010_わだかまりは小さくなって
感謝の気持ちをしっかり伝えたいブレッグは頭の中で言葉をまとめてから口を開く。
「ありがとう、すごく楽になったよ」
膝を手で押さえながら立ち上がろうとしたブレッグに、少女は慌てて注意する。
「ちょっとちょっと。痛みは消えたと思うけど、治ったわけじゃないんだからね」
「あぁ、そうだった。怪我が悪化しないよう気を付けないと」
その言葉に少女は目を丸くする。
頬に指をあてながら考え事を始める少女に対し、ブレッグの心は身構えた。
――何かまずい発言でもしたか?
ブレッグにとっては当たり障りのない会話のつもりだった。
当然、他者を差別するような言葉なども含まれていない。
しかし、魔物をいとも簡単に倒せてしまう少女は常識の外側にいる存在と言っても過言ではなく、ブレッグの常識で物事を推測するのは軽率である。
何か失礼なことをしでかしたのではと、今までの言動を振り返るブレッグだったが、少女が口にした疑問はもっと単純なものだった。
「ねぇ、さっきから思っていたんだけど……もしかして、冒険者だったりする?」
初歩的ではあるが魔法を扱え、飲み薬の効能を把握しているとなれば、少女がブレッグのことを冒険者かその類だと考えて当然だ。
――なんだ。そんなことか。でも、どう答えるのが正解だろう。
冒険者として生活することが辛くて逃げ出した話はしたくないと、彼の小さなプライドが訴えかけている。
かといって少女に嘘をつきたくないという素直な気持ちもあり、両者がせめぎ合う。
ゆっくり息を吐いて心を落ち着かせたブレッグは正直に話す決意を決める。
目の前にいる少女が他人を侮蔑するような浅ましい人間だとは思えなかった。
「……実は、昔は冒険者だったんだ。でも、魔法の才能もないし、仲間たちとは喧嘩別れするしでいい思い出はないけどね」
「そう、なんだ」
愛想笑いを浮かべた少女は返事に困っているように見えた。
ほんの少し少女の表情が陰っただけでブレッグは罪悪感を覚える。
「ええっと、幼い頃にちょっと努力したら魔法が使えるようになって、神童なんて呼ばれたりしてたんだ。まあ、街へ出てみたら俺みたいな人はごろごろいて、すぐに自分には才能が足りていないってことに気付かされたんだけど。ほんと、世間を何もわかっていないガキだったよ」
――何を言っているんだ、俺は。
少しでも明るい話題を持ち出そうとしたつもりだったが、長い時間を孤独に過ごしたブレッグにはそれすらも難しかった。
それどころか、脳内で大切に保管しておいた明るい話題の引き出しは、古びすぎていて取っ手が地面に転がっていた。
結果的にさらに気まずい雰囲気を作ってしまったブレッグは激しく後悔する。
そのとき、少女は小さな両手をポンと叩いて可愛らしい音を出すと、優しい笑顔をブレッグに向けた。
「あ、でも、さっきの魔法はなかなか良かったわ。魔法の才能がないわけじゃないと思う。知ってると思うけど、魔法は得意、不得意がはっきりと分かれるの。だから、まだ得意な魔法が見つかってないだけなのかもしれないわね」
ブレッグは瞳を開いたまま固まる。
少女の言葉がにわかには信じがたかった。
「本当に……本当にそう思うのか? 何年間も最下層のパーティーで燻っていた俺に?」
「ええ、もちろんよ。私、こう見えて魔法を見る目はあるの」
にっこり笑った少女は自信満々にそう言い切った。
少女の言葉は慰めだったのかもしれない。
しかし――それでも、自分の魔法が初めて認められたことに、ブレッグは何かを救われたような気持ちに包まれていた。
その充足感を時間をかけて味わっていると、少女は不思議そうな顔をして首をかしげた。
「どうしたの?」
「いや、魔法を褒めてくれたのは君が初めてだったから」
少女にとって予想外の言葉だったのか、きょとんとしている。
そんな彼女と目を合わせ、見つめ合っていると少女は小さく笑い始めた。
「ふふ、褒めただけでそんなに感動してくれるなら、いくらでも褒めるわよ。きっと、あなたの周りにいた人間があなたの才能を見る目がなかったのね」
目の前にいる少女は年下のように見えるが、魔法という一点に関してはブレッグが今まで出会って来た誰よりも格上といえよう。
そんな彼女から太鼓判がもらえたとなると、ブレッグは自信に満ちてくる。
「ありがとう。これからは昔みたいに魔法の練習をしてみるよ」
「うん、頑張って。そして、いつか私がピンチの時に助けに来てね」
彼女がピンチに陥る状況なんて想像できないが、ここは男らしく頷いておく。
それに少女は笑顔を返して答えてる。口には出さないが『よろしくね』と。
少女との出会いによって心が満たされつつあったブレッグだったが、ここで肝心なことを忘れていることに気付いた。
「そうだ、君の名前……聞いてもいい?」
「確かに、まだ名乗っていなかったわ。私はフィオライン・ベナイザ・アガー……」
途中で黙ってしまった少女は、ふっくらと膨らんだ口元に人差し指をあてて少し考えた後に訂正する。
「いえ、フィオラって呼んで。仲が良い人からはそう呼ばれるの」
「……フィオラ」
自分にしか聞こえないほど小さな声でその名を繰り返す。
フルネームを聞くことはできなかったが、名前からして少女――フィオラの生きて来た世界はブレッグと全く異なることを思い知らされる。
ブレッグはラストネームもなければミドルネームもない。
しかし、庶民にとってはこれが当たり前のことで、逆に名前が長い人物は貴族や王族といった要人だ。
フィオラはいったい何者なのか、何が目的でこんな人里離れた山奥に足を運んだのか余計に気なってくる。
だが、そんなことは一度置いておいて――
「俺はブレッグ」
フィオラと生きている世界が違うからと言って何だというのだ。
今までの経緯で十分理解していたつもりだ。
そう思えたブレッグは自信満々に名前を伝えることが出来た。




