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翌朝、アネーシャはジェミナを連れて大神殿跡地へと戻った。
内心では、皆がいなくなっていたらどうしようと気が気ではなかったが、別れた時と全く同じ場所、同じ体勢でシアが立っていたので、ほっとした。けれど当の本人は真っ青な顔をしていて、
「動けないんだよ、昨日から。お前を捜しに行こうとしたら、動けなくなった」
「同じく」
すぐ近くに立っているウルスは平然としているが、確かに二人とも、首から下は石像のように固まっている。
「ごめんなさい、きっと私のせいだ」
慌ててコヤの姿を探すと、珍しく美女の姿で仁王立ちしていた。
親の敵を見るような目をジェミナに向けている。
「コヤ様、彼女は……」
『これ以上、旅のメンバーを増やす余裕はない。その子を元いた場所へ戻してらっしゃい』
まるで捨て猫を拾ってきたような言いようである。
かなり怒っているようだ。
「そんな言い方しなくても……」
『そこにいる娘はあの女の手先よ。長年、あの女はあたしの目を盗んであたしの聖女(娘)に近づこうと躍起になっていた。で、アネーシャ、あなたが「一人にして」ってあたしを遠ざけた瞬間にチャンス到来……その娘を送り込んできたってわけ。絶対に何か企んでいるわ』
あの女というのは、ソル・サウラのことを言っているのだろう。
だったらあの時、聞こえた声は彼女のものだったのか。
アネーシャも薄々そんな気はしていたので、特に驚かなかった。
「企むって何を?」
アネーシャは訊いた。
『もちろん、あたしの邪魔をするようなことをよっ』
「コヤ様の邪魔? 具体的には?」
『それは……アネーシャと色男を……もごもご……』
なるほど。
それは大いに邪魔をしてもらわねばなるまい。
「ジェミナがソル・サウラの加護を受けているのなら、なおのこと仲間になってもらうべきだよ。心強いし、ウルスさんのシゴキにも耐えられる。私も彼女と一緒にいたいし……ジェミナとなら、友達になれるって気がしてる。だからお願い、コヤ様」
『お願い……ね』
コヤは観念したようにうなだれると、猫の姿へ変化する。
『またもや、あの女にしてやられたってわけか』
「アネーシャ、さっきから誰と話してるの?」
「コヤ・トリカ様――月の女神と。実はまだ、ジェミナに話してないことがあるの」
戸惑った様子のジェミナに、アネーシャは説明した。
自分が聖女と呼ばれる存在であること、神託に従って巡礼の旅をしていること。
「こんなこと、急に言っても信じられないよね」
「ううん、信じるよ。アネーシャだって信じてくれただろ? 僕のこと」
「ジェミナ……」
女二人が友情を育む一方で、
「ウルスさん、俺たちはいつまでこのままなんですかね?」
「これも修行だと思えば苦にはならない」
「……はい」
男二人は師弟愛を育んでいた。
この状況に月の女神は、
『こんなはずじゃ……こんなはずじゃなかったのに。どこで間違えたの?』
神でも、完全に未来を予知することはできないし、失敗することもある。
コヤは考え込み、『こうなったら……』と悪い顔をした。
「コヤ様、さっきから何ぶつぶつ言ってるの?」
『……ドラゴン』
「ドラゴンが何?」
『そこ、ドラゴンがいる』
はっとして顔を向けると、小型のドラゴンがいた。
頭が二つある、獰猛そうなドラゴンが。
反射的にシアに助けを求めるが、
「悪いが、まだ動けねぇ」
「……同じく」
獲物が動けないとわかると、小型のドラゴンは俊敏な動きで襲いかかってきた。
しかしウルスでもシアでもアネーシャでもなく、まっすぐジェミナを狙って。
「逃げて、ジェミナっ」
元戦士見習いとはいえ、今のジェミナは丸腰だ。
武器なしでまともに戦えるとは思えない。
「逃げない……逃げるもんかっ」
次の瞬間、ジェミナの身に変化が起きた。
髪と瞳の色が黄金色へと変化し、その手にはいつの間にか黄金の槍が握られていた。
彼女が槍を振るうと、ドラゴンの身体は真っ二つに裂けて、崩れ落ちた。
――今、何が起きたの?
状況に頭が追いつかず、呆然とするアネーシャ。
けれどジェミナはそんなアネーシャを無視して、コヤのいる方を見つめていた。
「久しぶりね、コヤ。ドラゴンをけしかけて可哀想な奴隷娘を追い出そうとするなんて、あんまりじゃない?」
『やっぱりそれ、あなたの寄り代だったのね、ソル』
「こうでもしないと会ってくれないでしょ、あなた」
『当たり前でしょ。今もどの面下げてって感じなんだけど』
「あの男のことで私のことを恨むのは筋違いよ。あんな野卑な男、あなたには相応しくない」
どうやらジェミナの身体にソルが憑依しているらしい。
道理で喋り方や顔つきまで違うはずだと、アネーシャは息を飲んで二人の会話を聞いていた。
『そういうところが大嫌いよ、ソル』
威嚇するように毛を逆立てて、コヤは言った。
『あなたもあたしを嫌ってるはずでしょ』
「馬鹿なこと言わないで。あの男が現れるまで、私たちは仲のいい姉妹だった。互いに愛し合っていたじゃない」
『冗談じゃない。あんたが一方的にあたしを追い回してただけでしょうが』
「私たちは互いになくてはならない存在。二人で一つなのよ」
『あんたの愛は異常よ、ソル。少なくとも妹に向けるべきものじゃない』
「神々の愛は自由奔放なもの。相手が男だろうと女だろうと、また親だろうが兄弟だろうが関係ない。むしろ変わっているのはあなたのほうよ、コヤ」
『かもしれない。だからあえて言わせてもらうけど、他に関心を向けて。恋人を作るべきよ』
「愛しているのはあなただけなのに?」
『気持ち悪くて吐き気がしてきた。お願いだから今すぐ消えて』
「……まあいいわ、これからはいつでも会えるもの。この寄り代が存在する限りは」
甘やかな笑みを浮かべると、ソルは目を閉じた。髪の毛が徐々に元の色に戻っていく。次に目を開けた時、瞳も緑色に変化していて、惚けたような顔をしているジェミナがいた。
「もしかして僕、今眠ってた?」




