第11話 戦々恐々観戦
「イヴリン、イヴリン、どうしてあなたはこんなことを」
客席に座ったリズは頭を抱えてぶつぶつつぶやいている。
ポスターを見た後、すぐに選手の控室に向かおうとしたが、警備の人間に阻止された。
ポスターがあるってことは昨日のうちに選手登録をしたのだろう。
ということは、昨日、リズに言われて、すぐに闘技場に来たということになる。
それにしても。
「まさか、見るだけじゃなくて、選手になるとはな」
俺も顔を真っ青にして、眼下で起きている殴り合いを見ていた。
手に革のグローブをつけた男たちが顔を血まみれにしている。
「早く辞めさせないと。相手はワイルドベアでしょ。無理よ、イヴリンには。やだ。目の前で殺されるの見るのは嫌。ああ、私のせいだ、私の……」
リズは石でできた椅子を殴りつけた。
指から血が出て、椅子を染めた。
俺は両手で顔をこする。
ああ、イヴリン。
時間は無情に過ぎていく。
拡声魔法を使ったアナウンスが入って、ワイルドベアが場内に現れた。
でかい。
首輪には6本の鎖がついていて、それぞれを奴隷が引っ張っている。
奴隷は成人男性で、おそらく俺より背が高い。
ワイルドベアの体長は彼らの三倍を超える。
クマの唸り声が場内に響く。
歓声が沸き起こる。
目が血走った観客たちの手には小さな紙切れが握られている。
賭けだ、すぐに察した。
観客は賭けに夢中になっている。
いや、それ以上に女がクマに殺されるのを見たいと思っているのかもしれない。
ぞっとした。
目を背けたい。
リズは目を覆って俯いていた。
よく知る人間が、公開処刑を受ける、そんな気分だった。
闘技場の扉が開く。
ああ。やはりそうだ。
イヴリンが、いつものメイド服で現れた。
歓声が倍加する。
その声に驚いたのか、ワイルドベアが猛烈に暴れだした。
首をふり、奴隷が飛ばされる。
飛ばされた奴隷はワイルドベアの前に転がる。
鋭い爪の付いた巨大な手が襲い掛かる。
「ぎゃああああああ」
鮮血が舞う。
ワイルドベアは奴隷の一人を喰い始めた。
空腹にしたクマを連れてきたのか。
奴隷たちは我先に逃げ出した。
イヴリンは腕に鎧の一部をつけている。
鉄製で、頑丈そうだ。
スカートが風で翻るたびに見える足元にも鎧をつけている。
イヴリンが立ち止まった。
ワイルドベアは血まみれの口で、死体を放り、咆哮した。
両者、にらみ合う。
先にワイルドベアが動き出した。
その巨体が動くたびに、地面が抉れ、足が高く上がる。
駆ける。
イヴリンが構える。
ワイルドベアは腕を振って、イヴリンの腹を抉ろうとする。
速い。
すでに、かぎ爪はイヴリンの――
飛翔。
イヴリンは襲い掛かる腕を蹴った。
力を利用した飛翔。
ワイルドベアの顔面を蹴るのに十分な高さだ。
イブリンは身を翻して回転し、振り下ろすようにワイルドベアの、左目を蹴り、抉った。
「ぐおおおおおおぉぉぉぉ」
ワイルドベアは呻き、首を振る。血が地面に飛び散る。
イヴリンは着地すると、距離を取った。
気付けば、リズが顔を上げて眼下の戦闘に見入っている。
「あんなことできたの?」
「いや……できなかったはずだ」
そうだ。
あんなことできなかったはずだ。
俺はイヴリンに戦闘プログラムをインストールした記憶がない。
家政婦用アンドロイドにそんなことをするやつはいない。
ではなぜだ?
俺はイヴリンが読書をする様子を思い出した。
彼女は一ページずつ一瞬見るだけで記憶していた。
記憶力。
そうだ、彼女には記憶力がある。
「覚えたんだ」
「え?」
「昨日、リズに言われて、イブリンは闘技場に来た。それは選手登録したからわかる。その時に、行われていた戦闘を見たんだ。昨日、誰が戦っていたかなんて知らないけど、そいつらの戦闘を記憶したんだよ」
「何を言ってるの?」
「イヴリンがどうやって本を読むか知ってるか? 一ページを一瞬見ただけで全部暗記できるんだぞ。あの子はそうやって暗記した本を必要な時に思い出して読むんだ」
「そんな、そんなことできるわけない」
「イヴリンならできる。今度試してみたらいい。とにかく、イヴリンは戦闘方法を記憶したんだ」
戦闘方法のインストール。
体の動き、筋肉の動かし方、慣性力。
そのすべてを暗記して、今戦闘している。
イヴリンがワイルドベアの右目を狩った。
両目を失ったワイルドベアは立ったままふらふらと動き回るだけの肉塊になった。
イヴリンは腰からナイフを取り出す。
ワイルドベアの膝に乗って飛び、さらに、肩を蹴ると、飛躍する。
ナイフを両手で持ち、体重を乗せて、振り下ろした。
根元まで眉間に突き刺さる。
ワイルドベアはふらふらと歩いたが、その後ずずんと倒れこんだ。
歓声が上がる。
「すげーぞ姉ちゃん!」
「また見せてくれ!」
「一獲千金だああああ」
俺もリズも、その中で、安どのため息をついてうなだれていた。
「私本当に謝らないと……。こんなことになるなんて」
「ああ、そうしてくれ」
◇
選手控室の前には人だかりができていた。
すぐに会えそうになかったので、俺とリズは家に戻り、イヴリンの帰宅を待った。
帰ると、シーラがメイド服姿で出迎えた。
