32
「やっと見つけた――アネーシャ様っ」
修道院へ戻る道すがら、大声で呼び止められてビクッとした。
反射的に足を止めて振り返れば、
「私のことを覚えておいでですか?」
歳は二十代前半、褐色の肌に優しげな顔立ち――懐かしさのあまり、ぎゅっと胸が締め付けられた。
「……カイロス?」
彼とは同じ孤児院で育ち、革新派の神殿に引き取られた時も一緒だった。自分が聖女、彼が聖職者となってからは会う機会はほとんどなかったものの、聖女が信者の前に姿を現す大祭の日は、いつも自分のそばにいて、護衛してくれたものだ。
「どうしてここがわかったの?」
「目撃情報を頼りに、必死に足取りを追いましたから」
革新派の信者たちが血眼になって自分を捜していると知っても、どうせ見つけられないだろうと高をくくっていた。仮に見つけられたとしても、どうせ気づかれないだろうと。なぜなら彼らは、濃い化粧と派手に飾り立てられた衣装を着、取り澄ました表情でゆったりと椅子に腰掛ける自分の姿しか知らないから。
――でもカイロスは違う。
大声で笑って、転んで泣いた子どもの頃の自分を知っている。
とんでもなく食い意地が張っていることも。
「事情は全て存じ上げております。力になれず、申し訳ありません。それでもどうか王都へ……神殿へお戻りください、アネーシャ様」
彼に悪気は無いことはわかっていた。それでもやるせない気持ちになる。
「嫌よ、追い出したのはそっちでしょ」
「全ては神官長が独断でやったこと。信者に罪はありません」
「だから私に犠牲になれと言うの?」
思ってもみなかった言葉が口から飛び出して、自分でも驚いた。
カイロスも面食らったように、目を白黒させている。
「カイロス、あなたには申し訳ないけど、私は戻らないし、戻りたくもない」
「……アネーシャ様、言い訳に聞こえるかもしれませんが、あなた様が追放されたことは、私も含め、神殿にいるほとんどの者が知らされていなかったのです。聖職者といえども、大祭の日以外、聖女の姿を見ることは禁じられていましたから。皆、マイア・クロロス様のことをあなた様だと思い込んでいた――神官長がそのように仕向けたのです」
――誰も引き止めてくれなかったのはそのせい?
ちらりとコヤに視線を向けるが、彼女は丸くなって狸寝入りを決め込んでいる。
こうなると彼女の助言は期待できないと、アネーシャはため息をついた。
「ごめんなさい、カイロス。何を言われても、私の気持ちは変わらない」
「私たちを見捨てるおつもりですか?」
革新派のトップを失って彼も動揺しているのだろうが、そんな言い方をされるのは不本意だ。
ついでに胃の辺りがきりきりして、ストレスを感じた
「女神の祝福は等しく与えられるべきだ。革新派の信者に限らず」
それまで二人のやりとりを静観していたウルスが、ようやく口を開いた。
アネーシャしか見ていなかったカイロスが、はっとしたように彼を見る。
「あなたは……ドラゴンスレイヤーのウルス・ラグナ?」
さすがは有名人。
カイロスもひと目で気づいたようだ。
「アネーシャは現在、保守派の客人であり、ハンターズギルドの保護下にある。彼女を連れ戻したければ双方のトップと話をつけることだ。もっとも、革新派の愚行を女神がお許しになるとは思えないが」
『よく言ったっ、色男っ』
「女神を愛し、真に恐れるのであれば今すぐここから立ち去れ。聖女はお前たちの元へは戻らない」
「……立ち去らなければ……どうするのですか?」
ウルスは黙って一歩一歩カイロスに近づいていく。
その分だけカイロスは後ろに下がり、息を飲んだ。
「試してみるか?」
アネーシャは慌てて二人の間に入ると、毅然とした態度で言った。
「カイロス、もう行って。コヤ様もそれを望んでる」
『えー、バトらないの?」
目をキラキラさせて二人の男を見上げるコヤに、心底呆れてしまう。
『一人の女を巡って二人の男が争う――ああん、なんて素敵なシチュエーション』
「コヤ様が怒ってる。ここにいたらあなたもただじゃ済まない」
「わかりました……ですが、このまま引き下がるつもりはありません」
歯を食いしばるようにして言うと、彼は足早にその場から立ち去った。
おそらくヘザーの町へ戻ったのだろうと、ほっと胸をなでおろす。
アネーシャはあらためてウルスに向き合うと、頭を下げてお礼を言った。
「さっきは助かりました」
「事実を言ったまでだ」
しばらく無言で歩いていると、「先ほどの件だが」とウルスがぽつりと言った。
「女神は本当は怒っていたのではなく、楽しんでいたのではないか?」
思わず、弾かれたように彼を見る。
「コヤ様のことがわかるの?」
「……過去に何度か女神の幻を見たことがある」
今も昔も、神の声を聞いた、姿を見たという報告は多数あるものの、そのほとんどが嘘か思い込みのどちらかだった。しかし稀に、厳しい修行を経て、一瞬だけ幻のようなものを見たり、声を聴いたりすることができる者がいるのも事実で――
「コヤ様、それ本当なの?」
『……ちっ、ばれたか』
――ばれたかって……。
「ウルスラも同じだ。処刑前夜に女神の幻を見、救われたと言っていた」
「だからメテオロスに来たの?」
ああとウルスはうなずく。
「残りの人生を女神に捧げると決めたそうだ」
「……だったらウルスさんも?」
彼は答えず、じっとアネーシャを見下ろしている。
次第に居心地が悪くなってきて、助けを求めるようにコヤを見た。
『アネーシャ、あのガラガラの玩具、まだ持ってるわよね』
「あの銀製の? うん」
『それを彼に渡して』
困惑しつつも、コヤの言う通りにする。
「これをあなたに……差し上げます」
『元はあなたの持ち物よ、ウルス・ラグナ。その証拠に王家の紋章が刻まれている。今はかすれて読めないでしょうけど、あなたの名も刻まれている――ウルス・ラグナ・シェザールと』
「コヤ様、それ本人に伝えていいの?」
『彼が望んでいることよ。自分は何者で、何のために生まれたのか、知りたがってる』
アネーシャは立ち止まると、一言一言、搾り出すようにウルスに伝えた。
ウルスラの――アウレリアの過去も全て。
『彼に伝えて、アネーシャ。あなたの人生には多くの選択肢があると。それでもあたしを選ぶというのなら――』
全てを伝えた後、ウルスは長いこと黙っていた。
ややして口を開くと、彼は言った。
考える時間が欲しいと。