41.5話 ソフィリアの転移
これは夢か?
そう思ったのは、目に映る光景が、客観的な目線で見る自分の姿だったからだ。
自分の目で見た光景が目の前に広がっていたならば、あるいは夢ではなく現実かと錯覚するほど、鮮明な夢…いや、記憶か。
私が見たものはリアムさんが旅立ってから、私のもとに帰ってくるまでの日常の記憶だ。
あの日からだ…リアムさんが私の前に現れてから、私の日常はガラッと変わった。
何年も1人で結界の中に閉じ込められ、退屈な毎日。
その退屈にすら慣れ始め、無思考で生活を続ける日々。
そんな毎日を彼は、一瞬で切り裂いた。
朝起きて、窓辺の植物に水をやりながらリアムさんのことを考える。
リアムさんは今頃、なにをしているのだろうか。ケガはしていないだろうか…と。
部屋の掃除や洗濯をしながらリアムさんのことを考える。
今もあの頃のまま、鉄の剣と皮の鎧、獣のコートを身に着けているのだろうか。
あの装備では、そうそう長旅はできないだろう。
既に新しいものに変えているかもしれない…それでも、大切にしていてくれたなら嬉しい。
食事のときもリアムさんのことを考える。
リアムさんは私のもとに滞在している間、よく食べた。
私はハイエルフ、長寿であり小食で、普段は獣の肉を食すことはない。
きっとリアムさんに出した肉料理は、そこまで美味しくなかったと思う。
それでもよく食べた…次に料理をふるまうまでには、料理の腕も上達したい。
だから、普段から慣れない肉料理も食べるようになった。
獣の狩りに行くときもリアムさんのことを考える。
魔法は魔力量のせいで未熟で、剣術も粗削り…でも、一生懸命に剣を振っている姿が印象的だった。
きっとあの剣で、いろんなものを守っていくんだと思った。
その守る対象に私も入っているのだろうか…いや、贅沢は言うまい。
夜もリアムさんのことを考える。
儀式の後の口づけ…本当なら、もっとその先のこともしたかった。
でも彼は、まだ若く、目的もあった。
そんな彼を私なんかが誘惑してはいけないと思った…今になって思えば少し後悔している。
一日中、なにかをしながらリアムさんのことを考えていると、自然と身体が熱くなる。
子宮の奥がキュンとなる感じがする。
自然と私の手は下半身へと伸びていく。
内ももを優しく撫でていき、そのまま奥へと手を滑らせる。
リアムさんのことを考えれば考えるほど、その手は激しく動いた。
そんな日常は、リアムさんが現れる前には考えられなかったことだ。
そしてある日、リアムさんは私を迎えに来た。
嬉しかった、そのままどうにかなってしまうかと思った。
でも、リアムさんには2人の女性が付き従っていた。
だから、私は半歩下がることにしたのだ。
その後の旅も幸せなものだった。
好きな人と見知らぬところへ旅をする…これ以上の幸せがあるだろうか。
ルーナさんもアイラさんも、リアムさんに好意を寄せてはいるが、私を受け入れてくれている。
幸せだ、この日常がずっと続けば…。
そんな風に思っていると突然、目の前の景色が急速に流れていく。
夢が終わったのだ。
そして私は目を開けた。
目の前には、草木も生えない荒野が広がっている。
なぜ、こんなところに一人でいるか…それはわかっている。
ただの知識としては知っている。
これは、転移トラップによるランダム転移に巻き込まれたのだ。
きっと、リアムさんも、ルーナさんも、アイラさんも、冒険者の人も、みんな巻き込まれた。
いや、リアムさんと冒険者の人は、ルーナさんが投げた帰還玉の効果範囲にいたはず。
帰還できていなかったとしても、あの時、リアムさんは冒険者の人と触れていた。
転移するにしても二人一緒のはず。
それなら、私の取るべき行動は1つ。
ルーナさんと、アイラさんを探しながら、リアムさんのもとへ帰ることだ。
私はみんなに助け出された。
今度は私がみんなを助ける番だ。
大丈夫、私は落ち着いている。
ハイエルフとして長い年月を生きてきた。
ときには、1人で魔王から逃げたことだってある。
それに比べればこれくらいのことは、どうということはない。
でも、ここは少し私としては相性が悪い土地だ。
見た限り、噂に聞いたことがある魔族の大陸……魔大陸だ。
魔族にとって私は宿敵といってもいい。
はるか昔の種族間の戦争の禍根が今も残っている、エルフを目の敵にしている魔族は多いのだ。
早い段階で、海を越え、別の大陸へ渡る必要がある。
しかし、右も左もわからない土地で目的地を目指すことは至難の業だ。
できれば、協力者を得たいところである。
でもここは魔大陸…一体どうすれば…。
しばらく考え、思いついた。
そうだ、まずは南を目指そう。
魔大陸の南に行けば、海を挟んで別の大陸があるはずだ。
それくらいは知っている。
そして私はハイエルフだ、深い森の中で生活するうえで身につく特技がある。
方角だけはわかる、どこにいてもどこを向いていても方角は見失わない。
そうして南に歩いてしばらく、海が見えてきた。
どうやら、魔大陸でも、かなり海に近い場所に飛ばされたようだ。
海岸線を見渡す。
運よく、船も何隻か見えた。
あとは、どうやって船に乗り込むか…。
そんなことを考え込んでいたせいか、背後の気配に気づくことができなかった。
ポンッと肩に手が置かれる。
「よう、お嬢さん。こんなところで何してんだ?」
「ひぃっ!」
小さな悲鳴とともに振り返ると、そこには数人の人影。
ボサボサの髪に、手入れのされていないヒゲ、身なりは汚く、見るからに盗賊風の人間だ。
