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シアを含め、ヴァレ山に向けて大勢のハンターが出立した数日後のことだった。
街門近くに人々が集まり、何やら深刻そうな顔で話し込んでいるので、
「何かあったんですか?」
訊けば巨大ドラゴンが出現し、街道を塞いでいるとのこと。今のところ死者や怪我人は出ていないものの、いつドラゴンが暴れ出すかわからず、商人たちは立ち往生しているとか。
「こんな時こそウルス・ラグナさんがいれば」
「ああ、あの人なら、どんなドラゴンでも一撃で仕留められるのに」
今現在、街に残っているハンターはCランクやDランクの下級ハンターばかりで、束になってもその巨大ドラゴンには敵わないという。
「そんなに強いんですか?」
「モンスター・レッドは上位種の中でも大型で、目が八つもある。死角がない上に、獲物が近づくと毒針の生えた二本の尻尾を器用に動かして、確実に仕留めるんだ。上級ハンターが五人いて、やっと対等に戦える相手だよ」
そこまで? と思わず目を丸くしてしまう。
せめてここにシアがいれば、なんてことを考えていると、
「おいっ、まずいぞっ」
「ドラゴンが動き出したっ」
「この街に向かってるっ」
街門の外から、偵察に向かっていたハンターたちが血相を変えて戻ってきた。
「ギルド長はどこにおられる?」
「さっき、見張り台の上にいるのを見かけたぞ」
「報告に行こう」
「ああ、指示を仰がねば」
彼らが走り去り、ぽかんとしていたアネーシャだったが、
「これってまずい状況だよね?」
『ここはハンターの街タラスケスよ。迎撃用の対策があるに決まってるでしょ』
今回はなぜか銀色の小熊の姿に変身して、地面でごろごろ転がっているコヤ。
あまりの可愛らしさに緩んでしまった頬を引き締めると、アネーシャは言った。
「対策って?」
『街門の扉は巨大な盾の代わりにもなるし、こんな時のために防衛部隊だってあるんだから』
「だったら安心だね」
『防衛部隊までドラゴンの討伐に駆り出されてなきゃねー』
妙に引っかかる言い方をするなと思いきや、案の定、
「よりにもよってこんな時に……」
「ああ、防衛部隊のほとんどが出払ってるっていうのに」
「みんなヴァレ山にいっちまったんだよな?」
「らしいぜ。何でも緊急事態だと」
「……この街もついに終わりか」
「今のうちに逃げたほうがいいんじゃね?」
それを聞いていてもたってもいられず、アネーシャは見張り台へ足を向けた。
ハンターたちと話し込んでいたギルド長カークは、アネーシャに気づくと、
「これはこれは」
他のハンターたちを追い払い、いそいそとこちらへ近づいてくる。
「既にご存知かと思いますが、街は現在、危機に瀕しております」
『ぬけぬけとよく言うわ、この狸爺。わざとこの状況を作ったくせに』
無言でちらりとコヤを見る。
彼女は現在、ぬいぐるみのようにアネーシャに抱き抱えられていた。この状況が気に入らないらしく、ダダをこねる子どものように足をバタつかせている。
『はなからあなたにやらせるつもりだったのよ、アネーシャ。だから危険を冒してまで防衛部隊を街から追い出した』
どうして、と小声で訊ねると、『さあ?』と肩をすくめられる。
『この男の感情や思考は複雑怪奇で、うまく読み取れないの。ドラゴンの心臓を食べすぎた影響ね。人間的な感情が少し欠落しているみたい。ただはっきりしているのは――』
「どうかこの街をお救いください、アネーシャ様。あなたが本物の聖女であるというのなら」
アネーシャはちらりと街道のほうへ視線を向けた。
これほど遠く離れているというのに、ドラゴンの姿がはっきりと見える。
『それだけデカイってこと』
「聖女タラ様の時とどっちが大きい?」
『もちろんこっち――ほら、伝説ってやたらと大げさに書かれがちだから』
アネーシャはため息を付くと、あらためてカークと向かい合った。
「分かりました、ただしいくつか条件があります」
「何でしょう?」
「第一に、もう二度と、私のことを試すような真似はしないでください」
「試すなどと心外な……」
「言い訳は結構です」
ぴしゃりと言い、アネーシャは続けた。
「第二に、事が終わったら謝罪してください」
「それは――もちろん」
「私にではなく街の住人に対してです」
言い切って、一息つく。
「第三に――」
「まだあるのですか?」
当然だとアネーシャはまなじりを吊り上げる。
「これからあなたが目にすることは全て、他言無用でお願いします」
「……しかし、それでは」
「私はあくまで月の女神の代弁者であり、女神に代わって神力を行使しているに卑小の身に過ぎません。ゆえに、感謝は私にではなく、コヤ・トリカ様に捧げて頂きたいのです。ですから私の存在がここで公になるのはまずい――分かっていただけますね?」
無論だとカークはうなずく。
「条件を飲みましょう」
これで肩の荷が降りたとアネーシャもほっとした。
『アネーシャ、立派だったわ」
「ありがとう、コヤ様……力を、貸してくれる?」
こくりと頷く小熊姿のコヤを抱えたまま、アネーシャは見張り台の先端へと移動する。
ドラゴンの移動速度は早く、もうすぐそこまで迫ってきていた。
心の中で願っても良かったのだが、今回は見学者のために、わざと声を張って仰々しい言葉を使う。
「夜空に輝く麗しき月の女神よ、どうかこの街をお救いください」
『もちのろんっ』
頼もしい言葉が聞こえた直後、ドラゴンの移動がぴたりと止まった。
デッドノアの時のように、そのまま息絶えて倒れるのかと思いきや、
パアァーンっっ
ドラゴンの身体が突如として風船のように膨らみ、盛大に破裂してしまった。
飛び散る肉片、血飛沫が、アネーシャのところにまで飛んでくる。
「コヤ様、これはさすがにやりすぎ……かな」
『そう? お前はもう死んでいる、的な演出でカッコよくない?』
「グロすぎ」
ふと、内臓らしき肉片が頬にべったり張り付いていることに気づいた。
血なまぐさい臭いを嗅いで、意識がすーと遠ざかっていくのを感じる。
『アネーシャっ、しっかりしてっ』
「ごめん、無理……さすがにこれは無理だから」
気絶しかけたアネーシャを、カークが咄嗟に支えてくれる。
彼の目は興奮気味に輝き、恭しい手つきでアネーシャに触れた。
「聖女様の御技、この目にしかと焼き付けました」
もう勝手にしてと投げやりなことを考えつつ、アネーシャは意識を手放した。




