85話 脱出のための犠牲
「アルク、傷の方は大丈夫なのか?」
俺はふらつく足をなんとか動かし、2人のもとに駆け寄った。
2人の足元には複数の小瓶、1つはエリクサーで間違いないだろう。
その他は回復薬と聖水か…エリクサーを吸収するまでの応急処置として使ったのだろうか。
ふと、地面に向けられた俺の視線に透明な液体の入った小瓶が映りこむ。
「僕なら大丈夫ですよ、エリクサーは万能ですから。
それよりもリアムさん、これ、聖水です。
こんな強力な魔法なんか使っちゃったら、魔力切れ寸前でしょう?」
そう言いながら、アルクは聖水を手に笑いかけてくれた。
どうやら、いつも通りの調子のようだ。ひとまず安心だな。
俺はアルクから聖水を受け取り、一息に飲み干した。
「ソフィリアさん、僕ならもう大丈夫なので、転送装置に記述されていた文字の解読をお願いできますか?
たぶん、使い方の説明かなと思うんですけど、どうにも文字が分からなくて」
「え!?で、でも…」
「ほら、この通り、もう大丈夫ですから…お願いします」
心配そうなソフィリアにアルクは、肩をグルグルと回し、大丈夫だと言わんばかりにアピールをした。
それを見たソフィリアも何も言わずに玉座の方へと向かっていく。
2人のやり取りを眺めていた俺にアルクは声をかけてくる。
「リアムさん、ソフィリアさんが文字の解析をしている間に1つお願いがあります」
いつになく真剣な表情のアルク、その表情に俺もゴクリと唾を飲む。
「魔法…僕が使えそうな強い魔法を教えてほしいんです。
今までの初級魔法ではなく、リアムさんが使うような威力の高いやつを」
その申し出に俺は目を丸くした。
たしかに迷宮を出たら魔法を教えるとは言ったが、今はまだ迷宮の中、ここでは魔力消費量も多く、ろくに練習もできない。
しかし、アルクのこの表情、やつは本気だ…まあ、アルクがすぐに上級魔法を使えるとも思えないから、詠唱を教えるだけならいいか。
「わかった、ただし迷宮内では魔力消費量が多く、ろくに練習もできない。
今は詠唱と簡単なコツを教えるだけだ、本格的な練習は迷宮を出てからだ…いいな?」
「はい、よろしくお願いします」
アルクは目を輝かせながら、まっすぐに俺を見ていた。
俺はまず、魔法を使う際のコツを説明した。
「いいか、アルク。今まで、お前に初級魔法を教えてきて分かったことだが、お前の得意属性は、おそらく氷だ。
今まで安全に訓練できる水魔法を中心に練習していたことも影響しているかもしれないが、お前がもっとも高威力を出せるとしたら氷の魔法だろう」
「氷の魔法…」
アルクは自分の手のひらを見ながらつぶやいた。
「そうだ、氷だ。
氷の魔法を放つときは、凍らせるものの動きを止めるイメージを強く持つことが大事だ。
そして、手に魔力を集中する。そして詠唱だが…」
俺は地面に手をつき、ゆっくりとアルクに言い聞かせるように詠唱をする。
「白き世界に君臨する、氷の王よ。汝に仇なす者どもにその力を示せ。
凍てつく暴風を巻き起こし、命ある者の時を奪え。
目の前の世界を凍りつかせ、無音の白き世界を取り戻せ……フローズンエラ!」
俺の詠唱が終わるとともに手の周囲の地面が凍りつく。
周囲一帯を凍り付かせる前に、俺は魔力を込めるのを止め、魔法を中断する。
「これが、俺が使用する上級の氷魔法フローズンエラだ。
魔力を込めれば込めるほど、氷の大地は広がっていき、その氷に触れるものすべてを氷漬けにすることができる。
凍らせることができる範囲は、使用者の魔力次第だな」
アルクは満足そうにうなずいた。
しばらくして、転送装置を調べに行ったソフィリアが戻ってくる。
「アルクさんの言う通り、あれは転送装置で間違いありません。
使用方法もアルクさんが説明してくれた方法で問題なさそうです。
ただ、いくつか問題が……」
そこまで言うとソフィリアは言葉を濁した。
