4
「君が暗殺者だって、コヤ様が言ってる」
少年は顔色一つ変えることなく、馬鹿にするような笑みを浮かべた。
「コヤ様って誰だよ。まさか月の女神のことを言ってるのか」
「そう。君の怪我は自分でやったものだから、自業自得だって」
事の真偽を確かめるまでもなかった。
これまで、コヤが自分に嘘偽りを言ったことは一度もない。
「じゃあ、私行くね」
そのまま立ち去ろうとすると、「待て」と慌てたように声をかけられる。
「俺を護衛に雇わないか? この森は危険だ」
「怪我をしているのに?」
「皮膚の表面を少し削り取っただけで、かすり傷だ。すぐに治る」
「……君、強いの?」
「それなりに腕は立つ」
あの神官長が暗殺者として差し向けてくるくらいだから、そうなのだろう。
『そうやってこの子を油断させてから殺すつもりなんでしょ?』
神様だけあって、相手の心まで読めるらしい。
呆れたようなコヤの言葉をそのまま伝えると、少年はちっと舌打ちした。
「女ひとりで、この森を無事に抜けられると思うのか?」
「君に殺されるよりはマシ。それに私、独りじゃないから」
少年の怪我がかすり傷だと知って、アネーシャは内心ほっとしていた。
これで心置きなく旅を続けられる。
『アネーシャ、もう行くわよ。ぐずぐずしてたら日が暮れちゃう』
再び歩き出すと、背後でかすかな物音がした。ふっと息を吹きかけるような……振り返ると、少年は細長い筒のような物を手にしていて、ぎょっとしたようにこちらを見ている。
『あなたに吹き矢を放ったのよ。しかも毒付き』
口にくわえていた毒矢をぺっと吐き出しながら、コヤはやれやれと首を振る。
姿が見えないだけで、物を動かしたり、食べたりすることもできるのだ。
『あれは放っておいても死なないわ』
「綺麗な花には刺があるっていうしね」
殺されかけたというのに軽口を叩くアネーシャを、コヤは頼もしそうに見ている。
『そんなに可愛いものじゃないわ。触れただけで命を落とす猛毒人間よ』
不思議そうな顔をするアネーシャに、コヤは歩きながら説明する。
『毒を持つ生物の中には、自分で生成するタイプと、毒を持つ餌を食べて蓄積するタイプがいるの。あいつは後者』
「人間にそんなことできるの?」
『普通の人間には無理ね』
「っていうことは……」
『ドラゴンの心臓を食べさせられたのよ』
昔から、ドラゴンの心臓には特別な力があり、それを食らった者は、尋常ならざる力を手に入れることができるといわれている。ある者は岩をも砕く腕力を。ある者は一軒家を飛び越えるほどの跳躍力を。
ゆえに心臓の部分は高値で取引されるのだが、そのほとんどは市場に出回っていない。ドラゴンを狩った直後に、たいていのハンターが自分で食べてしまうからだ。更なる力を求めて。
『けれどあの坊やはドラゴンハンターじゃない。邪神教の信者よ』
邪神教は、邪神ドルクを崇拝し、暗殺を請け負うことで金銭的な利益を得ている暗殺教団のことで、一般人にはあまり知られていない。実際に存在するかも怪しいとアネーシャは思っていたのだが、
「本当に存在したんだ」
『耳の後ろにのドラゴンの刺青があったから、間違いないわ』
アネーシャは感心したように言った。
「コヤ様は何でも知ってるのね」
『だって神様だもん』
***
――仕事でしくじったのは、これが初めてだ。
自身で傷つけた足の手当をしながら、少年は考えていた。
少年に名はない。
教団の人間からは「41番」もしくは「シアヒレン」と呼ばれている。
甘い香りを放つシアヒレンは世界一美しい花だと言われているが、神経毒を有する猛毒植物だ。植物全体に毒が含まれていて、匂いを嗅いだだけで幻覚を見、錯乱状態に陥る。また、ほんの一瞬触れただけで、数ヶ月から数年間、火傷したような激痛に苛まれる。もっとも毒性の強い部分は根で、誤って食べてしまった場合、僅かな量でも死に至る。
少年は物心付いた頃から既に有毒人間だった。
体内に毒を蓄積させるためにシアヒレンの根や葉を食べて育ち、他の信者たちとは隔離された環境で、暗殺者としての教育を受けた。初めて人を殺したのは十歳の時だ。指導者からはただ何もせずに突っ立っていればいいと言われたので、その通りにした。
すると標的のほうから声をかけてきて、即座に裏路地へ連れ込まれた。暴れたら殺すと脅し文句を口にしながら、標的はべたべたと自分の身体に触ってくる――直後に泡を吹いて倒れ、そのまま死んでしまった。
――人間を殺すのは簡単だ。
ただ自分の肌に触れさせればいい。
馬鹿な人間は美しい見た目に騙されて、安易に自分に触れたがる。
近づいてこないのは、警戒心が強く、匂いに敏感な獣たちくらいなものだ。
最強のドラゴンですら、自分を前にすると尻尾を巻いて逃げてしまう。
――けれどあの女は、俺に指一本触れようとしなかった。
同情を引くために怪我までしたというのに。
だからやむを得ず飛び道具を使ったのだが、
――かすりもしなかった。
なぜか吹き矢は空中で止まり、下へ落ちた。
――まるで見えない何かに守られているみたいに……。
それにあの女は、ひと目で自分を暗殺者だと見抜いた。
殺されかけたというのに、笑みすら浮かべていた。
『偽物の聖女を始末しろ』
それが上からの命令だった。
けれどもし、聖女が偽物ではなく、本物だったら?
「……余計なことは考えるな」
そう自分に言い聞かせ、少年は立ち上がる。
標的の後を追うために。