53話 ラウールさんの過去
森を進むこと数時間。
私の歩く速度に合わせてもらっているせいか、あまり進んでいない気がする。
この森は、中央大陸にある森と違い、草は背が高く、木々の根も地面から飛び出していたりと、非常に歩きにくいのだ。
時折、休憩をはさみ少しずつ進んでいく。
集落を出る際に持たされたソロベリアを乾燥させて作ったお香のおかげで、魔物に遭遇していないことが、何よりの救いだと言える。
ふと、先頭の2人が歩みを止める。
ウサギ耳の人は耳を動かし、犬耳の人は、しきりに鼻をヒクつかせている。
ラウールさんも周囲を警戒している。
私にはわからない、何も感じない。
獣人族の人だけが感じられる気配とでも言うのだろうか。
と、思った瞬間、後ろからバキバキと音を立てて巨大な魔物が現れた。
一目見て分かった、この魔物はタイラントマンティス。
なぜ?ソロベリアのお香は焚いているはずなのに。
困惑する私をしり目に、護衛の人とラウールさんは戦闘態勢に入っている。
「ルーナさん、少し離れていてください」
ラウールさんの言葉に私は3人から距離を取る。
タイラントマンティスと呼ばれているこの魔物は、見上げるほどの巨体をしたカマキリに似た魔物である。
鎌状の腕を4本持っており、その全ての腕に3つの刃を備えている。
三角の顔に大きな複眼を備え、口には鋭い牙が生えている。
身体は茶色く、ギシギシと羽を鳴らしていた。
圧倒的存在感、強者の風格というものだろう。
向かい合うガルード族の歴戦の戦士たちにも緊張が走る。
そのままにらみ合うこと数秒、その時は突然訪れた。
タイラントマンティスが、その口を大きく開き、護衛の1人に襲い掛かる。
それを合図にこちらも動いた。
ラウールさんともう1人が素早く距離をとり、もう1人は何やら動きを止めている。
タイラントマンティスの牙が届くかどうかというところで、突然、土壁がタイラントマンティスの目の前に出現する。
どうやら、ウサギ耳の人は魔導士のようだ。
土壁に激突したタイラントマンティスに犬耳の人は弓矢を放つ。
同時に数本放っているのかと思えるほどの速射、その矢の何本かがタイラントマンティスの頭部に突き刺さっている。
身体を起こし、4本の大鎌を振り回すタイラントマンティスの足を、ラウールさんは両手に持った剣で、切り裂いていく。
足を攻撃されバランスを崩したところに、総攻撃をしようとした瞬間、全員が寒気を感じて動きを止めた。
その時、目の前のタイラントマンティスよりも、はるかに大きな魔物が突然現れ、タイラントマンティスに組みついた。
あれは、タイラントマンティス…でも何かが違う。
そう、身体の色、身体が赤黒い色に変色しているのだ。
それを見た、ガルード族の人たちは血相を変えて、こちらに向かってくる。
「タイラントマンティスのメスだ!俺たちでは手に負えない、逃げるぞ!」
私はラウールさんに抱きかかえられ、ものすごい速度でその場を離れる。
ラウールさんの肩越しに背後を確認すると、先ほどの巨大なタイラントマンティスは、すでに全身をバラバラに引き裂かれていた。
チラッと見上げると、ラウールさんは額に冷や汗を浮かべている。
みんな一心不乱に走る、誰も振り返ることはしない。
唯一、私だけが振り返ることができた、自分の足で走っていないからだ。
もう一度だけ、ラウールさんの肩越しに背後を確認する。
大丈夫だ、タイラントマンティスは食事中でこちらを気にしていない。
そのまま数時間は走り続けただろうか、私たちは森の出口付近まで来ていた。
私であれば数日はかかりそうな行程を、ガルード族の人たちなら1日程度らしい。
しかし、日も落ちかけていたため、今日は野営をすることになった。
それと理由はもうひとつ、先ほどから、何者かに後をつけられているという…遭難者の可能性も考慮し、今日1日は様子を見て、必要があれば接触するとのことだ。
私は、木の枝と木の葉で作られた簡易テントの中に案内された。
護衛の2人は周囲の警戒、ラウールさんはテントの護衛をしてくれている。
私は、どうにも寝付くことができず、テントの外にいるラウールさんのところへ向かった。
パチパチという焚火の音だけが周囲に響いている。
「どうしました、眠れませんか?」
「はい、少しお話をしてもいいですか?」
そう言いながら、私はラウールさんの隣に座った。
「ラウールさんは、なぜ私にこんなに良くしてくれるのですか?私としては嬉しいし、凄く助かっているんですけれど、でもなんでかなって」
ラウールさんは一瞬、目を丸くしたが、すぐに優しい表情で答える。
「あなたを助けることは私にとっては、当たり前のことですよ。あなたはルーナ・アルシノエと名乗りましたね。ということは、マルーン・アルシノエさんとは…」
「え、ええ、私の父です。でも、なんでラウールさんが父の名を?」
「………マルーン氏は、私の命の恩人なのです」
私の問いかけに対し、ラウールさんはどこか遠い目をして話し始めた。
《ラウールside》
ルーナさんが俺の隣に座った。
この匂いは俺が最も敬愛する人と同じ匂いだ。
あの時の記憶は何年経とうとも、鮮明に思い出せる。
なぜルーナさんを助けるのか…か。
そうだな、ルーナさんには話そう。
古い昔話、俺とマルーン氏の出会いの話を。
……………………
くそ、体中が痛い、視界がかすむ。
なんでこうなった?
