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ククシル湖に来て、三日が経った。
「結局あれから誰も戻ってこないし」
おそらく今頃、三人はククシル湖の主であるドラゴン相手に、壮絶な戦いを繰り広げているに違いない。「皆が無事に戻ってきますように」と朝のお祈りを捧げつつ、朝食を食べに市場へ向かう。
コヤも猫の姿になって、小走りについてきた。
『今朝は早いのね。もうちょっと寝ててもいいんじゃない?』
「早起きは三文の得って言うでしょ? 三人の分まで楽しまないとっ」
『さすがアネーシャっ、全くその通りねっ』
湖水浴に買い物と、今日も予定がぎっしり詰まっている。ゆえに朝食はガッツリ食べたいと思い、市場のそばにある大衆食堂へ入った。そこでルギスの名物料理――薄く広げて焼いたお肉の上に、目玉焼きやソーセージ、バターたっぷりホクホクのじゃがいもを乗せたボリューム満点な料理――に食らいつく。
「どうしよう、おいしすぎて手が止まらないっ」
『いつものことでしょ』
お腹が満たされたので、観光がてら町をうろつく。
保養地だけあって宿泊施設が多く、どこへ行っても人、人、人だらけ。
コヤ・トリカを祀る神殿もあり、思わずふらりと立ち寄ってしまう。
「ここ、病院にもなってるんだ」
『というより療養所ね。長期的な治療を必要とする人や、不治の病にかかった人のための』
それでお年寄りが多いのかと思いきや、自分と同じ年くらいの女性や子どもたちもいた。
これは何とかせねばと思い、ゆっくり神殿内を歩いていると、
「なんかあそこにいる人、見覚えがあるんだけど……少しウルスさんに似ているような」
『あ、あれね。国王よ。お忍びで見舞いに来てるの』
さらりと言われて、目を丸くする。
『気の毒に、やつれてるでしょ? 最近、息子や娘達が原因不明の病にかかって、全員亡くなってしまってね。末娘のマイア・クロロスもよ。王妃は王妃で「アウレリアの呪いだ」って騒ぎ出して、心の病にかかってしまったみたい。だからここに入院しているの』
思わず黙り込んでしまったアネーシャに、
『言っとくけど、あたしは何もしていないわよ。原因はククシル湖の主――美しい人魚の姿をしたドラゴンのせい。その歌声を耳にした者は深い眠りにつき、その唇に触れた者は病に冒される。だから国王がドラゴンスレイヤーに討伐依頼を出したってわけ』
「人魚って……人間の姿に似たドラゴンもいるの?」
『ええ、いるわ。正確には人間の姿に擬態できるドラゴンがね。上位種よりもさらに知能が高く、退治するのが難しい。力技でどうこうできる相手じゃないから、さすがの英雄も苦戦しているんじゃない? 討伐依頼が入る前から何度か挑戦しているようだけど、最後の最後でいつも逃げられているみたいだし』
アネーシャは慌ててその場に跪くと、
「三人が無事に戻ってきますように。三人が無事に戻ってきますように」
心をこめて祈りを捧げる。『わかったわかった』と苦笑気味のコヤ。
『あたしも手を貸すし、腹が立つけど今回はあの女もついているから、余裕でしょ』
それを聞いて、アネーシャはホッと胸をなで下ろす。
「だったら、今度は違うお祈りをしてもいい?」
『この療養所にいる人たちを救いたいんでしょ? もうやったわ』
するとどこからともなく、
「歩けるっ、わし、歩けるようになったぞっ」
「おじいちゃんが立ったっ、おじいちゃんが立ったっ」
「ミリア、どうして私、ここにいるのかしら?」
「お母さんっ、わたしのことがわかるのっ」
「当たり前でしょ、娘の顔を忘れるものですか……ってちょっと、なんで泣くのよ」
「誰かっ、医師を呼んでっ。昏睡状態の患者が目を覚ましたわっ」
「信じられないっ、もうほとんど死にかけていたのに――奇跡だっ」
辺りがにわかに騒がしくなったので、アネーシャはこそこそと神殿を後にした。
かくして療養所の患者は全快し、人々はこの奇跡について長く語り合うことになる。
奇跡は他の療養所や病院でも起こり、やがて人々はある結論に至るのだった。
この町に聖女が現れたのだと。