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訳がわからないと混乱するアネーシャにサウラは説明する。
「正確に言えば邪神の残骸だけど」
「どういう、ことですか」
「以前、話したはずよ。妹はドルクの封印を解くために動いていると――かつて、全知全能の神はドルクを倒した際、二度と蘇らぬよう、その肉体をばらばらにして封印した。けれどその全てを封じることはできなかった。なぜだと思う?」
質問されて、考え込むアネーシャ。
「もしかして、ドラゴンのせい、ですか?」
その通りだとサウラはうなずく。
「ドラゴンは邪神の肉体から発生したもの。当然あの男の血肉を受け継いでいる。強ければ強いほど受け継いだ血肉も濃くなる。ドラゴンたちが共食いをするのもそのためよ。強いもの同士が戦い、共食いを繰り返してやがて<主>と呼ばれる存在が誕生する」
アネーシャは息を飲んでサウラの言葉を聞いていた。
「愚かな妹はドルクを恋い慕うあまり、そのわずかな血肉を集めていたの」
想像すると、ぞっとするような話だった。
けれどありえない話でもない。
「驚くのも当然よね。妹はあなたに気づかれないよう、ずっと隠していたんだから」
「……だったら、ここにいるシアは……」
サウラの声に怯えて縮こまるダガーを見、アネーシャは訊いた。
「コヤ様がシアの身体にその血肉を植え付けたの?」
「……ええ、そうよ。彼は元々邪神教の信者だし、適合しやすい肉体を持っていた」
――この坊や、使えそうね。
かつてのコヤの言葉を思い出して、唇を噛み締める。
信じたくはなかったが、現実にこうなってしまった以上、どうしようもない。
「だからサウラ様は神殺しの剣をジェミナに盗ませたんですね」
「話が早くて助かるわ」
「その剣で彼を刺したら、どうなるの?」
「ドルクの残骸を消滅できる」
「シアは?」
「無傷よ。今、坊やの意識は眠っているだけだから」
ホッと胸をなでおろしたアネーシャだったが、
「アネーシャ、僕を見捨てる気かい?」
すがるような眼差しを向けられて、「うっ」と言葉に詰まってしまう。彼の正体がドルクだとわかっても、なまじ姿はシアなので複雑な心境だ。
「そこをどきなさい、アネーシャ」
そしてサウラは間違いなく殺る気満々だ。
「ドルクを消滅させなければ、シアという名の少年は戻ってこないわ。それでもいいの? 彼の肉体がドルクに乗っ取られたままで」
それはよくない。
「でも、コヤ様がこのことを知ったら……」
きっと自分を許さないだろう。
「そうね、妹は女の友情より男を取るタイプだから」
アネーシャの不安を見透かしたようにサウラは言う。
まあ、そういう身勝手なところも可愛いんだけど、と。
「アネーシャ、あなた、その少年の命よりコヤの愛を失うほうが怖いの?」
聞き捨てならないとばかり、アネーシャはサウラを睨みつける。
「そんなわけないでしょ」
「だったらもう一度言うわ、アネーシャ。そこをどきなさい」
アネーシャがサウラの指示に従おうとしたまさにその時、後ろから羽交い締めにされ、ひやっとしたものが首もとに押し付けられた。
「ひどいじゃないか、アネーシャ。僕は君のことを気に入っていたのに。あっさり見捨てようとするなんて」
喉のあたりにちくりと痛みを感じる。
見れば、首に押し当てられていたのはダガーの刃先だった。
…………
……
その頃、ギルド出張所では、
「近況報告はここまでにして……あの方はまだあなたを諦めていないわよ、ウルス」
「だから君を俺のところへ寄越したわけか」
目を見張るような美女に意味深な笑みを向けられても、ウルスは表情一つ変えることなく、ため息をついた。
「俺はまだあの方の元へは行けない」
「それは聖女様に懸想しているから?」
沈黙は長かった。
珍しくしかめっ面をするウルスに、「嘘でしょっ」とアビゲイルは吹き出す。
「冗談のつもりだったのに。本気なのね」
「……声がでかいぞ」
「真面目で堅物なあなたらしいといえばあなたらしいけど……」
「馬鹿笑いがしたければよそへ行け」
「あら、あたしにはあなたを馬鹿にする権利があるわ」
胸を張ってアビゲイルは言い返す。
「あなたは昔、あたしを振って傷つけたんだから」
黙り込むウルスにアビゲイルは続ける。
「まあ、相手が月の女神様じゃ勝目はないとわかっていたけどね」
「女神の存在など信じていないくせに」
「失礼ね、信じているわよ。二日酔いの時、いつもトイレで祈っているもの。女神様、どうかこの苦しみからお助けくださいってね」
「……帰っていいか?」
「まだダメ。それで、あらためて訊くけど聖女様に恋をしているのね?」
「帰る」
「あなたを惚れさせるなんてとんだやり手だわ。どこ? どこが良かったの」
後学のために教えてとしつこく付きまとわれて、ウルスはうんざりしてしまう。
「あの方にも報告しないといけないんだから、教えてよっ」
「……彼女は……」
「彼女は?」
「……美しいんだ」
「見た目が?」
「精神がだ」
ふーんと興味なさそうにつぶやくアビゲイルに、「あと」とウルスは補足する。
「祈りを捧げる姿が」
「……その姿に一目ぼれしたわけね」
茶化すように言いながらもアビゲイルの目は寂しげだった。
「あと……」
「まだあるの?」
「食欲旺盛なところもいいと思う」
「そ、そう」
「あと……」
「もういいわ。もうやめて。これ以上、あなたのノロケ話なんて聞きたく……どうしたの?」
「今、声が聞こえなかったか?」
「声って、誰の?」
何も言わず、ウルスは外へ飛び出していく。




