88話 支えてくれる者
《ソフィリアside》
「待ってください!
あなたがエルジェイドさんですね、私はソフィリアです。
少しだけ、話を聞いてください!」
私はリアムさんと口論していた男を追いかけた。
彼はエルジェイド、リアムさんやアルクさんから何度も聞かされた男だ、彼のことはよく知っている。
良く知っているからこそ、彼が、リアムさんに対しあんなことを言うわけがないと思ったのだ。
彼は、歩みを止め、ゆっくりと振り返る。
鋭い眼光に射貫かれる、言いようのない不安感がこみあげてくる。
しかし、私は意を決して話し始めた。
「なぜ、あんな言い方をしたんですか?
あなたなら、リアムさんがどれほど苦労して、ここまでたどり着いたか分かるはずです」
私の言葉に彼はゆっくりと息を吐いた。
「そうだな、やつがあそこまで疲弊していたということは、相当困難な旅だったのだろう。
それは理解できる」
「じゃあ、なぜ……」
彼は私の言葉を遮り、悲しげな目をしながら続けた。
「アルクは剣の才能はあったが、まだまだ未熟だった。
未熟ゆえに、どこか憎めないやつであり、俺はやつを弟のように感じていたところもある。
だから、感情的になった部分はある」
「……」
「だが、それよりも俺が許せなかったのは、やつの態度だ。
アルクを失って悲しいのは分かる、だが、やつはそこで歩みを止めてしまった。
俺はそれが許せなかった……」
私にはよくわからなかった。
仲間を失って、歩みを止めることがそんなに悪いことなのだろうか。
誰だって、大事なものを失えばショックを受けるに決まっているというのに。
「戦士でないお前には分からないかもしれないが、戦場で仲間が死ぬということは、ごくごく当たり前のことだ、決して珍しいことではない。
だが、それに慣れろと言うつもりもない。
ただ、仲間が死に、自分が生きているという意味を考える必要はある」
「………」
「もし、アルクがお前たち2人を助けるために犠牲になったというなら、アルクは今のリアムの姿を望んではいないはずだ。
悲しみを乗り越え、前に進むんだ。それこそが、アルクの願いだったはずだ」
「………」
「感情的になってしまったが、リアムなら乗り越えられると俺は信じている。
あんな言い方をしてすまなかった、お前はリアムを支えてやってくれ」
「あなたはどこへ…」
「リアムの仲間は全員見つけた、もう俺がリアムと同行する意味はないだろう。
ルーナから事情は聴いた。俺はこれから、魔道具を探しつつ、仲間の生き残りを探すことにする。
やつが悲しみを乗り越え、前に進むことができれば、またいずれ会うこともあろう」
「せめて、一言、お別れだけでも…」
「必要ない、やつが前を向くことができたらお前の口から伝えてくれ」
そう言うと彼は、踵を返し、どこかへ歩いて行った。
私も振り返り、町に向かう。
先ほどの場所には、もうリアムさんはいなかった。
もう宿に向かったのかな、それともルーナさんのところに?
そんなことを考えていると、露店の商人に声をかけられた。
「おっ、エルフ族とは珍しいね。
お姉ちゃん、もしよかったら、見てってくれよ、安くするよ」
商人はそう言うと、陳列された果物や野菜を指さす。
私はこの商人に話を聞いてみることにした。
「あのすみません、この通りを1人の冒険者風の男性が通らなかったですか?
赤みがかった茶色い髪に、剣を2本持っていたと思うのですが…」
商人の男性はあごに手をやり天を仰いだ。
「ああ、そういえばいたな。
すげー暗い雰囲気の男が1人であそこの宿屋に入っていったぜ。
なんだ、お姉ちゃんの連れだったのかい?」
「そんなところです」
「そうかい、喧嘩でもしたのかい?
まあいい、こいつを持っていきな。2人で果物でも食って、とっとと仲直りしちまいな」
商人はそう言うと色鮮やかな果物を手渡してくれた。
そこで、私は、ふと聞いてみたくなった。
「あの、お兄さんは凄く落ち込んでいるとき、どうしますか?
何かしてほしいこととか、立ち直るためにすることとかがあれば教えてほしいのですが」
「そりゃあ、おめえ、あれだよ。
美味い飯を食って、美味い酒を飲んで、良い女を抱いて、ツラい気持ち以上の幸せを感じれば、だいたいの男は元気になるってもんよ」
「そういうものなのでしょうか…。
ありがとうございます、参考にさせてもらいますね」
「おう!仲直りできたら、その時はうちの野菜を買ってってくれよ!」
そう言うと商人はガハハと豪快に笑った。
私は酒場に立ち寄り、酒瓶を数本購入してから宿に向かった。
受付の人に教えてもらった部屋、ゆっくりと扉を開くと、彼はベッドの上にいた。
寝てしまったのだろうか、それならそれでもいい、寝て起きて多少気分が良くなることだってあるはずだ。
私は彼を起こさないようにゆっくりと部屋に入り、部屋の隅にある椅子に静かに腰かけた。
《リアムside》
目を開け、身体を起こす。
…気分が悪い。
力ない笑顔のアルク、絶望に満ちた表情を見せたプリシア、恫喝するようなエルジェイド、呆然と立ち尽くすルーナ。
それらが一気に夢の中に現れては消え、現れては消えを繰り返す。
…もう、たくさんだ。
何かをする気力が湧かない。
俺は気怠さを感じながら、ゆっくり体を起こす。
窓からは夕日が差し込んでいる…どうやら、しばらく寝ていたようだ。
ボーッと窓の外を眺めていると、部屋の扉が開かれた。
そこにいたのはソフィリアだった。
彼女は俺の姿を確認すると、静かにベッド上の俺の横に腰かけた。
「大丈夫ですか?うなされていることが多かったですが…」
「…ああ、最近、よくアルクの夢を見るんだ」
しばらく、沈黙が続いたが、ソフィリアは思い出したかのように言った。
「そういえば、ここに来る途中に商人さんに果物を分けてもらったんです。
もしよかったら、一緒に食べませんか?」
「いや、あまり食欲がなくてな…」
「そんな…あの日から、ほとんど食事もしてないじゃないですか…」
ソフィリアは小さくつぶやいた。
また、沈黙が場を支配する。
「その商人の人が教えてくれたお酒も買ってあるのですが、どうですか?