「おかえり! リーチ!」
シーラが抱き着いてきた。
リズが俺を睨んでいる。
「……なに、この子。どういう趣味?」
「違う、俺がやったわけじゃない! なんでメイド服なんか着てる?」
「働かざる者食うべからずだって、昔お父様に言われたから」
マリーがあわててやってきた。
「おかえりなさいませ。イヴリンがいない分、仕事を手伝ってもらっていたんです」
「ちゃんと頑張ったんだよ。えらい?」
「ああ、えらいよ」
リズがまだ睨んでいる。
俺が何もしないでいると、シーラは頬を膨らまして、俺の手を取って、自分の頭の上に乗せた。
「なでなでして」
「はいはい」
頭をなでると、シーラはにっこりとほほ笑んだ。
その時、耳が見えたのだろうか、リズの表情が変わった。
「ちょっと待って。その子エルフじゃない!」
「そうだよ。昨日助けたんだ」
「やっぱりクエストだったんだ! 私のこと差し置いて!」
「ソロクエストだよ。指名があったんだ。ごめんって」
俺は自分の〈隠密〉が認められて、ギルドにエルフの奪還クエストを言い渡された、とかなんとかぼやかしながら説明した。
「ふうん」
リズは怒っている。
「お姉ちゃん、手ケガしてる」
石の椅子を殴った時の手の傷を見てシーラが言った。
今は包帯を巻いている。
血がにじんでいる。
「ああ、うん」
「治してあげるね」
そう言うと、シーラはリズの手を取って、念じた。
ほのかに、リズの右手が光を帯びる。
「はい」
「ありが、とう」
リズは手に巻いていた包帯を外した。
そこに傷はなくなっていた。
「こんなことできたのか?」
「えへへ。私回復のスキルあるんだよ。腕をくっつけることはできないけど、切り傷とか矢の傷くらいなら治せるんだ」
「すごいな」
シーラはまた頭を向けてきたので、俺は撫でてやった。
◇
イヴリンは夕食前に帰ってきた。
メイド姿ではなく、この前買った服を着ている。
メイド服と鎧はどこにやったのだろう。
ああ、マジックボックスか。
俺たちはイヴリンが帰ってきた音を聞いて玄関ホールに出ていた。
俺を見て、イヴリンは頭を下げた。
「申し訳ありません。仕事に戻ります」
「いや違うんだ。今日闘技場で戦ってただろ?」
イヴリンは一瞬首を振りかけたが、リズの姿を見て悟ったのか、肯いた。
「お暇を出されるのですね」
「違う違う」
俺はあわてて言った。
「リズが謝りたいんだとさ」
リズは頭を下げた。
「ごめん。ごめん、イヴリン。そんなつもりで闘技場を見たらって言ったんじゃないの。私が悪かったわ」
「選手登録したのは私自身の選択です。どうか、お気になさらないでください」
イヴリンは礼をした。
「どうして選手登録なんてしたんだ?」
「それは……」
イヴリンはマジックボックスから袋を取り出した。
「何これ?」
「お金です」
開くと、5,000,000ルー近く入っていた。
「こんな大金どうしたの?」
「はじめは賭博場で稼いでいました。私は運Sですし。カードを覚えたり、ルーレットの球の動きを覚えて賭けました。それだけなのですが、いかさま扱いされて出禁になりました」
俺は噴き出した。
「この5,000,000ルーは今日の賞金です。自分に賭けようと思いましたが禁止されたのでこれだけですが」
「いや、これだけって」
一日で5,000,000ルーも稼いできたのか。
主人の俺よりすげーじゃねえか。
「金が必要だったのか?」
「この服の代金を返さないと、と思って。それにケーキ代も」
俺は頭を抱えた。
俺のせいか。
「あれはお前のためにやったことだから、返さなくていいんだ。ああ。ちゃんと説明すればよかった」
「そうでしたか」
イヴリンはぽかんとしていた。
「ではこのお金は、いりませんね」
「ちょっと待った!」
俺は叫んだ。
「それで好きなものを買えばいい。お前のお金だろ」
「好きな物、ですか」
イヴリンは思案顔をした。
「お金を貯めるときに、初めはソロクエストをこなしていました。ただ、あまり能率がよくなくて。それを賭博場で増やしても鎧の腕と足の部分しか買えませんでした。このお金でもっといい鎧を買ってもいいでしょうか」
「いいけど……鎧なんて欲しいのか?」
「というよりは……」
イヴリンは少し躊躇ってから言った。
「マスターについていきたいです。クエストを一緒にしたい。戦う術を身に着けたのはそのためでもあります」
「そ、そうか。でもどうして?」
「……言えません」
「いいじゃない別に。ついてきたいっていうんだから、ついてきてもらえば」
リズは意気揚々とそう言った。
「それに、これでパーティが三人になるのよ。おまけに、イヴリンは前衛職じゃない。私にとっては願ったりかなったりなんだけど」
「そうか、そんなもんかあ」
俺は腕組して考えた。
あれだけの強さを見せつけられて、危ないからなんて理由ではねつけるわけにも行かない。
それに、本人の意思だ。
人間らしい、意思だ。
「わかった。明日、一緒に買いに行こうか」
「はい」
イヴリンが笑った気がした。
その時、リズのブレスレットから声が聞こえてきた。
「リズさん! 助けてください!」
シスターパメラの声だった。