026_乾いた血痕と殺人鬼
やがて、敷地から脱出できたブレッグは、民家に背を向けて深呼吸を繰り返す。
「はぁ……はぁ……」
極度の緊張感から予想以上に体力を消耗していたのだと気づかされる。
――どうして、なんで、誰が……
ブレッグが知る限りでは、ガフナス村は差別や事件とは無縁の村だった。
村人同士が協力し助け合う、一言で表せば平和の象徴のような村。
やや排他的な面も持ち合わせていたが、それは自己防衛のためである。
これほど残虐な事件が起こる理由なんて何一つ思いつかない。
呼吸が整ったブレッグは村全体をざっと見渡す。
――それより、さっきから人の姿が全く見えていないということは既に……
最悪の事態が頭をよぎる。
もとから人の少ない村ではあるが、畑で農作業をしている人も見えないというのは明らかに異常だった。
その事実に気づいたブレッグは村の静けさが恐ろしくなる。
風の止んだ今、砂を踏みしめるブレッグの足音だけがやけに大きく聞こえた。
――早くこの村から逃げないと。いや、フィオラと合流するのが先か。
大きく息を吸いこんでフィオラの名を叫ぼうとするが、すんでのところで思いとどまる。
――駄目だ。殺人犯がどこにいるかもわからない。このまま声を上げたらそいつを呼び寄せるかもしれない。
血痕は乾いていたが、だからといって殺人犯が遠くにいるという根拠もない。
殺人犯が村に潜んでいるとしたら、フィオラだけを探すことは不可能である。
「今はこの村から離れ――」
そのとき、キィという木材同士が擦れあう高い音が鳴り、ブレッグの鼓動は跳ね上がる。
首だけ振り向くと、音の発生源は畑を挟んだ隣の民家だった。
真っ直ぐ開くことのできない古びた扉は、耳に残る嫌な音を発しながらゆっくりと開いて途中で止まる。
次の瞬間、民家の中から扉の端を掴んだのは血で濡れた細くて華奢な指だった。
その指が掴んだ箇所の木材は血で染まり、扉を伝って一筋の線となる。
そして、なかなか開こうとしない扉を力強く何度も乱暴に押すと、扉はミシミシと叫び声を上げた。
――まずい、まずいまずい! 早く逃げ出さないと!
正体のわからない相手と接触することは、この状況においてリスクでしかないとブレッグは判断した。
だが、それと同時に自分の身体に違和感を覚えたブレッグが脚へ視線を落とすと、肥大した太腿の筋肉が強張っており小刻みに震えていた。
――あ、足が動かない。動け。動いてくれ。今だけでいいんだ……。
扉の曲がる音はだんだんとバキバキいいだし、その時は着実に近づいていた。
ついに痺れを切らしたのか、民家の中から蹴りが繰り出され、扉は木端微塵になりながら吹き飛ばされる。
土煙が舞う中、姿を現したのは琥珀色の瞳を持った少女だった。
その少女の表情は暗く冷たく、瞳の奥には明確な殺意が込められている。
怒りや悲しみは混在していない純粋な殺気のみが彼女を周りを包み込み、まるで暗夜が訪れているかのように錯覚させる。
背筋がぞっとするほど重い雰囲気を放つ少女は村の中心に向かって歩き出した。




