004_時間稼ぎを試みるが果たして
そのとき、少女がやっと目を覚ます。
「ふわあぁあ」
少女は気だるげにゆっくり上体を起こすとのんきに欠伸する。
ごしごしと目を擦る彼女は現在の状況を飲み込めていない様子だ。
「んー……」
両手を上げて伸びをすると、深く被ったローブの隙間から細く滑らかな薄緑色の髪が覗く。
ブレッグはそんな少女の可愛らしい振る舞いをただ眺めていることしかできなかった。
緊迫したこの場で迂闊な行動をとれないという言い訳もあるが、実のところはただ思考が停止していた。
「あー、良く寝た。少し横になっただけなのに、うっかり昼寝しちゃった」
寝起きのやや低い声すら庇護欲を掻き立てさせる魅力があった。
だがしかし、当たり前のことではあるがそんな魅力は魔物にとって何の意味もなさない。
「ウウゥゥ……!」
今にも襲い掛かろうとしている魔物は少女との距離をさらに詰める。
そして、寝ぼけまなこな少女はやっと臨戦態勢の魔物と目を合わせる。
「……ん? クマ?」
少女が首をかしげた次の瞬間、魔物は地面を力強く蹴りついに襲い掛かった。
「グルルァ!!!」
大きく開けた魔物の口は少女の頭部を丸ごと嚙み砕こうとする。
非常に鋭く尖った剝き出しの牙が少女に届こうかという間際――
「早く逃げろ!!」
ブレッグの掛け声と同時に、少女の眼前で魔物の頭部が業火に包まれる。
少女の白い肌を赤々と照らす炎の勢いは凄まじく、中心にいた魔物はあまりの熱気に飛び退く。
「グァァ……グウゥ……」
炎を振り払おうと魔物が暴れている隙に、ブレッグは再び至近距離で魔物の顔面に火球を叩きつける。
これこそがブレッグが使える数少ない魔法の中で最強の攻撃。
解説してしまえば、ただの火球を勢いよく投げつけるだけ。
大したことないのは重々承知しているが、有象無象にいる下位冒険者のうちの1人であるブレッグにはこの程度が限界だった。
とはいえ、毛皮に炎が燃え広がっている様子から、この魔物には効果があるようだ。
少女と魔物の間に割って入ったブレッグは、両手の上に炎を出現させて次の火球を準備する。
――たった一発で倒せるはずないよな。奴が倒れるのが先か、俺の魔力が切れるのが先か。
このまま火球を叩き込み続ければもしかするかもしれないと淡い期待を抱く。
手のひらの上で燃え上がっていた炎は次第に球体へと形を変える。
準備を整えたブレッグが魔物に向かって一歩踏み出したとき、背後から一本の指でつつかれた。
「あのー……」
少女の透き通った声が背中越しに聞こえてくる。
すぐ近くで魔物が暴れているにも関わらず、その声はとても落ち着いており焦燥や緊迫といった言葉とは無縁といった様子だ。
それよりは、初対面の相手への接し方がわからずにおずおずと尋ねているみたいだった。
少女は未だに現状を把握できていないのだとブレッグは判断する。
「時間を稼ぐから、走り出すんだ!」
ブレッグは振り返ることなく背後にいる少女に指示する。
「え? う、うん! でも一人で……」
「いいから早く!!」
この期に及んでまだ何か喋ろうとする少女をブレッグは遮った。
きつめの口調で言ってしまったことをすぐに後悔するが、そんな感情は無理やり振り払う。
後悔や反省なんてものはこの場から生還してからでも遅くはない。
どうやって生還するかという一点にのみ、今は思考を集中させる。
「……わかったわ」
言いかけた言葉を飲み込んだ少女は承諾すると走って逃げ出した。
すぐに足音は離れて行き聞こえなくなる。
「よし、あとは――」
少女が逃げ切れるまで、この魔物の注意を引き付けるだけだ。
どこまで時間を稼げるかわからないが、1分もあれば十分だろう。
魔物を常に注視していたブレッグは炎が消えかかっていることに気付く。
「どこまでやれるか……」