72.5話 拳にすべてを捧げた者
無心の間、そこには1人のハゲ頭の男と1人の獣人の娘がいた。
ハゲ頭の方は拳王ウーズ、獣人の娘はアイラである。
今日も2人は数か月前から始まった花嫁修業という名の特訓に精を出していた。
「だから違うと言っているだろう!
拳に体重を乗せるときは、身体の各部位の動きの連動を意識するんだ。
地面を蹴った反動を足から腰に、腰を回転させ腰から肩へ、肩を入れることで肩から拳へ、力を伝えるんだ!」
「だから、言われたとおりにやっておるだろう!
何が不満なのじゃ!」
身振り手振りで教えようとする拳王にアイラは反論する。
花嫁修業という名の鍛錬を開始してからは、ほぼ毎日このような言い争いをしていた。
「不満も何も、できていないから言っているのだ!
どれ、俺が手取り足取り、腰取り教えてやるからこっちに来い」
そう言いながら、いやらしい笑みを浮かべ近づいてくる拳王に向かい、アイラは全力の拳をお見舞いする。
「だから、寄るなと言っておるだろう!
われに触れて良いのは、主さまただ1人じゃ!
気安く触れるな、変態!」
「グフッ…やるな、アイラよ。
今の拳には力が集約されていた…良い一撃だった。
もはや、俺が教えることは…何も……ない」
拳王はアイラの拳を受け、顔面を押さえながらに言った。
それを見て、アイラはため息交じりに言う。
「鼻血を垂れ流して言ったところで説得力もないわ。
われの拳に力が集約されておるのは、われ自身が知っておる。
いいから、早く拳王の技というものを伝授せい!」
アイラは修行をつけてもらい始めたときから、基本動作しか教わっていない。
突き、蹴り、受け、瞑想…それ以外を教わっていないのだ。
そのため、アイラは、ただひたすらにその動作を繰り返した。
おかげで今では、予備動作なく突きも蹴りも放つことができるまでになっていた。
しかし、それだけだ。
それだけであれば、体術に優れた冒険者と同じレベルだろう。
拳王どころか、拳聖にすら遠く及ばないことは、アイラ自身も気づいていた。
アイラは早く強くなって、リアムのもとへ行き、彼を支えたい一心だった。
その気持ちが焦りを生み、修行中の雑念を生み出す原因となっている。
拳王であるウーズはそれを見逃さなかった。
そのため、無心で突きを、蹴りを、瞑想をできるようになるまで一切の助言をしないつもりでいたのだ。
しかし、ある日、状況が一変する。
拳王ウーズのもとへ1人の使者が現れたのだ。
白い上下の服に黒い外套を身にまとい、顔には仮面をつけた、この辺りでは見たこともない格好をしている人間だった。
その使者は、鍛錬に励んでいるアイラには目もくれず、拳王のもとへ向かうと何やら話を始めた。
会話を始めて数分、使者が去ると、拳王は真剣な表情でアイラに言った。
今まで、一度も見たことがないほどの真剣な表情である。
「アイラ、強くなりたい、そう言っていたな?」
突然、真剣な表情で話し始めた拳王にアイラは戸惑いを隠せなかった。
「な、なんじゃ、急に改まって…」
しかし、そんなアイラに構うことなく、拳王は質問を続けた。
「いいから答えろ、お前は強くなりたいと言ったな。
強くなって、主であるリアムを支えるのだと…確かにそう言ったな?」
「う、うむ」
「では聞こう。
お前の主、リアム・ロックハートの目的はなんだ?
