5
日が暮れて、森の中で一夜を過ごすことになったアネーシャはわくわくしていた。
「焚き火はできたし、寝床も確保した。蚊帳もちゃんと張れたし、あとは……」
『アネーシャったら……火の粉が飛んで、服が焦げてるわよ』
コヤに笑われ、慌てて焚き火から少し離れた。
「虫除けのハーブも焚いていい? 結構刺されちゃったから」
携帯食を食べて、うつらうつらしながら火の番をしていると、
『まったく、油断しまくりね。夜の森は危険なのに』
「だってコヤ様がいるし」
『まあね。少なくとも森の獣たちはあたしの気配にびびって、近づいても来ない』
「コヤ様って、神様のくせに人間っぽいよね」
『逆でしょ。人間のほうが神に似せて創られたのよ』
「でも人間は不老不死じゃないし、神力も使えない。悪いこともするし」
『創造主のお考えなんて、あたしには分からないわよ。それより、少し眠ったら?』
コヤに言われるがまま、蚊帳の中で横になったアネーシャだが、なかなか寝付けなかった。焚き火のパチパチする音や、虫や獣の鳴き声、草木の揺れる音が気になって、何度も目を覚ましてしまう。どうやら初めての野宿に興奮しているらしい。
『……来たわね』
コヤの言葉で、何かが近づいてくるのが分かった。
起きようとすると、
『いいから、あなたは寝てなさい』
優しい、母親のような口調で言われて、アネーシャは再び目を閉じた。
コヤの邪魔にならないよう、今はじっとしていたほうが良さそうだ。
それでもつい好奇心から、聞き耳を立ててしまう。
「……のんきなもんだな」
小声だが、馬鹿にしきった声だった。
先ほどの少年の声と同じ。
「これだから嫌いなんだ。女ってやつは」
声が徐々に近づいてくる。
「蚊帳か……これじゃあ飛び道具は使えないな。だったら……」
すぐ近くから甘い香りがする。
と思った次の瞬間、
「うわわあっっ」
驚いて目を開けると、少年が顔を押さえて逃げて行くところだった。
『眠っている女の子の唇を奪おうとするなんて、最低よ』
「……コヤ様、何をしたの?」
『顔を思い切り引っ掻いてやっただけ。だって今は猫だし?』
にゃあとわざとらしく鳴きながら、鋭い爪を見せる。
それはさぞかし痛かっただろう。
一度コヤを怒らせて引っかかれたことがあったのだが、未だに傷は癒えていない。
『ついでに傷口に毒も仕込んでやったわ。この時のために毒蛙を見つけておいたの。これぞ、毒を以て毒を制す、ってね』
ドヤ顔で言われて、むしろ暗殺者のほうが気の毒になってきた。
「まさか殺したりしてないよね?」
『普通の人間なら死んでるわね』
あっけらかんとした口調で言う。
『毒に耐性があるから大丈夫でしょ』
「助けてくれて感謝してるけど、ちょっとひどすぎない?」
『暗殺なんて仕事をしてるんだから、殺されても文句言えない』
「あの子が教団に洗脳されてないって言える?」
身寄りのない子どもを引き取って利用するのは、悪い大人たちの常套手段だ。
「私はずっと自分が聖女だって思い込まされてきた。それなのに今じゃ偽物扱いよ」
『……そうね、少しやりすぎた。次からは手加減するわ』
とりあえずその言葉を聞いてほっとする。
『だけど任務に失敗した以上、あの子、どのみち消されちゃうわよ』
「そう……だよね」
『でもってまた新しい暗殺者がやって来る』
「キリがないね」
『ええ、だから本体をどうにかしないと』
コヤはうんざりしたように続けた。
『一度受けた依頼は依頼者が死んでも遂行する、があの教団のモットーだから』
「どうすればいい?」
『そんなの簡単。あたしにお願いすればいいのよ。教団を潰してくださいって』
「コヤ様が叶えるのは、他者のための祈りや願い事だけでしょ?」
自分のための願い事は不浄とされ、神殿でも禁じられている。
『普段はね。あたしたち神には色々と制約があって、好き勝手に神力を使えない。けれど例外もある。あたしの場合は、聖女の願いを叶えるためなら、無制限に神力を使うことができる。だから全てはアネーシャ次第ってわけ』
聖女は、人と神とを繋ぐ、唯一無二の存在。
これまで多くの信者の願いや祈りを、コヤに伝えてきた。
アネーシャが自分の願いを口にしたことは一度もない。
『さあ、どうするの? アネーシャ。このまま一生、暗殺者に狙われながら旅を続けるつもり?』
「もちろん、嫌に決まってる」
***
それから数日後。
邪神教本部に国王直属の諜報部隊が潜入し、これまでの悪事が白日の下にさらされることとなった。教団の上層部6人はその場で拘束され、死刑。また後日、彼らに親族や友人を殺された被害者たちが大勢の一般人を扇動――暴徒と化した彼らは、邪神教の信者たちを襲撃した。必死に抵抗するも、焼き討ちをかけられた教団は呆気なく壊滅状態に追い込まれてしまう。
任務で本部を離れていた他の信者たちは、このことを知ると、本部に戻ることなく姿を消した。
被害者による報復と、神の天罰を恐れて。