お酒を飲んで気を紛らわせることも多いと聞きますし…」
「……ああ、すまない、気分ではなくてな」
「そう…ですよね…」
ソフィリアが励まそうとしてくれているのは分かる。
自分でも、いつまでも落ち込んでいてはいけないと思ってはいる。
思ってはいるが、身体が動かないんだ、心が沈んだままなのだ。
沈黙が流れる。
「私はアルクさんとは、リアムさんほど長い付き合いではなかったですが、良き仲間だと思っています」
彼女は、ゆっくりとぽつりぽつりと話し始めた。
「彼はなんというか、そこにいるだけで、その場を明るくするような不思議な魅力がありました。
それでも、どこか危なっかしくて気にかけてしまう、そんな人でしたね」
「……」
「私は迷宮の中で正直諦めていました。
それでも、あなたたちは私を助けに来てくれた。
その恩人の1人を失ったのです、私もあなたの気持ちは理解できるつもりです」
それなら、やはり、ソフィリアには分からない。
転移トラップによって仲間を失い、俺がどれほど苦しんだか。
その苦しみの中でアルクは俺を助け出し、ここまで長い旅を一緒にしてきたのだ。
あいつがいたから、今の俺はあるのだ。
アルクは俺の恩人であり、かけがえのない大切な仲間だったのだ。
「私は故郷と家族を失いました…長い孤独も味わいました。
死の覚悟もしましたし、生きることを諦めもしました。
でも、その地獄からあなたたちは私を救い出してくれた」
うつむく俺をソフィリアが覗き込む。
まっすぐに俺の目を見た。
彼女の澄んだ目も潤んでいるように見える。
「あなたたちは、かけがえのない大切な存在。
仲間…いえ、家族だと思っています」
ソフィリアはそう言うと、俺の頭を胸に抱えるように抱きしめてくれた。
彼女のやわらかい感触が伝わってくる。
彼女の心臓の音が聞こえる。少し早いリズムで、彼女も緊張しているのだろうか。
「リアム、あなたの悲しみを私に分けてくれませんか。
私はあなたと悲しみを分かち合い、乗り越えられると思っています」
ソフィリアの匂い、感触、声、彼女の全てが俺を優しく包み込んだ。
この感覚…昔、ソフィリアに初めて出会った時に感じた安心感だ。
なぜ、彼女といると安心感を覚え、心が安らぐのだろう。
不安や孤独感が薄れ、前を向ける気になるのだろう。
俺は目の前にいるソフィリアの背中に手を回した。
細い身体だ、力を込めれば簡単に折れてしまいそうな身体。
この細い身体に俺は何度救われてきたのだろう。
「私はあなたを悲しみの底から救い出したい……あなたが、いえ、あなたたちが私を救い出してくれたように」
そう言って、ソフィリアは離れた。
俺は彼女の顔をまっすぐに見た。
潤んだ瞳に、少し赤らんでいるようにも見える顔。
緊張しているのだろうか、全身に力が入っているようにも感じる。
「あ、あの…聞いた話ですけど、男性はツラい気持ちのときに女性を抱くと気分が楽になると聞いたことがあります。
もし、リアムがそれを望むなら、私は、その…い、いいですよ」
誰からそんなことを。
果物を分けてくれたという商人か、それとも酒を買った店の店主か。
「私はあなたに何度も助けてもらいました。
私の身体で、その恩が返せるかは分かりませんが、あなたが望むなら、私のことを抱いて気を紛らわせてもらっても構いません」
普段の色白の彼女からは想像もできないほどの赤い顔で、ソフィリアは早口に続ける。
「私はあなたが望むなら…全てを投げ出し私を救い出してくれたあなたになら、この身のすべてを捧げるつもりです。
私の身体であなたのことを助けられるのなら、喜んでこの身を差し出しましょう」
俺は、すでにその気になっていた。
彼女の声や匂い、肌の感触であれほど安らぎを得られたのだ。
もっと彼女を感じれば、もっと気持ちが楽になるのではないか。
そんなことで頭がいっぱいだった。
「あの、リアム……あっ」
俺はソフィリアをベッドに押し倒した。
やや強引に、乱暴ともいえるような動作で。
それは、八つ当たりのようなものだったのかもしれない。
その日、俺は初めてソフィリアと結ばれた。




