45話 研究開始
俺とルルーシュさんの研究が始まった。
初日は、治療院のなかにある設備を使い、俺の肩口の切断面を観察した。
特に化膿や毒気に侵されていることなく、問題なく再生治療に臨めるということだった。
健康状態の観察といっても、傷口の確認くらいしかやることがない。
早々に立ち去ろうとする俺を、彼女は引き留めた。
「あ、あの…片腕ではなにかと不便かと思いますので…もしよかったら、身体をお拭きしますが……」
彼女は控えめに言った。
服の裾をチョコンとつかみ、上目遣いでこちらを見ている。
断れば今にも泣きだしそうな、そんな視線だ。
その視線に少しドキッとしてしまう。
「あ…ああ、じゃあ、すまないが、よろしく頼む」
彼女はお湯と布を用意し、俺の背中を拭き始めた。
優しく、しかし力強く、丁寧に拭いてくれている。
旅の間に宿屋で身体を拭いてもらっているときを思い出す。
「リアムさんは、魔導士なのにたくましい背中ですね。きっとこの背中に、何人もの人々が助けられたのでしょうね」
そう言うと、彼女は布ではなく、その細くキレイな手で俺の背中を撫でた。
彼女の手は細いのに柔らかく、温かかった。
その手に触れられていると、自分の身体が熱くなる。
自然と全身に力が入り、筋肉が硬直していく。
いかん、いかん…彼女は善意でやってくれているのに、なにを考えているんだ俺は。
そういえば、前にもこんなことがあったような…あれはいつだったか…。
しばらくそんなことを考えていると、いつの間にか背中は拭き終わっていた。
「明日は魔法陣の解析の手伝いでしたね?」
俺は身支度を整えながら、彼女に問いかける。
「はい、朝は診療の補助がありますので、昼食後にこちらにお越しください。それともお迎えに上がりましょうか?」
「いや、そこまでしてもらっては申し訳ない。昼食を済ませてから、自分で来ますよ」
俺の返事を聞いて、彼女は苦笑を浮かべながら言った。
「なんだか、不思議な感覚ですね。私と話すときは、かしこまらないでください。これから一緒に研究していくわけですし…そうです、パートナーなんですから」
彼女はそう言いながら、はにかんで笑った。
その笑顔に、また俺の心臓が早鐘を打つ。
どうやら、俺は彼女の笑顔に弱いようだ…フードをかぶり口元を布でおおっているはずなのにだ。
しかし、あの笑顔、やはりどこかで…いや、今は考えるのはよそう。
「わかった、ではまた明日」
そう言って、俺はルルーシュと別れた。
翌日、治療院の研究施設。
ルルーシュは大量の紙に、自分で編み出した魔法陣を記述していく。
四角い紙に丸く縁取った魔法陣、その中にいくつもの線を書き加えていく。
書いてはビリビリと紙を破り、書いてはクシャクシャと紙を丸め、ルルーシュは何時間も机と紙に向き合う。
そうして、ようやく一枚の魔法陣が完成する。
俺にはなにがなんだかわからなかった。
なにが失敗で、なにが成功なのか、見ているだけでは全くわからない。
かと言って、口を出せる雰囲気ではないほどの集中力、これなら本当に新たな技術を確立できるかもしれない。
ルルーシュを見ると、真剣な表情で額の汗をぬぐっていた。
机に向かっているだけとは思えない汗の量、それだけで、いかに彼女が真剣であったかが分かる。
俺は自然と彼女の肩に手を置いていた。
「お疲れ様だな」
俺の言葉に彼女ははにかんだ笑みを浮かべる。
「ここからはリアムさんのお力をお借りします」
そう言うと彼女は、治療院の地下室に俺を案内する。
そこにはいくつもの檻があり、中には小型の魔物が捕らえられている。
その中の1つの檻の前で彼女は足を止める。
中にいたのは、泥沼に生息するネズミのような小型の魔物だった、前足と後ろ足が1本ずつ欠けたマッドラット。
彼女は俺に魔法陣を渡した。
「この魔法陣をマッドラットに当てて、魔力を流してください。もしも、その魔法陣が正しく書けているなら、マッドラットの足が再生するはずです」
彼女に言われるがまま、檻の中に入り、威嚇するマッドラットに魔法陣の書かれた紙を押し付け、魔力を流し込む。
俺の手から魔力が吸いだされる、初級魔法レベルではない…中級…いや上級魔法レベルの魔力を消費しているかもしれない。
これなら、たしかにそう簡単に実験が進まないのもうなずけるな。
次第に魔法陣が薄赤い色の光を放ち始める。
が、少しするとその光は小さくなり、やがて光は失われた。
同時にマッドラットもその場で倒れ、絶命している。
これは……失敗だろう。
「失敗ですね」
明らかにがっかりしたような声が背中から聞こえてくる。
俺とルルーシュは再び、研究室に戻ってきた。
どうやら今日の手伝いは終了のようだ。
ルルーシュが今までの魔法陣をもとに独自の魔法陣を作成。
それをギルドに依頼し、捕獲してきた手負いの魔物に実験的に使用する。
さらに新たな遺跡に行き、ヒントとなる新しい魔法陣を探す。
これが、一連の流れのようだ。
そして、ここから俺は数日間、暇な時間になる。
アルクは転移トラップについての調査、ルルーシュは治療院での診療があるらしい。
さて、俺はどうしたものか。
俺は町の散策に出かけた。
どこもかしこも薬品や薬草が立ち並んでいる。
そして値段も安価だ、今後の旅を考えるならここで一通り揃えるのも良いかもしれない。
ふと、路地に目をやると、見慣れた金髪の青年が歩いている。
調査に行っていたはずのアルクだ、どうやら帰ってきていたらしい。
彼の目の前にはフードをかぶって、口元を布でおおった女性…ルルーシュか?
2人はなにやら会話をしているようだ。
遠目から見ても、楽しげに会話しているのが分かる。
そういうことか……。
俺は、少しモヤモヤとするものを感じながら、その場をあとにした。




