25
翌朝、ヘザーへと続く街道を歩きながら、アネーシャはぽつりと言った。
「昨日、変な夢見た」
『……そう』
「コヤ様がいつも私のそばにいてくれる理由、わかった気がする」
『単なる気まぐれよ』
たとえ気まぐれでも、コヤはゾマの願いを叶えたのだ。
そしてゾマもまた、聖女であり続けることで、コヤと歩む道を選んだ。
恋をすることも家族を持つこともできたのに。
ドラゴンから人々を守り、怪我人や病人を救い、孤児を育てることに生涯を捧げた。
「歴代の聖女の中に、結婚した人っている?」
『いるわ。たいてい晩婚だけど』
「けど聖女でなくなったら、もう二度と、コヤ様の声を聞くことはできない」
『……アネーシャ』
「そしてコヤ様は新しい聖女のところへ行っちゃう」
いざ、その時のことを考えると、どうしようもない不安と恐怖が押し寄せてくる。
「私は絶対に結婚しない」
『恋をすれば考えが変わるわ』
「そんなことない。恋愛と結婚は別物だって、宿屋の女将さんが言ってたし」
『ちっ。余計なことを』
「コヤ様は私と一緒にいたくないの?」
『その話はとりあえず脇に置くとして……アネーシャ、前を見なさい』
「話をごまかそうとしないで」
『じゃなくて、ドラゴンの群れがこっちに向かってる』
ぎょっとして顔を上げると、まだ目視はできないものの、複数のドラゴンの鳴き声が聞こえた。前方を歩く二人にそのことを伝えようとするが、「来たな」「はい」ととっくに戦闘態勢に入っている様子。
「アネーシャは隠れてろ」
うんわかったと素直に承諾し、近くの岩陰に身を潜める。
まもなく、ギャアギャアと不気味な鳴き声を上げて黒いドラゴンの群れが現れた。
8頭はいるだろうか。首が長くパッと見コウモリの姿に似ている。
「下位種のバティだ。あれなら楽勝ですね」
「単体ならな」
ウルス曰く、臆病な性格のバティは超音波によって相手の状態や位置を把握し、上空からの遠距離攻撃を得意とする。近づこうとするとすぐに逃げられてしまう上、群れを相手にする時はさらに厄介だとか。
「狼の群れと同じで、統率が取れている。連携攻撃を仕掛けてくるぞ」
近接攻撃が基本スタイルのシアは、嫌そうに顔をしかめた。
「だったら真っ先にリーダーを倒せばいい」
「リーダーがどれか、お前に分かるのか?」
じっと上空を見つめ、シアは困ったように頭を振る。
「何か特徴はないんですか?」
「ない」
戦闘が始まった。
道のど真ん中で堂々と立つ二人を見つけたドラゴンたちは、魔石の輝きに惹かれて、襲いかかる。
かと思いきや、
「あ、逃げた」
『ドラゴンも馬鹿じゃないからね』
二人を目にした瞬間に負けを悟ったのだろう。
方や下位種、方や上級ハンター。
ところがウルス・ラグナはドラゴンたちの逃走を許さなかった。
軽く跳躍して一体のドラゴンに飛び乗ると、軽々と大剣を手に持ち、
「ドラコンの頭を切り落とした」
『――エグっ』
そのまま彼はたった一人で群れを全滅させると、何食わぬ顔で戻ってきた。
「ドラゴンの死体を片付ける。手伝ってくれ」
確かに街道上に放置したままでは通行の邪魔になる。
馬車も通れないし、馬も怯えてしまうだろう。
血肉の臭いに惹かれて肉食獣も集まってくるだろうし。
『余計な仕事を増やしてくれちゃって』
「そーゆうこと言わない」
彼のおかげで、この街道上にいる人々――他の巡礼者や商人が襲われずに済んだのだ。
本来なら感謝するところである。
「シアは今回、出る幕なかったね」
「……ウルスさんの邪魔したくなかったんだよ」
『単に見とれてただけでしょ、彼の華麗な剣さばきに』
「へぇ、そうなんだ」
「おい、そういう顔するのやめろ」
「そういう顔ってどんな顔?」
「……にやにやするな」
シアが手馴れた様子でドラゴンから素材を剥ぎ取っている間、アネーシャはひたすら穴掘りに集中していた。疲れては休み、疲れては休みを繰り返しつつ、ようやく一体のドラゴンを埋葬し終える。
「なんかデジャヴュ」
「悪かったな、手伝わせて」
いつの間にかウルスが近くに立っていて、驚く。
「いえいえ、私にはこれくらいのことしかできないから」
謙虚なんだなとウルスは感心したようにつぶやく。
「君は聖女だ。君に比べたら、ドラゴンスレイヤーの称号など霞んでしまう」
突然話しかけられたと思えば、一気に持ち上げられて、「やめてください」とあたふたしてしまう。肝心のシアは離れた場所にいるので、助けを求めることもできない。
「私はただ、コヤ様の姿が見えるだけ。すごいのはコヤ様で、私は違う」
「そんな女神に君は選ばれ、愛されている」
ウルスの声は重々しく、畏敬の念が込められていた。
「メテオロスでは女神の存在が全てだ。女神のためなら、住民は喜んでその身を投げ出す。戦えと命じられれば戦うし、死ねと命じられれば死ぬ。もし君が聖女だとわかれば、神託を求めて人々が殺到するだろう」
『モテる女は辛いわね』
そんなレベルの問題じゃないでしょ、と内心でツッコミを入れつつ、アネーシャは「はあ」とうなずく。
「君が自身の正体を隠したがっていることは知っている。俺も、情報を漏らすつもりはない。だができる限り、村人たちに接して欲しい。女神の祝福を、彼らに与えて欲しいんだ」
『アネーシャ、できる?』
「ええ、もちろん。聖女としての勤めはきっちり果たすつもりです」
感謝する、とウルスは深く頭を下げた。
慌てて顔を上げさせると、彼は淡く微笑んでいた。
こんな人間らしい顔もできるのだと意外に思いつつ、アネーシャもまた笑い返す。




