000_少女と青年の物語
「はっ……はっ……」
青年は走る。
鬱蒼と茂った森の中をただひたすらに。
己の使命を果たすため、一度も振り返ることなく目的地を目指していた。
「早く……助けを……呼ばないと……!」
青年の脳内を少女の姿がよぎる。
脳内の彼女は優しく微笑んでおり――
「うぉ!」
ほんの一瞬だけ気を取られていた彼は、何かに躓いてよろけた。
とっさに両腕を大きく振ってバランスを取り戻し、立ち止まる。
「はぁ……はぁ……危なかった……」
転ばなかったことに安堵しながら、近くに生えていた立派な樹木に手を付いて呼吸を整える。
急ぎすぎていたあまり、体力の限界が近いことに青年は気付けないでいたことが原因だ。
肩で大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
何度か繰り返していると、脳に酸素が行き渡り思考が鮮明となっていった。
――立ち止まっている暇はない。早く街へ行かないと。
青年が顔を上げ再び走り出そうとしたとき、心の中で何かが引っかかる。
『街に着いたら原色機関という組織に連絡して』
強敵を相手にたった一人で立ち向かっていった少女が青年に残した最後の言葉。
その使命のために青年は先程まで走り続けていたが、冷静になって考えてみれば不自然な点が多い。
――待てよ。その機関とやらに連絡したところで、助けは間に合うのか。
出先機関などが存在するなら間に合う可能性はあるが、青年は聞き覚えのないその機関が支部を持っているようには思えなかった。
――そもそも、彼女の名を借りたところで、ただの一般人が取り合ってもらえるのか。
そして、自問自答を繰り返した青年はある結論に辿り着く。
「……そうか……あれは俺を遠ざけるための……嘘だ」
かつて、青年が少女を逃がすために嘘をついたように、少女も同じ嘘をついていたのだと気づかされる。
次の瞬間、青年は今まで走ってきた道を大急ぎで戻っていた。
「なんで、もっと早く気付かなかったんだ……頼むから……死なないでくれ……!」
蓄積していた疲労を無視してがむしゃらに走り続ける。
鉛を巻き付けたように手足の動きは鈍くなり、息も絶え絶えになりながら一刻でも早く少女の元へ向かおうとする。
山の道はお世辞にも走りやすいとはいえない。
地面に空いた窪みが突如現れたり、道を遮るように伸びた樹木の枝が青年を妨害する。
それでも、危険を顧みずに全力で走り続けた。
「は……ぁ……はっ…………」
どれほど走っただろうか。
思考に酸素を回す余裕がない青年は蔦に覆われた民家を横目で捉える。
それは目印でもあり、少女との距離が近づいていることを意味した。
「あと……少し……!」
残り僅かな体力を振り絞り、懸命に脚を動かす。
そして、ついに青年の黒い瞳に少女の姿が小さく映り、青年の心臓は跳ね上がるように強く鼓動した。
「くそっ!」
そこにいたもう一人の人物――白髪の女性に少女の首は掴まれ、絞め上げられている。
少女の脚は宙に浮いており、全身が力なく垂れ下がっていた。
白髪の女性は少女に何かを話しかけているようだが、距離が離れているため青年の耳には届かない。
ひとしきり話し終え、少女を眺めていた女性は口角を吊り上げ怪しく微笑む。
「うっ……」
あまりの不気味さに青年は気圧されるが、脚を止めることはなかった。
――こっちに気付いていない今、やるしかない。
恐怖心に包まれ、青年は心も身体も限界を迎えていた。
それでも彼を動かす原動力は少女を助けたいという純粋な気持ちだった。
肺に残っている少ない空気を振り絞り、少女の名を叫ぶ。
「フィオラ!!」