101_朝日
男の足が地面から離れたところで、頭蓋骨をギリギリと締め付け始めた。
「あぁぁ!!! やめてくれ!!」
じたばたと暴れる男の耳元で女性は囁く。
「頭蓋骨が潰れる音って素敵よね」
「がぁあああ!! 俺には、まだ……やる、ことが……」
男は残りの力を振り絞って殴る蹴るの抵抗を見せた。
当然、その程度で逃れられるはずもない。
しかし、女性はふっと力を抜き、以外にも男は解放された。
「なんてね。うふふ。殺したりはしないわ」
自分の脚が地面についていることが信じられず、思わず身体が固まった。
逃げるよりも、戦うよりも、なぜ解放されたのかを知る方が先決だと思ったからだ。
「冗談に決まってるでしょ。頭蓋骨が潰れる音なんて聞き飽きているもの」
底の知れない笑顔が男を捉える。
蛇に睨まれた蛙のように、恐怖心から脚が動かなくなっていることに気付く。
「もう人は殺さないって約束をしたから。主は簡単に約束を破ってくれたけど、せめて私くらいは約束を守らないとね」
女性は男の衿を掴み、強引に引き寄せた。
そして、二人にしか聞こえない小さな声で囁く。
「だから、あなたを殺さないわ。でも、けじめは必要だと思わない?」
「お、俺は……なんでも……」
「いい心構えね」
にっこり笑った女性につられて、男が苦笑いを見せたとき、強烈な頭突きが炸裂した。
まるで、金属の棒でぶん殴ったかのような固い音が森に響く。
脳が強く揺れてふらついた。
平衡感覚を失った男が視界の端で見たのは拳を振りかぶる女性の姿。
短い助走をつけて男の顔に殴り掛かる。
残りの魔力を全て使い果たして繰り出したその一撃の威力は計り知れない。
拳に集約した魔力――すなわち、純粋なエネルギーの塊が男を襲う。
男の鼻柱に命中した拳は、そのまま鼻骨を粉砕し、頭蓋骨をも砕く。
そして、拳を振り抜いたとき、男は脳漿を撒き散らしながら凄まじい速度で吹き飛んでいった。
光源の乏しいこの森では、一瞬でその姿が見えなくなる。
「地平線の彼方まで飛んでいくといいわ。死んでしまったかもしれないけど、あれで生きていたなら許すことにしましょう。フィオラをあれだけ痛めつけておいて、この程度で済んだことを幸運に思うのね」
シオンが選んだのは生かしもせず、殺しもしない、継ぎ接ぎ男の生存力に任せるという折衷案だった。
シオンは大きく深呼吸してから、くるりと振り返って来た道を戻り始める。
しかし、今にも止まってしまいそうなほど、その足取りは重い。
「もう一度フィオラの顔を見たかったけど、無理みたいね。ブレッグの身体を酷使しすぎたわ」
この程度で動けなくなる軟弱な身体に思うところはあるが、それでもブレッグに対して感謝している気持ちは本物なため口にしないでおいた。
一歩ずつゆっくりと歩いたシオンは座り込み、倒れている樹木の一つに背中を預ける。
「フィオラは私を止めるという使命を果たし、私はフィオラを助けるという使命を果たした。もう、私がこの世界に留まっている理由はないわね」
ふと顔を上げると、山間から差し込んできた朝日がシオンを照らした。
闇夜に慣れた瞳には眩しすぎて手のひらで光を遮る。
幻影の一部が解除され、包帯でぐるぐるに巻かれた腕が露わになった。
「部外者だったブレッグには無茶をさせすぎた気がするわ。でも、本人が望んで関わっていたのだから、私の責任ではないはず……でしょ?」
瞳を閉じたシオンは、主人に対して呟いた。
「フィオラのことは任せたわよ。ブレッグ」




