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翌日、ゆるやかな坂道を登り切ると、湿原が広がっていた。
あちこちに池塘が点在し、水面に美しい空を映し出している。
目の前にはうっすら雪が降り積もった山脈、眼下には渓谷が望め、遠くにある海まで見えた。
「……綺麗」
『でしょ? でしょ?』
そこで少し休憩し、先へと進む。
山の中腹を横切るようにして歩きながら、アネーシャは鼻歌を口ずさんでいた。
道が平坦になったおかげですいすい歩けるし、高山植物はどれも目新しく美しいし、道中に見つけた天然の水場は綺麗で美味しいし、言うことなかった。一番の気がかりだったドラゴンの襲撃も、コヤに助けを求める必要すらなく、シアがあっという間に解決してしまう。デッドノアほどの強いドラゴンには、今のところ遭遇していないものの、おかげで皮袋は、ドラゴンの心臓でいっぱいだ。皮袋に入らない分は、シアが自分で食べていた。
『史上二人目のドラゴンスレイヤーが誕生する日も近いわね』
素手とナイフ一つでドラゴンを倒すシアを見、コヤが茶化すように言う。
「ここに来た目的って、もしかしてそれ? シアを鍛えるために?」
『それはおまけ。もうすぐ見えてくるわよ』
平坦な道が終わり、再び勾配の急な坂道が現れた。
その上、進むにつれて地面に白い雪が混じり始め、風も一気に冷たくなる。
「なんか嫌な予感がする」
『そう?』
案の定、気づけば地面は雪に覆い隠され、雪自体も凍りついていた。
山の上のほうは雪が溶けずに残ってしまうため、数日で凍りついてしまうらしい。
何度も足を滑らせ、尻餅をつくアネーシャに、見かねたシアが靴を脱いで裸足になる。
彼が歩くだけで瞬く間に雪が溶けて、石だらけの地面が露出する。
「シア、裸足で痛くない?」
「平気だ」
『アネーシャがどんくさいから』
「そういうレベルの問題じゃないと思う」
シアのおかげで足を滑らせる心配はなくなったものの、徐々に風が強くなってきて、歩くのが困難になってきた。
「風がおさまるまで、どこかで休まない?」
そう提案すると、いつもは文句を言うはずのコヤが、
『そうしましょ。あの洞窟なんていいんじゃない?』
珍しく同意してくれる。
前を歩くシアを呼び止め、洞窟を指差す。
シアは方向転換し、雪を溶かしながら歩き出した。
洞窟の中は広く、暖かかった。
奥へ行けば行くほど、空間が広くなっていくようだ。
『ここに来るのも久しぶりね』
感慨深いコヤの声に、アネーシャははっとする。
どうやら目的地にたどり着いたようだ。
「ここにいたの? 邪神ドルクが?」
『ええ、怪物の姿に変えられて、この洞窟に隠れてたの』
シアが作ってくれた焚き火を囲みながら、コヤは語り出す。
『彼はあたしに対して、ものすごく怒っていたわ。こんな目に遭うのなら、永遠の命などいらない。俺を元の姿に戻してくれと、喚いてた。けれどあたしの力では父の呪いを破ることはできない――どうすることもできなかったの』
「……強制したわけでもないのに?」
『彼は知らなかったから。自分に古の神の血が流れていることを』
「どうして教えてあげなかったの?」
『教えられなかったの。あたしたち神には守るべき多くの制約があって……』
珍しくコヤは口ごもり、ため息をついた。
『彼はあたしに怒りをぶつけた。けれど最後は許してくれたわ。あたしを抱きしめて、愛していると言ってくれた。どうか醜い俺から逃げないでくれと。それからずっと、この洞窟で二人きり……幸せだった』
「でも彼は邪神になってしまったんだよね?」
『姉さんのせいよ。あの女が、彼の心をズタズタに引き裂いて、心まで化物に変えてしまった』
「お姉さんって、太陽を司る女神のこと?」
『ええ、あたしたちは双子の女神で、ものすごく仲が悪いの』
そのせいで世界は昼と夜とに分かれたと言われている。
神話の世界では有名な話だ。
『あたしが留守をしているあいだ、あの女はあたしのふりをしてドルクに近づき、彼を傷つけた。かなりひどいことを言ったに違いないわ。あたしがこの洞窟に戻った時には、彼は気がふれたように暴れていたから。そしてありとあらゆる言葉であたしを罵り、怒りを爆発させたの。大量のドラゴンが発生したのはそのせい』
「無意識に神力を使ったってこと?」
『そうとしか考えられない。彼の中には、破壊を司る神の血が流れているから』
ふうと一息ついて、コヤは続けた。
『あたしが何を言っても彼は信じてくれなかった。大量のドラゴンをけしかけ、あたしを殺そうとした。あたしは抵抗しなかったわ。彼があたしを傷つけるわけがないと信じていたから。でも父は違った――あとは知ってるでしょ? ドルクは封印されて、あたしだけが地上に取り残された』
「もしかして、この場所で封印されたの?」
『いいえ、別の場所よ。ここには彼の神力の残骸があるだけ』
言いながらコヤはアネーシャの肩から飛び降りると、猫の姿になり、大きな宝石をくわえて戻ってきた。先ほど登山口で見つけたものよりも、一回りは大きい。
『この石には彼の神力がこめられている。きっといつか役立つ時が来ると思うから、持っていて』
アネーシャは素直に宝石を受け取った。
それから周辺を探して、もう一つ宝石を見つけると、事情を説明してシアに差し出す。
「シアもいる?」
彼は驚いた様子で受け取り、宝石をまじまじ眺めている。
「こんなに大きな魔石は初めて見た」
「魔石って言うの、これ?」
「ああ、神の力がこめられた魔法の石……身につけるだけで基礎体力が増すらしい」
それは知らなかったとアネーシャは立ち上がり、他にもないかと魔石を探し始める。
『あんまり欲張るとろくな目に遭わないわよ』
こういう時だけコヤの忠告を聞かずに、アネーシャはあっという間に両手いっぱいに魔石を見つけた。それをポケットに詰め込んでいると、やれやれとコヤがため息をついている。
『大量の魔石はドラゴンを引き寄せるっていうのに』
「何か言った?」
『魔石はドラゴンの好物なのよっ』
言っているそばから近くでドラゴンの鳴き声が聞こえて、アネーシャは驚いて魔石を落としてしまう。




