79話 ソフィリアの夢
《ソフィリアside》
魔物の巣の中で、どれだけの時間を過ごしたことだろう。
この檻のようなところに閉じ込められていた人間は、もう私だけになってしまった。
数日前、仲間が目の前で魔物に食べられたのを目撃して、私は脱走しようと心に決めていた。
たしかに…心に決めていたはずだった。
しかし、いざ自分の番が目前に迫ってきて、死ぬかもしれないと考えてしまったら、もう身体が動かなかった。
死ぬのが怖い、海の上で大渦に巻き込まれる前にも感じた感覚。
ただ、あのときよりも鮮明にイメージできてしまう死。
それは、目の前で仲間が魔物に食べられるのを見てしまったからに他ならないだろう。
エルフである私は、長寿であり、幼少期の頃の記憶は薄れつつある。
そもそも、髪や瞳の色で差別されていた私は故郷で暮らしていた頃の良い思い出などない。
今の私を支えているものは、楽しかった旅の思い出だけ。
リアム、ルーナ、アイラ…この3人の顔が脳裏に焼き付いて離れない。
もしここから逃げることができたなら…もし救出されることができたなら…私はまた3人と旅に出るのだ。
少し無口だけど、常に私たちに気を配ってくれるリアム。
そのリアムに思いを寄せる、やや嫉妬深いけど、心優しいルーナ。
不器用ながら、一生懸命にリアムのサポートをしようと頑張るアイラ。
私は、その3人を眺めながら、一歩後ろを歩く。
それだけで幸せだった。
いや、本当は私もその輪に混ざりたかった。
でも、彼らは私と旅を始める前から一緒に旅をしていた、私の入り込む余地はなかった。
もし、私も3人と同じ目線で笑い合えたら…そんな風に思ったこともある。
そうだ、大渦に飲み込まれる直前に脳裏に浮かんだ私の夢…リアムからの寵愛を受けたい、彼との子が欲しいという夢。
子供はたくさん欲しい、髪の色や瞳の色で差別されても寂しい思いをしなくて済むように。
たくさんの子供たちに囲まれ、ルーナやアイラ、リアムとともに暮らすのだ。
そのときにはルーナやアイラもリアムとの子供を産んでいるかもしれないが、それはそれで、きっと楽しいはずだ。
しかし、そんな妄想から、すぐに現実に引き戻された。
魔物が私のところへ向かってきている。
まだ私は衰弱しきっていないけど、きっとやつらの食糧が尽きたのだろう。
私は殺され、食べられる。そんなのは嫌だ!
やっと見つけた夢なのに…結界の中での生活で夢見ることを、希望を持って生きていくことを忘れていた私が、ようやく見つけた夢。
こんなところで終わらせない、もう一度、何としてでも彼のもとに帰るんだ。
チャンスは一度…この檻の外に出て、あの横穴に連れていかれるまでの間。
前に、逃走を図った仲間は、すぐに左右の通路から出てきた魔物に捕まった。
つまり、見えている以上に敵の数は多いということ。
そんな大人数を一度に足止めする方法…彼に教わった魔法しかない。
魔力消費量は多いが、逃げるだけの体力を残して、他は全てこの魔法のために使う。
「空間魔法、フローズンエラ!」
彼から、リアムから教わった魔法を使い、私はこの空間の地面のすべてを凍り付かせた。
魔物の足は氷に捕らえられ身動きが取れない、逃げるなら今だ。
私は走った、全力で体力の続く限り、洞窟の入り組んだ通路を進んでいく。
どこに向かって進んでいるかはわからない、ただひたすらに走った。
ひとつ、ふたつ、分岐点を右に曲がり左に曲がり、無我夢中で逃げた先は行き止まりだった。
しまった、引き返して別のルートを…。
しかし、振り返った先の通路の壁には、人影が映っている。
救援に来てくれた人……違う、下半身には無数の触手の影。
先ほどの魔物が追ってきたのだ、前からは魔物、後ろは行き止まり…。
もう、高威力の魔法を使う魔力は残っていない。
私には近接戦闘も無理だ、逃げ道もない、きっと救援も来ない。
そうこうしているうちに追手はどんどん近づいてくる。
もう少し、あの角を曲がれば姿が目視できてしまう…。
3秒、2秒、1秒……来ない。
もうすぐ目の前まで来ているはずなのに…あと一歩、足を踏み出すだけで私のことは目視できるはずなのに……。
もしかして、この先にはいないと判断して引き返してくれるのかな。
それなら、まだ生き延びることができるかもしれない。
私の運も捨てたもんじゃないな。
しかし、現実はそう甘くはなかった。
やつらは、通路いっぱいに広がって、逃げ道を塞ぐようにゆっくり慎重に私との距離を詰める。
「ふ、ふふふ」
私は自然と小さく笑った、諦めにも似た小さな笑み。
目の前には気色の悪い魔物が迫っている、同時に私の最期も確実に近づいてきている。
私は静かに目を閉じた。
思い出すのは、過去の出来事。幼い頃の記憶が呼び起こされる、これが走馬灯というやつなのだろうか。
両親は幼い私をいつも心配してくれていた、髪や瞳の色が周囲と違う私に、忌み嫌うことなく愛情を捧げてくれた。
そうだ、故郷にいた頃の私は決して一人ではなかった。
肩身の狭い思いをしながらも、両親と幸せに暮らしていたんだ。
その後、私を故郷の外に追いやろうとした村長たちへ抗議してくれたのも両親だった。
結局は、数で押し切られるかたちになってしまったが、抗議してくれたこと自体が嬉しかったことを覚えている。
そして、魔王に追われ、逃げ延びたところで結界の中に閉じ込められた。
それから、長い年月を一人で過ごした。
はじめのうちは、誰かが訪れてくれるかもしれないと思っていたが、そんなこともなく、ただただ一人の時間が過ぎていった。
次第に私は、生きること自体に執着しなくなっていった。
起きて、食べて、寝ての繰り返し、何の変化もない、ただそれだけを延々と繰り返す日々に私は絶望していた。
そして、突然、彼が現れた。まさに運命的だった。
それからは、楽しい旅の思い出しかない。
ああ、死にたくない。こんなところで人知れず死ぬなんて…。せめて、彼に一目会いたい。
そう思い、目を開けた。
目の前には、気色悪い魚面が無表情で槍を振り上げている。
私は目を開けたことを後悔しつつ、もう一度目を閉じた。
……さようなら、リアム……愛しています、どうかお元気で……。
………あれ、おかしい。攻撃が来ない。身体に痛みもない、私は死んだのか?
あの槍に貫かれ、痛みを感じる間もなく死んでしまったのだろうか。
苦しまなくて死ねたなら運がいい。
しかし、どうも周りが騒がしい。何者かが争っている音がする。
ふと、目の前が暗くなった。
私は恐る恐る目を開ける。
目の前には、鉄の剣を持ち、皮の鎧を着用し、赤みがかった茶色いの髪をした青年が立っていた




