103話 稽古の進捗
「お、おい。フィアーネ、サーシャは彼女に任せておいて本当に大丈夫なんだろうな?」
リゼが現れてから数日、俺はフィアーネと、サーシャはリゼと、それぞれマンツーマンで稽古をしていた。
正直、リゼの第一印象からするに、サーシャを彼女に任せっきりにするのは、少々心配だ。
リゼ本人がサーシャとぶつかり合う可能性があるというのもあるが、単純に暴走したサーシャをなだめられるとは思えない。
「リゼは、人格に大きな問題はあるけど、腕は確かよ。
憑き子であるサーシャさんが暴走したとしても、リゼなら止められるかもしれない。
彼女も憑き子だから、力の制御については彼女以上の適任はいないわ」
リゼも憑き子だったのか、サーシャと違って外見では判断できなかった。
サーシャも力の制御ができるようになれば、額の角も目立たなくなるのか。
だとしたら、サーシャにとっては願ってもないことだ。
外見で憑き子と判断できなければ、少なくとも見ず知らずの他人から忌避されることは無くなるはずだからな。
「ただ、人格に難がありすぎるから、その影響を受けないことを願うだけね」
「人格に難がある……それはいったいどういうことなんだ?」
フィアーネは言いにくそうに手で口元を押さえながら言った。
「リゼは、一部の人たちからは性獣とも呼ばれているわ。
彼女は、気に入った男性を見境なく食い荒らすことで有名なの。
そのことでトラブルも多いけど、彼女の強さに相手は泣き寝入りするしかない。
だから彼女の敵は、この世界には数多く存在する、いわば危険人物ね」
その説明を聞いたとき、俺の中で自然と納得できた。
リゼの視線や仕草、声から漂う色気はそういうことだったか。
あれで迫られれば、たいていの男は彼女に食い物にされるだろう。
「まあ、気に入った男性にしか手は出さないから、サーシャさんが直接何かをされる心配はないけど、変なことを吹き込まれていないといいわね」
それはそうだが、サーシャに異性のことを考える頭はあるのだろうか。
アルセイフには懐いていたし、俺にも心を開いてきている気はするが、いまだに他人への視線は鋭いものを感じるし、そういう話題になったこともないが。
「それとあなたもよ、リアム・ロックハート」
「ん、俺か?」
「そうよ、どうやらあなたはリゼに気に入られたみたいだから。
まあ、せいぜい夜襲に気を付けることね。
私は彼女とは馬が合わない、もし仮にあなたがリゼと一夜を共にしたなら、私はあなたへの一切の稽古を拒否するわ!」
「き、肝に銘じておくよ」
「そうしてくれると助かるわ」
フィアーネの冷たい視線、強い言葉に戦慄を覚えながら、俺はうなずいた。
リゼと関係を持てば、本当に全てを拒絶されそうだ。
よほど仲が悪いのだろう……いや、リゼの態度を見るにフィアーネが一方的に嫌っている感じか。
なんにせよ、リゼとは関わり合いにならないほうがよさそうだ。
「あら、そんな寂しいことを言わずに、私とも仲良くしてほしいのですけれど。
どうです、さっそく今夜、私の寝所にいらしてみては?
あんな気娘を気取ったお子ちゃまより、よっぽど今度の役に立つことを教えられましてよ?
もちろん、女性に対してのですけど」
突然、後ろから抱きつかれ、そのまま胸やら首やら頬やらを撫でまわされる。
大きくもなく小さすぎることもない、ほどよい大きさの柔らかい感触が背中に伝わる。
聞いているだけで、トロけてしまいそうなこの声色は、間違いない、リゼだ。
「リゼ!あなた、何しにここへ!」
「あら、フィアーネ、何をそんなに怖い顔をしているの?
私は、お二人の稽古を見学させていただこうとしただけですのに」
「そう。それなら、もう用は済んだでしょう?