俺は自分の国であるガルガルを飛び出し、近くに停泊していた船に乗った。
そこまではいい、問題はそこからだった。
積み荷に紛れて隠れていた俺は、乗組員に見つかり捕縛された。
激しく抵抗したこともあり、捕縛されたまま海に投げ込まれたのだ。
幸い、捕縛されている縄はすぐに断ち切ることができた。
しかし、ここは大陸から離れた海上…助かるのは絶望的かもしれない。
その瞬間、俺を乗せていた船は大きな音を立て大破した。
うっすら見えるのは巨大な触手…クラーケンか?
船はみるみるうちに海中に引きずり込まれた。
同時に周囲に大波が発生する。
俺も例外なく、その大波にのまれ、気を失った。
そして今、俺は浜辺にいる。
きっと、あの大波によって、この大陸まで流れ着いたのだろう。
しかし、ここはどこだ?見たところ、俺の国の近くにこんな浜辺はなかったはずだ。
それなら、別の大陸か…近くの大陸でいえば中央大陸かアールステラトーン大陸といったところか。
ならば都合がいい、人間どもに獣人族を迫害したことを後悔させてやる。
今考えると、この頃の俺は、周囲に対し怒りの感情しか持ち合わせていなかった。
人間どもに対しては、迫害されたことに対する怒り、故郷の森を荒らされたことに対する怒り。
故郷の者たちが、迫害されているにもかかわらず幸せそうに暮らしているのも許せなかった。
なぜ、自分たちの存在を主張しない?こんな大陸の隅のほうに追いやられて、なぜ幸せそうに暮らしていける?
そんな思いだけで、俺は村を飛び出した。
飛び出してどうするかまでは決めていなかった、それは若さゆえだろう。
目に入った人間すべてに復讐してやるつもりだった。
より多くの人間を殺し、獣人族の恐ろしさを思い知らせる。
それにより迫害はなくなり、獣人族も大手を振って大陸を闊歩できる…そう考えていた。
普通に考えれば、そんなことは不可能なのだが、これも若さゆえの考えだった。
若さゆえに手傷を負った状態で、うかつにもその場を移動した。
そして盗賊に見つかるのだ。
「おいおい、こんなところに獣人族さまが死にかけてるぜ。こりゃあ、とっ捕まえて奴隷として売りとばしゃ、いい金になるんじゃねえか」
「ふん、俺がお前たちなんかに捕まるわけがないだろう。殺してやるから、さっさと来い」
俺の言葉に盗賊たちは殺気をあらわに自分たちの武器を手に取る。
俺もフラフラになりながら、剣を手に立ち向かう。
その瞬間、俺は炎に包まれた、敵に魔導士がいたのだ。
地面を転がり、なんとか炎を消し終えたころには、俺は取り囲まれていた。
「この野郎、少しばかり分からせてやる必要があるな」
盗賊どもはそう言うと、次々と俺に攻撃を加えた。
俺は剣を突き立てられ、火の魔法で焼かれ、鞭で打たれた。
口答えをすれば蹴り飛ばされ、にらめば踏みつけられた。
若い俺の心を折るには、それで十分だった。
俺は諦め、覚悟を決めた。
その瞬間、周囲が騒がしくなる。
盗賊が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「騎士団長、ここに例の盗賊団がいます!」
その声が聞こえた瞬間、俺も逃げようとしたが身体が動かない。
騎士団…迫害の歴史を担った張本人たちだ。
ここで見つかれば、俺もただでは済まない。
しかし、いっこうに騎士団は現れない。
不思議に思い顔を上げると、そこには1人の男が立っていた。
商人風の少しポチャッとした男。
その男は敵意ではなく、優しい視線を俺に向けていた。
俺はその男に牙をむき出しにし、威嚇しようとしたところで意識を失った。
気が付くと焚火の前で俺は横になっていた。
顔を横に向けると、先ほどの男が座っている。
俺は身体を起こす、と、同時に全身に激痛が走る。
