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宿を出る際、都の外へ出るための最短ルートを店主に訊ねた。都の地図にはたくさんの門の記載があったものの、全てが開門しているわけではないという。今の時間帯であればここが開いているよと教えられ、そこを目指すことにした。
門が近づいてきたので、都を出る前に腹ごしらえをしようと、近くの屋台に立ち寄る。香辛料たっぷりの挽き肉が入った焼き饅頭にかぶりつくと、口いっぱいに肉汁が広がって、アネーシャは「うーん」とうなった。
外で物を食べると、いっそう美味しく感じてしまう。
「けどお金、たいぶ減っちゃった」
『必要になったら、また稼げばいいのよ』
「売る物がなかったら?」
『働くという方法があるわ』
なるほど、と市場で働く人々を思い出しながら、アネーシャはうなずく。
「私にもできる仕事、あるかな」
『それはおいおい考えるとして。それより……』
コヤはアネーシャの後方にちらりと視線を向けると、小声で言った。
『……まだついてきてる』
「え?」
『何でもないわ。行きましょう』
門を抜けると屈強そうな門番が立っていたが、アネーシャには目もくれず、直立不動のまま前を向いている。無愛想だとは思ったが、じろじろ見られるのも困るので、アネーシャは気にせず歩き続けた。都に入る際は必ず検問所を通って、通行料を収めなければならないのだが、出るのは自由で、誰の許可もいらない。
壁の外には、のどかな田園風景が広がっていた。
虫や蛙が鳴き、水車小屋の近くで農民が畑仕事をしている。
「それで、最初の目的地は?」
『ザルヘイア』
聞いたこともない地名に、アネーシャは首を傾げた。
『無理もないわ。地図にも載っていない村だから』
「どうして?」
『ドラゴンの群れに襲われて、今は誰も住んでいないの』
この世界にはドラゴンと呼ばれる害獣が存在する。
殺傷能力が高い上に知能も高く、人間を食い殺し、食料や貴金属を奪っていく。
その被害は深刻で、各国にドラゴン狩りを生業とするハンターが存在するほどだ。
『そこで初めて彼に出会ったの』
「彼って?」
『ドルクよ』
「ドルクって、まさか邪神ドルク?」
ドルクは悪しきドラゴンを生み出した邪神である。
山のように大きな巨体の持ち主で、恐ろしい牙と角を持ち、火を吐く化物として知られている。
『元は普通の人間だったのよ』
「それがどうして……」
『着いたら教えてあげる』
そう言って悲しげに笑うコヤの後を、アネーシャはついて歩いた。
地図を確認しながら、南にある港町を目指す。
そこで離島航路の定期船に乗るつもりだった。
徒歩で二日かかる距離だが、途中に宿場町があるようだ。
「ねぇ、コヤ様」
『なあに?』
「今までずっと不思議だったんだけど、どうして私を聖女に選んだの?」
『もちろん、あたしのことが見えているからに決まってるでしょ』
「なんで私にだけ、コヤ様が見えるの?」
『さあ。なんでかしらね』
「はぐらかさないで、教えてよ」
『アネーシャったら、たまには自分で考えなさいな』
突き放すような言い方をされて、考えても分からないから訊いているのにと、アネーシャはむくれた。でももしかしたら、今回の旅でそれが分かるかもしれないと思い直し、機嫌を直す。
それから数時間ほど歩いて、森に入った直後にアネーシャは座り込んでしまった。
「疲れた。もう歩けない」
『そんなこと言って、さっきも休憩したばかりでしょ』
「ごめんなさい、でもホントきつくて……」
『アネーシャは体力がなさすぎるのよ』
「お水飲んでいい?」
『少しにしなさいよ。先は長いんだから」
はぁいと返事をしながら、お水が入った革袋をちびちび啜る。
「森に入った途端、辺りが暗くなってきたね」
『熊や狼と遭遇しないといいけど。あ、あと盗賊にも気をつけて』
「気をつけてったって……私、戦えないよ?」
『まあ何とかなるでしょ』
言いながらコヤが再び肩に乗ってくる。
すると疲れがすうと引いていき、体力が回復するのを感じた。
『もう少し歩いたら、野宿できる場所を探しましょ』
「野宿するの初めて」
『嬉しそうにしてないで、気を引き締めなさい。そんなに楽しいものでもないんだから』
それからさらに歩くと、樹木にもたれかかって座り込んでいる人を見つけた。
死んでいるのかと思いきや、足を負傷していて動けない様子。
――男の子?
『無視していきましょう』
珍しく冷たいことを言うコヤにアネーシャは慌ててしまう。
「いいの?」
『いいの』
「でも……」
『怪我人のふりをした物乞いや盗賊だったらどうするの?』
「そんなの、見ただけじゃ分からないわ」
アネーシャは言い返し、勇気を出してその人に声をかける。
「君、大丈夫?」
のろのろと顔を上げた彼はアネーシャを見、怪訝そうな顔をしていた。
「さっきからぶつぶつ独りごと言ってるの、あんたか?」
普通の人にはコヤの姿は見えないので、そう思われても仕方がない。
けれどアネーシャは別のことに気を取られていた。
――綺麗な顔。
絶世の美女であるコヤの顔を見慣れているアネーシャでも、思わず見とれてしまうほど、整った顔立ちをしていた。青みがかった銀髪に目の覚めるような紺碧の瞳。年齢は十六、七くらいで、どこか冷めた表情を浮かべている。
――なんか、コヤ様に似てる。
そう思ったら、なんだか放っておけなくなってしまい、
「君、怪我をしてるの? 治してあげましょうか?」
「あんたにそんなことできんの?」
少しひねくれた口調まで、コヤにそっくりだ。
ちらりとコヤのほうに視線を向けると、
『何? あたしは力を貸さないわよ』
またもや非協力的な態度を貫いている。
アネーシャはこれまで聖女として、あらゆる傷を癒し、病を治してきた。
けれどそれはコヤの協力があったからこそできたことだ。
彼女が自分に神力を注いでくれなければ、何もできない。
「どうしてそんな意地悪を言うの?」
『そいつの怪我は自業自得だからよ』
「どういう意味?」
『要するに自分でやったの。あなたの気を惹くためにね』
思わず考え込むアネーシャに、コヤは続けた。
『綺麗な見た目に騙されないで。そいつは神官長の送り込んだ暗殺者よ』
「……さっきから誰と話してるんだ?」
気味悪そうに訊かれて、アネーシャはじっと少年の顔を見返した。