人間だった、それだけでざわついた自分の心が、静けさを取り戻していくのがわかった。
「おう、このエルフ、スゲーいい女だぜ。こりゃあ高く売れるな。魔大陸まで素材集めに来たかいがあったぜ」
「おい、お頭のとこに連れて行こうぜ。魔大陸の素材を売りさばくよりも、絶対金になるぜ。ぐへへへ」
盗賊風の男たちは下品な笑みを浮かべながら、何やら相談を始めた。
どうやらこの人間たちは、魔大陸の素材を高額で売りさばく商人兼盗賊のようだ。
きっと、魔大陸の素材を中央大陸やアールステラトーン大陸へ運ぶに違いない。
ここで捕まったふりをして、海上を移動できれば、一気に目的地に近くなる。
私はそう考え、おとなしく盗賊風の男たちについていった。
案の定、船に乗せられ別の大陸へ移動するようだ。
私は目隠しと猿ぐつわをされ、手は後ろ手に縛られた。
正直、魔導士相手にこの拘束では不十分だ。
手を縛る縄は魔法で焼き切ることができてしまう。
彼らは、きっと私が魔導士であるとは思っていないのだろう。
物のような扱いをされてはいるものの、食事は与えられた。
その時だけは拘束を外され、見張りのもと食事を許された。
普通、人さらいは拘束を解かないし、食事も犬のように地面に顔を近づけて食べなければならない…そう考えると、彼らはなんと甘いのか。
それに身体もキレイなものだった…野蛮人たちの性のはけ口にでもされるかと心配していたが、高価な商品ということで、身体を汚されることもなかった。
おかげで、私は冷静でいられた…冷静でいられたからこそ、今後の計画を練ることもできた。
中央大陸に運ばれたならば、ギルドに顔を出し、リアムさんたちの情報を集める。
リアムさんたちは中央大陸の出身だ、魔王討伐の功績もある。
頼めば、捜索に手を貸してくれるはずだ。
アールステラトーン大陸に運ばれたなら、まずはレインフォースに行き、その後、転移した原因となる遺跡に向かう。
もしかしたら、その地で転移トラップについて調査をしている可能性もある。
東の大陸…たしかルイバリンガ大陸だったか。
その土地には、まだ足を踏み入れたことがない。
そこに運ばれたならば、機を見て身を隠し、そのまま情報収集をするしかない。
リアムさんもいずれは、全ての大陸を回ってみたいと言っていた。
もしかしたら、捜索のために訪れているかもしれない。
そんなことを考えながら、船に揺られること数日…ふと、船の動きが止まる。
耳を澄ませると、どうやらここから複数の船に荷物を分配し、それぞれ違う大陸へ運ばれるらしい。
私も別の船に連行された。
どうやら、中央大陸南部のソルラクト王国へ運ばれるようだ。
さらにそこから数日が経過しただろうか。
突然、船が大きく揺れ始め、船員が慌て始めた。
徐々に傾きが大きくなる船、明らかに異常事態であることがわかった。
私は魔法で手を縛っている縄を焼き切り、船室の外に出た。
目に映ったのは、巨大な大渦。
そこにゆっくりと飲みこまれていく自分たちの船。
私は一瞬にして理解した、この規模の大渦では自分が魔法を使っても、脱出は不可能だと。
噂には聞いたことがあった。
島ひとつくらいの大きな魔物が、海中から大渦を発生させ、海上の全てのものをまるのみにすると。
名は、たしかカリブディスだったか?
噂では牙の生えた巨大な口に飲みこまれるという話だ、しかし、大渦の中心にそのようなものはない。
では、これはただの大渦か。
そこまで考え、私は生きる希望を失った。
静かに目を閉じ、その場に座り込む。
同時に思い出されるのはリアムたちと過ごした日々だった。
リアムさんは今頃どうしているだろうか。
無事に冒険者を送り届け、ルーナさんやアイラさんを探しに行っているだろうか。
もしそうだとしたら、私のことは諦めてほしい。
私はきっと助からない…そんな私のために時間を使うべきではないのだ。
もう十分、リアムさんたちには良くしてもらった。
諦めていた、外の世界を旅することができた。
……もう十分だ。
これ以上、何を望むことがあろうか…。
…そうだ、恩返し……恩返しができていない。
リアムさんは私が力を授けたから、魔王を倒すことができたと言っていた。
でも、それは違う。
帰ってきたリアムさんは私の授けた魔力を、大きく超えた魔力を手にしている。
きっと、私が手助けをしなくても、自力で魔王を倒すことくらいはできたかもしれない。
それなのに、片腕を失ってまで彼は私を助けてくれたのだ。
その恩に私は報いたい…いや、それも言い訳か。
好きな相手と一緒にいたい…ただそれだけのことだ。
若い時に私に課せられた使命。
その使命を果たす相手が、自分の理想であったら、どんなに素晴らしいことかと、そう思っていた。
そして彼は、リアムは、私の理想そのものだ。
いつまでも一緒にいたい。
ルーナさんを妻にしようとも、アイラさんと結ばれようとも、私はそばで仕えるのだ。
それが、私ができるリアムへの恩返し。
もし…もしも、私も寵愛を受けることができたならば、彼との子が欲しい。
いや、それは贅沢すぎることだ…あつかましいと思われるだろう、それは叶わぬ夢だ。
そばにいる、それだけで十分なのだ。できれば、最後の瞬間も一緒にいたい…それだけで。
……急に死にたくないと思えてきた。
死ぬのが怖いと思った。
諦めたはずなのに、リアムたちを思うと、何とか生き延びたいと、そう思ってしまった。
しかし、現実は変わらない。
私を乗せた船は、ゆっくりと大渦に飲みこまれていった。