見ると全身を包帯でグルグル巻きにされていた。
「たまたま、治療キットを持っていてよかったよ。私は回復魔法が使えないからね。目が覚めたなら、これを飲むといい、傷の痛みは消えるはずだ」
そういう男の手には、ピンク色の液体の入った小瓶が握られている。
俺はその手を払いのけ、同時に爪で彼の肩口に傷を負わせる。
彼はよろめき肩口を押せているが、いまだに敵意を向けてこない。
戸惑う俺に彼は優しく語りかけてきた。
「私はきみの敵ではないよ。たしかに人間と獣人の間に禍根はある。しかし、いつまでも憎しみに囚われていては、なにも進まないよ」
「………」
「私はね、人間も他の種族も仲良く暮らしていける世界を作りたいんだ。今はまだ商人として資金調達に苦労しているがね。資金が集まり次第、私は人の上に立てるような地位を目指すつもりだ」
「………」
「きみは私の目標の第一歩だ。私はきみを傷つけない、きみはそんな私を信じてくれるかな?」
そう言うと、彼は俺に傷ついた側の手を差し伸べてきた。
肩口の傷は痛むはずだ、血は滴り、痛みからかブルブルと腕全体を振るわせている。
それでも彼は優しい笑顔を俺に向けている。
それを見た俺は、胸を締め付けられるような息苦しさを感じた。
「そんなことが本当にできるのか?俺たち獣人と、お前たち人間が協力して生きていける世界を作ることなど…本当にできるのか?」
「できるかはわからない。でも、やろうとしなければ、できるものもできないんじゃないかな?できるかどうかではなく、やるかやらないかだよ」
彼の言葉に俺は衝撃を受けた。
俺は復讐することで、相手に恐怖心を植え付け、自分たちの存在を主張することしか考えていなかった。
しかし、それでは憎しみの連鎖でしかなく、復讐は復讐しか生まないのだ。
憎い相手だとしても、こちらが心を開き、真摯に向き合えば相手も心を開いてくれる。
それこそが平和的な解決であり、われら種族にとって真の自由へとつながる道なのだ。
この男が、それを気づかせてくれた。
そういえばこの声、さっき、騎士団長を呼んでいた声と同じ…そうか、傷の手当だけでなく、はじめから彼に助けられていたのか。
俺は、この男の手を取る。その手は戦士としては頼りなく、男としては弱弱しかったが、たしかに彼の体温が伝わってくる。
「私は、マルーン・アルシノエ。君の名を聞いてもいいかな?」
スッと今までの怒りやモヤモヤした感情が薄れていく。
この男に、命だけでなく、心も救われたのだ。
俺は、このときこの男と志を同じくすると決めた。
彼の望む世界を俺も目指す、そう心に誓ったのだ。
「俺は、ラウール。ラウール・ガルーディア」
《ルーナside》
私はテントに戻ってきた。
ラウールさんの話を聞いて、余計に眠れなくなりそうだった。
ラウールさんの話……お父様の過去。
初めて聞いたけど、やっぱりお父様は優しい人だった。
子供のときに水浴びをしていて見つけた傷、あれはラウールさんがつけた傷だったんだ。
お父様は今でも種族の垣根を取り払おうと尽力している。
現にキーウッドには、様々な種族が出入りしているし、町の人たちも偏見なく迎え入れることができている。
ラウールさんも、あれこれと働きかけ、少しずつ獣人族と人間が協力していけるようになってきているらしい。
夢のある話だ、様々な種族が差別なく暮らしていける世界、素晴らしいじゃないか。
私もその一端を担いたい。
そうだ、いろんな土地でガルード族の話をしよう。
それと、もし故郷に帰ることがあったら、お父様にラウールさんの話をしよう。
きっと、驚くに違いない。
でも、そうだ、まずはカルテリオだ。
カルテリオでリアム様たちの情報を集めながら、ガルード族の話をしよう。
こうして私の今後の行動は決まったのだった。