俺はすぐに聞き返す。
「問題!?もしかして、壊れていて使えないのか?」
ソフィリアは俺の問いかけに目を伏せたまま、首を横に振った。
「いえ、おそらく動作は問題ありません。
まず1つは、転送先が不明であることです。文字の解読を試みましたが、転送者の意識に左右されるということしか分かりません。
それが、転送先を決定できるということなのか、それとも思い入れが強いところに飛ばされるのかは分かりませんでした」
なるほど、遺跡での転移トラップのように思いもよらぬ場所に飛ばされることもあるということか。
しかし、ソフィリアの様子を見るに、問題はそれだけではないように思う。
それに先ほどのソフィリアの言葉…いくつかの問題と言っていた、本命は別の問題の方か。
「他の問題は?そっちの方が重大なんだろう?」
ソフィリアは下を向いたまま口をつぐんだ、そのまましばらく沈黙が場を包む。
意外にも口を開いたのはアルクだった。
「転送装置を起動した者は転送されない…ですよね?」
アルクの言葉にソフィリアはハッとした様子で顔を上げた。
どういうことだ?転送装置を使う者は転送されないということか?
もし、そうだとしたら、2人を転送するために1人はここに残らなければならないということか?
「その通りです。この場にいる誰か1人が…ここに残らなくてはなりません」
ソフィリアは静かに言った。
「それはダメだ!誰かを犠牲にするなど、俺は認めない。
何か他に方法があるはずだ、どこかに別の出口があったりとか…」
「リアムさん、そんなに時間は残されていないです。見てください」
アルクは俺の言葉を遮り、俺の後方を指さした。
俺の後方、先ほど俺が氷漬けにしたロードクラーケン、やつの氷にひびが入っている。
まさか…まだ死んでいないというのか!?やつは不死身か?
「気づきましたか?ロードクラーケンは、まだ死んでいない。
いずれ、あの氷から解き放たれ、また僕らを襲うでしょう。
このままではこちらが消耗する一方です、今はこの転送装置を使って一旦脱出すべきです」
「しかし…」
「ともかく、転送装置のところまで行きましょう」
俺の言葉を遮り、アルクが歩き出す。
それに俺とソフィリアも続く、転送装置は綺麗な状態で残されていた。
おそらく、ここまでたどり着いた者が少ないのだろう。
「よし、誰か1人残らなければならないのなら俺が残ろう。
2人は先に帰還し、救援とともに戻ってきてくれ。
それまでは何としても生き延びると約束しよう」
そう言いながら、転送装置を制御するための魔石に向かって俺は歩き出した。
しかし、すぐに肩を掴まれ、俺の歩みは止められた。
「いえ、リアムさんとソフィリアさんが先に戻ってください。
転送装置は僕が起動します、ここには僕が残りますよ」
「何言っているんだ、アルク!
たしかにお前は強くなった、剣の腕だけでいえば俺よりも上だろう。
だが、まだ俺の方が強い。救援が来るまで生き延びられるとしたら俺だ!
お前はソフィリアを無事に送り届けるんだ」
その言葉に、俺の肩を掴むアルクの手に力が入る。
「それはダメです、言ったじゃないですか!もう時間がな…ゴボッ」
言葉の途中でアルクは口を押え、せき込んだ。
その手からは、血がとめどなく流れているように見える。
「お、おい、アルク、どうした、大丈夫か!?」
バキバキ、バリン
同時にロードクラーケンの氷も砕け始めた。
「もう時間がない!すいません、リアムさん。どうかご無事で!」
アルクはそれだけ言うと俺とソフィリアを魔法陣の方へ突き飛ばす。
衝撃で魔法陣の中に足を踏み入れた俺に、何かが投げられた。
投げられたそれは、アルクの剣であった。
「アルク!待て!」
魔法陣から出ようとする俺に微笑みかけながら、アルクは魔石に手を置いた。
次の瞬間、魔法陣は光を放ち、俺たちを包み込んだ。