稽古の途中なの、出て行ってもらえないかしら」
「相変わらず、私には冷たいですのね。
でも私が用があるのは、この坊やであって、あなたではないの。
すぐ済みますから、彼をお借りしてもいいかしら?」
そう言いながら、後ろから俺の耳を甘噛みしてくる。
やめてくれ、見ろ、フィアーネのあの顔を。
俺も巻き添えを食って殺されかねないぞ。
「彼は、私が剣王様より託されたんです。あなたに、邪魔はされたくありません」
怒気のこもったフィアーネの声、寒気がするほどの殺気。
俺はリゼの拘束を解こうと身体を動かした……動かない。
俺の力では彼女の拘束を解くことができない。
細身のこの身体のどこにこんな力があるというんだ……そうか、これが憑き子の力か。
「本当にすぐ済みますのに。
いいでしょう、フィアーネも一緒にどうぞ。
1人くらい増えても、私は全然構いませんのよ」
そう言うと、俺とフィアーネ、リゼの三人は広間を出て、外に向かった。
移動中、終始、俺の腕に絡みつくリゼを見て、フィアーネの殺気がどんどん強くなっていることに戦慄を覚えながら向かった先は、大練武場の裏の林の中だった。
いったいこんな林の中で、何をするというのだ。
少し歩くと、木々がなぎ倒され、地面のえぐれた場所に到着した。
「さあ、始めましょう」
「いったい何を……」
言いかけた俺の目に飛び込んだのは、ボロボロの姿のサーシャだった。
全身血まみれで、虫の息だ、いったい誰がこんなことを。
「さあ、早く回復魔法を唱えてあげなさいな。本当に死んでしまいますわよ?」
俺は彼女に言われるがまま、サーシャに回復魔法を唱えた。
徐々に傷は回復しているが、まだまだ時間がかかる。それほどの大ケガだった。
「いったい何があったんだ?」
俺の問いにリゼは平然と答えた。
「何って、稽古をつけていただけでしてよ?
ただ、剣術の稽古と憑き子としての力の制御、両方をいっぺんに行っていましたら、暴走してしまいましたの。
抑えきれないかと思ってヒヤヒヤしましたわ」
サーシャの暴走化を止めた、しかもこんな……無傷で平然としているなんて。
フィアーネの言う通り、彼女は相当の実力を持っているのかもしれない。
「あなたね、剣術の稽古と力の制御を同時に行うねんて無茶よ!」
「そんなことを言われましても、フィアーネ。
私、剣王様より手段は選ぶなと申しつかっておりますの。
それにまだ死んではいないのだから、いいんではなくて?」
「そういう問題じゃ……」
「いい、あたしなら大丈夫よ。
ロックハート、その、あ、ありがとう。
リゼ師匠、申し訳ありませんでした。修行の続きを」
フィアーネの言葉を遮るように、サーシャは身体を起こした。
サーシャがリゼを師匠と……彼女がこんな短期間で心を開くとは、リゼとの信頼関係が築けている証拠か。
「フィアーネ、ひとまずサーシャのことはリゼさんに任せよう。
大丈夫なんだな、サーシャ?」
「ええ、大丈夫よ、心配いらないわ。あたしを誰だと思ってんのよ」
俺の問いに、サーシャはまっすぐに俺を見てうなずいた。
これだけ強がりが言えれば十分だろう。
「あら、リゼさんなんてよそよそしい。リゼでいいですわ。
フィアーネ、あなたよりもこの坊やの方が、よっぽど物分かりがよろしくてよ?」
「わかりました!行きますよ、リアム・ロックハート!」
後ろを振り向かずその場を立ち去るフィアーネ。
俺はリゼに一度だけ、頭を下げ、その場をあとにした。
サーシャも死にもの狂いで頑張っているんだ、俺も負けてはいられないな。
その日、フィアーネとの稽古にて、まさか自分がサーシャと同じくらいの大ケガを負うことになるとは、このときの俺は知るよしもなかった。




