚かな人間ほど好んで使う言葉でもあるわね」


「…………」


「そうやって希望を抱いたまま死ぬといいわ」


「そうさせてもらうよ…………でも、今回は俺たちの勝ちみたいだ」


 次の瞬間、シオンの身体が短剣に引き寄せられ、心臓に刃が突き刺さった。


 傷口からは鮮血が勢いよく吹き出し、周囲の枯草を赤で染め上げる。


 シオンの腰に巻き付いた細い腕は背後から押されたことを意味した。


 ブレッグはシオンの背後にいる人物へ視線を向ける。


 その視線を追うように、シオンも背後を振り向く。


 そこにいたのは、シオンの背中に顔を埋めたフィオラの姿だった。


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