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大量の携帯食を抱えて部屋に戻ったアネーシャは、寝台横に膝をつくと、
「月の女神コヤ・トリカよ、どうかこの携帯食に祝福をお与えください。日々の糧と、あなたの慈しみに感謝して、この食事をいただきます。大事なことなのでもう一度言います。いただきます」
『アネーシャ、食前の祈りを捧げるの、早すぎない?』
構わず包装紙を破って、ナッツを口いっぱいに頬張る。
「……おいしい。むしゃむしゃ……たまらん……むしゃむしゃ」
『誰かさんが冬ごもりする前の栗鼠みたいになってる』
「つっ――小魚のしっぽが歯茎に刺さった」
『ほら、慌てて食べるから』
ようやく空腹が満たされたので、「ところで」と気になっていたことを口にする。
「コヤ様、本当にウルスさんを仲間にするつもり?」
『彼が一緒に来たいと言えばね』
「護衛ならシア一人で十分だと思うけど」
『坊やの身にもなりなさいよ。メンバーが女二人に男一人じゃ肩身が狭いでしょ?』
「両手に花だと思う」
『……それもそうね』
――ってか、コヤ様も数に入るんだね。
と言ったら女神様が傷つくので黙っておく。
『そんな気遣いができるなんて、成長したわね、アネーシャ』
イヤミを言われてはっとする。
そういえば神様に隠し事はできないんだった。
「コヤ様はウルスさんに何をさせる気なの?」
『別に何も』
「だったらなんで誘ったの? 一緒に旅をしようって」
『目の保養になるから?』
テキトーなこと言ってと、アネーシャはむくれる。
「ウルスさん、ぜんぜん体臭キツくないよ。ああ見えて潔癖症なところがあるってシアも言ってたし」
『確かにそこはあたしの好みから外れてるけど……って、今はどうでもいいでしょ、そんなこと』
「どうでもよくない」
『そうカリカリしないの。まだ彼が一緒に行くと決まったわけじゃないんだし』
「そうだね、断る可能性のほうが高い」
『まあ、こんな美女の誘いを断る男なんていないと思うけど?』
「はいはい。だといいね」
『何よ、その気のない返事は。どうせ例の幼馴染のことでも考えてたんでしょ?』
「……カイロスのことは関係ない」
『そんなこと言って。ちょっぴり好きだったくせに』
不意をつかれて、ギクッとしてしまう。
「子どもの頃の話でしょ」
『ちなみに色男の初恋はあたしよ』
驚きの新事実にぶっと吹き出しつつ、「そうなんだ」と焦ってしまう。
女神を好きになるなんてさすがだなと感心する一方、大丈夫か? と心配になる。
「ウルスさんの好みって……」
もしかしてシアみたいな綺麗系がタイプ?
それとも女王様タイプとか? どちらにしろ地味系はお呼びじゃないと。
『初めて会ったのは彼が18の時だった』
あ、語りだしたとアネーシャは黙って耳を傾ける。
『ヴァレ山の山頂付近で死にかけていたところを救ったの。あの頃の彼は自暴自棄に陥っていて、いつ死んでもかまわないって目をしてた。彼は幻だと思っていたようだけど、あの時は一時的にあたしの姿が見えていたの。声も聞こえていたみたい。きっと、大量のドラゴンの血を浴びたせいね』
山頂に立って景色を眺めていたウルスのことを思い出して、胸が痛んだ。
きっとあの時、コヤのことを考えていたに違いない。
『そういうことが何度かあって、彼はあたしを崇拝するようになった。もう他の女なんか目に入らないくらいあたしに夢中でね。ホント、モテる女は……ってそんな目で見ないでよ、アネーシャ。浮気はしてないから』
「ウルスさんが可哀想」
『ちゃんとフォローはしたわよ。あなたにはあたし以上に相応しい女がいて、いずれあなたの前に現れるから、気長に待っててって』
「またそんなテキトー言って」
『ちょっとっ、これでもれっきとした神様なんだからねっ』
とりあえずウルスの返答を待ちつつ、祝福を与えることに専念する。
できれば携帯食を食べ尽くす前に終わらせたい。
『お、やる気ね、アネーシャ』
「これでも聖女ですから」
『なら早速続きをやるわよ』
「もちのろん」
部屋を出て中庭へと移動する。建物内では、どこにいても極力静かにしていなければならないので、外のほうが声をかけやすい。
『あそこに次の獲物がいるわ』
「あの人はダメだよ。沈黙の修行をしているから」
首から黒い石をぶら下げているので間違いない。
その他にも、手を使わない修行、目を使わない修行等があって、同時に実践している人もいる。
『こっちが話す分には問題ないでしょ?』
それもそうだと思い、軽く肩を叩いて少しお話してもいいですか? と声をかける。
彼女はにっこり微笑んでうなずいてくれた。
できる限り手短に済ませようと思い、
「待ち人は戻ってきますよ」
「……?」
遠回しな言い方をしたせいで、意味がよく分からなかったらしい。
『ずばり言っちゃえば?』
「もうすぐ、二十年前に失踪したお父さんに会えますよ」
「え、マジで?」
驚きのあまり、修行どころではなくなってしまったようだ。
やべっと言いつつ、口元を押さえている。
「お父さん、かなり姿が変わってしまったけど、気づいてあげてね」
数日後、保守派の人々による会合が開かれ、村人たちが全員この修道院に集まってきた。
そこで彼女は、隠者となった父と再会するのだが、
「この野郎、よくもうちら家族を捨てて雲隠れしやがったなっ」
「ひー、許してくれっ」
「あんたの借金返すのに、どんだけ苦労したと思ってるんだっ」
あやうく修道女に殺されかけた隠者だったが、その後二人は和解し、幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。




