003_魔物とお昼寝少女
「うそ……だろ。なんだよ、あれ……」
樹木の影に隠れているブレッグは魔物に感づかれないよう細心の注意を払いながら観察を続ける。
四足歩行で歩いているその魔物はくすんだ灰色の深い毛皮に覆われており、手足には大きくて鋭利な爪が備え付けられていた。
そして、何よりも一番の特徴はその巨躯だ。
両手を地面につけた状態ですら魔物の視線の高さはブレッグと変わらなかった。
唯一幸運だったのは、この巨大な魔物が動物の死骸を食らうのに夢中になっていることだ。
死骸の腹部に顔面を突っ込み、肉を食い千切るだけでなく骨も豪快な音を立てて嚙み砕いていた。
頑丈な牙が生えそろった口の周りを血で濡らし、窪んだ眼孔の奥で丸い瞳を鋭く光らせるその姿はまさに化物と呼ぶのが相応しい。
「有り得ない……無理だ……」
目の前にいる魔物と同じ種族はいままで何度か討伐したことがある。
しかし、そのサイズはどれも小さく、元冒険者のブレッグが魔法を放てば簡単に仕留めることが出来ていた。
だが、今回は状況が違う。
あの屈強な腕でぶん殴られれば、一撃で腹を引き裂かれてしまうだろう。
ブレッグが強く握りしめている矮小なナイフでは何の役にも立たない。
いや、例えどのような武器がこの場にあったとしても仕留めることは不可能に違いなかった。
目の前にある死骸のように食い散らかされている自分の姿を想像したブレッグは背筋が凍りつく。
「早く逃げよう……。あんな化物と戦えるはずがない。街へ行って駆除の依頼をしないと」
街を嫌っているブレッグだが、今はそんなことを言ってられない。
これはブレッグだけの問題に収まらず、いつか必ず人的被害が起こることを確信していた。
今も食事に夢中になっていることを確認すると、ブレッグは中腰になり、ゆっくり後ずさろうとする。
一歩後退したその時、突然、魔物が低い唸り声で威嚇を始めた。
「グルウゥゥ……」
木の影に隠れていたブレッグの身体は反射的に硬直する。
――見つかったか!?
ここで気付かれてしまっては一巻の終わりだ。
全力疾走で山を下れば逃げ切れる可能性もあるが、あの太くて逞しい下肢が相手では望みも薄い。
今更になって、ブレッグは自身の危険察知能力が低すぎたことを後悔する。
飛び立つ鳥や草陰に向かって走り出す小動物は一匹もおらず、彼らは既にこの場を脱していたのだ。
すぐにでも走って逃げてしまいたい気持ちに駆られているブレッグだったが、恐る恐る木の影から顔を出して魔物の様子を伺う。
そして、目の前で起こっている予想外の光景に目を丸くした。
「は? なんで……」
信じられないことに、魔物が吠えて威嚇している先には人がいた。
魔物の凶悪な風貌にばかり目が行き気付いていなかったが、確かにそこには人間がいたのだ。
いや、もっと正確に言えば大木に寄りかかってすやすや寝ている少女だ。
フードの付いたローブで全身を覆っており胸の位置に花の装飾が飾ってある。
ローブが落とす影によって顔をはっきりと見ることはできないが、寝顔が可愛い少女だった。
「どうしてこんな場所に人が……」
誰も寄り付こうとしない山奥の森で人間に会うということなんて一度もなかった。
巨大な魔物が突如出現したことも異常事態だが、この森で眠っている彼女もまた異質な存在だった。
すぐ近くまで魔物が近づいているというのに少女は目を覚ます気配が全くない。
姿勢を低くした魔物は威嚇を続けながら、少女を中心に弧を描きながら少しずつ近づく。
ブレッグの頬を冷や汗が伝う。
このままでは確実に魔物の餌食となってしまうだろう。
かといってブレッグが出て行ったところで何ができるというのだ。
魔物が少女の側面まで移動したとき、後ろ脚で立ち上がりひと際大きな唸り声を上げる。
「ゴアアァアアア!!!」
鼓膜が破れるのではないかと思うほど大きすぎる声量が、周囲の空間を振動させるのを肌で感じ取る。




