プロローグ 転生
笑い声が聞こえる。
「スキルが〈匂い消去〉と〈味消去〉だってよ」
「料理が下手な方が使うのかしら」
「何もできないリーチにはお似合いだな」
最後に言ったのは兄のマーク・スターリッジだ。
と言っても同い年の兄だ。
それは知識としてわかる。
愛人の息子に過ぎない俺とは比べ物にならない、高価な服を身にまとっている。
俺は今、成人の儀に参加している。
つまり、俺はいま14歳だ。
14歳? 俺は35歳だったはずだ。
教会の一室に貴族たちが集まっている。
俺が触れている水晶には二つのスキルが表示されていた。
〈匂い消去〉と〈味消去〉
「どけよ、無能」
マークが壇上に登ってきて、俺を押しのけた。
俺は壇の上から転げ落ちる。
また笑いが起きる。
マークは後ろを振り返り言った。
「父上、見ていてください」
俺は地面に倒れたままマークの視線を追った。
そこにはスターリッジ伯爵家当主、アイザック・スターリッジが立っていた。
マークが水晶に触れる。
水晶が赤色に輝いた。
「これは素晴らしい。スキル〈炎の斬撃〉。剣と盾を重んじるスターリッジ家にふさわしいスキルですな」
司祭がスキルを告げた。
場内が歓声に包まれる。
「さすがです」
「素敵ですわ」
マークは俺を蔑みの目で一瞬見た後、父のもとへ向かった。
父上は誇らしげにマークを見ていた。
俺が立ち上がると、一人の少女がやってきて、俺の頬にビンタした。
「見損ないました。剣技もできない、魔法も使えない上に、スキルもこんなくだらないものなんて。初めから婚約なんてしなければよかったわ」
俺の許嫁、ビアンカはそう言った。
彼女の後ろからビアンカの父がやってきて告げた。
「君との婚約は破棄させてもらうよ。愛人の子だが腐ってもスターリッジだ。よい関係を期待したがスキルがこれでは……。失望したよ」
ビアンカたちはそう言うと足早に立ち去り、父上のもとに向かった。
父上は彼女たちに深く頭を下げていた。
周りではくすくすと笑い声が起こり、俺のことをじろじろとみている。
父上とマークがともにやってきた。
「ここまで失望させるか、リーチ。お前を家から追放する。といっても、聞こえが悪いのは困る。辺境の地にある別荘を使うがいい。金は自分で稼げ」
そう言って父上は立ち去ろうとした。
何かを思い出したように振り返る。
「ああ、そうだ。今後一切、スターリッジの名を語るな。お前は一族の恥だからな」
◇
俺は今、馬に乗って、辺境の地、ロージリムに向かっている。
ロージリムは街の名で、実際、俺が住むのはそのさらに山奥にある別荘だ。
馬に乗りながら、俺は自分自身のことを思い出していた。
水晶に触れたとき思い出した前世の自分のことだ。
俺は宗仲利一だ。
労働環境真っ黒な会社に勤める35歳。
家にはアンドロイドの家政婦が待っている。
5年前、何かの懸賞で当選して送られてきたアンドロイドだ。
名前はイヴリン。名前を付けるなんて変わってるだろ。
人恋しかったんだよ。
最後の記憶は、ようやく休日だと帰ってきた金曜のこと。
先々週からの連勤と終電間近の残業が続いて体はボロボロだった。
すでに24時を回っていて、土曜になっていた。
俺は玄関に突っ伏してアンドロイドに呼びかけた。
いつもは返事をするイヴリンが、その時返事をしなかった。
なんだよと思いつつ、迫る睡魔に勝てなかった俺はそのまま眠りに落ちた。
それが最後の記憶だった。
夜遅く、目的の家についた。
家には明かりが灯っており、一人のメイドが玄関に立っていた。
「お待ちしておりました、リーチ様。メイドのマリーと申します。この別荘には私ともう一人のメイドが常駐しておりますので、何かございましたら何なりとお申し付けください」
「マリー。来てくれたのか」
彼女は数少ない俺の味方。
俺を邪険に扱わない唯一のメイドだった。
マリーは微笑んで、馬の手綱を受け取った。
「どうぞ中へ。食事の準備が整っています」
別荘の中はきれいに掃除されていた。
食事はパンとスープだけ。
「申し訳ありません。メイドと同じ食事しか用意できませんでした」
「いや、いいんだ。金は自分で稼げって言われてるし。食事を出してくれるだけでありがたいよ」
俺は貴族とは思えないその食事をいそいそと食べると、用意された部屋に向かって、ベッドに突っ伏した。
俺はリーチ・スターリッジ。今はただのリーチ。
スターリッジ伯爵家の、落とし子。愛人の子。
縁切り同然の形でこの辺境の地に追いやられた14歳。
惨めな気分が襲ってきた。
「スターリッジ家伝統の剣技ができない。そのうえスキルまで貧相だ」
父上は俺をそう罵った。
母上が誰かは知らない。俺を生んですぐに死んだらしい。
東方から来た女性だったようで、兄弟の中で俺だけ著しく顔が違う。
俺はしばらく、スターリッジの子供として育てられたが、正妻が俺を嫌い、ろくな教育を受けさせなかった。
まあ、仕方ないことだ。
落とし子なんてそんなもんだ。
結果として、剣技も、わずかな魔法すら習得する機会を失った俺は落ちこぼれになってしまった。
まあ、奴隷として売られなかっただけましだと思う。
父上は優しい人だよ、ほんと。
◇
翌日、目を覚まして部屋をでる。
廊下を歩いていると向こうから、メイドが一人近づいてくる。
マリーと違い、もう一人のメイドは俺を嫌っているのだろうか。
多分そうだろうな。
俺は顔を上げてその顔を見る。
驚く。
「イヴリン?」
表情のない顔。
アンドロイド会社がデフォルトで提供している顔だ。
振り返るほど美人ではないが、愛嬌があって可愛らしい。
本来、アンドロイドは笑顔で対応する。
対して、イヴリンは表情を動かす装置が初期不良で壊れていた。
仕方なく、笑わなくていいと命令したら無表情になってしまった。
今まさにその顔が、俺の目の前を歩いている。
彼女は立ち止まった。
俺の顔をじっと見ている。
「お目覚めですか。リーチ様」
「あ、ああ」
その声も、口の動き方もイヴリンそのものだ。
俺は混乱した。
いや、混乱ははじめからしているが。
「イヴリン、なのか?」
「はい。私の名はイヴリンです」
「俺のことが誰かわかるか?」
「リーチ・スターリッジ様です」
「そうじゃなくて……元の世界の俺を覚えてるか? 俺はもっと老けてただろ?」
イヴリンは俺をじっと見つめた。
わからない、のか?
彼女は黙っている。
何かを考えているのか視線を外して、地面を見た。
俺の頭が狂ってしまったと考えているのかもしれない。
「すまん。なんでもない」
そう言って、イヴリンから離れようとした。
俺は独りぼっちだ。
彼女は振り返る。
「宗仲利一様」
ハッとして振り返った。
依然、彼女は無表情だが、その目には涙が浮かんでいる。
雫が頬を伝った。
「40日間、お待ちしておりました。マスター」
マスター。
自分の名前に様を付けて呼ばれたくなくて、俺が設定した呼び名だ。
イヴリンだ。
彼女は俺に近づいて、俺の手を握った。ただ、そのままどうしたらいいのか分からないように、きょろきょろと視線をさまよわせた。
俺は彼女を抱きしめた。
呼吸が、ゆっくりと漏れていく音がする。
体にはぬくもりがあった。
イヴリンは人間になっていた。