お前が強くなることで、本当にリアム・ロックハートの支えになるのか?」
拳王の問いにアイラは目を閉じ考えてみる。
リアムは、自分の考えを口にすることが少ない男だ。
改めて聞かれると、リアムの目的はわからない。
今は、転移トラップによって離れてしまったルーナとソフィリアを探し出すことを目的としているはずだ。
しかし、探し出した後は…わからない。
そう考えると、自分が強くなることに意味はないようにも感じる。
いや、目的などどうでもいいのだ。
リアムが何かをするとき、困難にぶち当たったときに、自分がその困難を取り除くのだ。彼に守られるだけではなく守りたい、だから強くなると決めたのだ。
「主さまの…リアム・ロックハートの目的など、どうでもいい。
あやつの敵がわれの敵であり、あやつの夢がわれの夢じゃ。
それをそばで支えるために、われは強くなる、それだけの事じゃ」
「例えそれで、周りの人間が敵になろうともか?」
「ふん、この世界の全生物が敵になろうとも構わん」
アイラの答えに拳王はしばらく考えたのち、静かに口を開いた。
「そうか、それほどの覚悟か。
いいだろう、お前に拳王の極意を伝授してやる…ついてこい」
2人は無心の間を離れ、森を抜け、巨大な滝つぼの前にいた。
まさか、ここで水浴びをさせられるのか…やはり、ただの変態かとアイラは考えた。
しかし、拳王は真剣な表情のまま言った。
「先ほどのお前の一撃…力の集約された良い突きだった。
しかし、それでは足りん。
いいか、手本を見せる。もう一度、全力で突いてこい」
そう言うと拳王は目を閉じ、静かに深呼吸をした。
アイラは困惑していた。
思い切り殴れと言われても、目を閉じた無防備な状態の相手に全力で殴れるわけもないと。
躊躇しているアイラに向かって、拳王は薄目を開き、ふざけた表情で挑発した。
瞬間、アイラの身体は予備動作なく最小限の動きで、最高の突きを拳王に向けて放つ。
ドゴン、という音がした。
拳王の顔面に打ち込まれた拳、しかし、ダメージを負ったのはアイラの方だった。
先ほどは顔面を押さえ、鼻血を垂れ流していたというのにだ。
拳を押さえるアイラに向かい、拳王は言い放った。
「これが、拳にすべてを捧げた者のみがまとえる闘気、拳魂心装闘気。
これにより攻撃力や防御力、その他様々な身体強化がなされる。
今までの嫁たち…拳聖の称号を与えた5人は誰一人習得できなかったものだ。
だが、お前が真に強くなりたいと願うなら、習得してみせろ」
アイラは一瞬、ふざけた技の名前だとツッコミを入れそうになったが、拳王のあまりに真剣な表情に圧倒され、言葉が出なかった。
そして、アイラはゴクリと唾を飲んだ。
彼女は思う、これからが真の修行なのだと…今までのおふざけとは違うのだと。
「よし、ではまず、雑念を捨てるために、この滝つぼで滝に打たれて来い。
これほどの水量だ、呼吸もままならないだろうが、無心になって瞑想し、まずは自分を見つめ直すところからだ」
アイラはうなずき、滝の真下に入った。
かなりの水量、息が苦しい、ものすごい衝撃に立っていることも難しいほどだ。
しかし、先ほどの拳王のまとっていた闘気、あれは本物だった。
この程度で音を上げていては、到底身につくはずもない。
そう思い、アイラは薄目を開け、チラリと拳王を見た。
やつは、真剣な表情で彼女を見守っていた……いや、真剣な表情ではない、ニヤついた笑みを浮かべている。
彼は、水に濡れたアイラの、身体を見て喜んでいたのだ。
透ける衣服、控えめな胸に浮かび上がるポッチ、衣服が張り付きハッキリと形のわかる尻。
それらを見て、鼻息を荒くしているのだ。
どこまで変態なのだ!いつか…いつか必ず、あの変態の性根を叩き直してくれる。
アイラは、そう心に強く誓った。
彼女が、拳魂心装闘気を身にまとえるようになるのは、今からさらに1年ほど後のことである。
この話で、第四章が終了となります。
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人気作品に比べると少ないと思われてしまうかもしれませんが、作者としてはとても励みになっております。
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次話からは、第五章となります。
引き続き、お付き合いいただければ幸いです。
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