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「すいませーん!!生!おかわりー!」
「あとお水も彼女に一つ、お願いします」
ガヤガヤと賑やかな店内。
金曜日の夜ともあってほぼ満員の店内はとても騒がしい。
オーダーを受けた若い女性店員は苦笑して去っていった。でもその視線だけは凛ではなくもう一方にばかり注がれていたのを見逃してはいない。
凛は注文しておいた焼き鳥にかじりつきながら目の前に座る輝くような金髪に、深い海のような透き通った青い瞳を持つ美青年を睨み付けた。
「…水なんて要らない。まだ全然酔ってないし。今日はお酒しか飲まないから!」
「飲みすぎだよ。あとで辛くなるのはセンパイなんだから」
運ばれてきビールとお水をセシルは受け取り、水の方を凛に差し出す。その際に店員に「ありがとうございます」と微笑みつきで小さく会釈するのも忘れない。
店員は頬を染め上げ、「こ、こちらこそ」と吃りながら去っていった。そんな反応もセシルにしてみれば見慣れた光景だった。
…目の前の、今にも舌打ちをしそうな表情で睨み付ける彼女を除いては。
「……お水は飲まないって言ってるでしょ」
「まあまあ。スッキリするから」
そう言ってぐいっと水の入ったグラスを凛に手渡す。
またしても発動したセシルの強引モードに凛は驚きながらも素直にしたがった。
何故かセシルに反抗できない。
何かに引っ掛かりながらも受け取ったグラスに口をつける。
(…………んん?)
思わず首をかしげた。
ただの水、じゃない。
果実水なのか、どこか柑橘系の香りがするのだが、レモンの香りのような、シトラスのような…決して不快ではないが嗅いだことの無いような香りがした。
「なんかこの水…」
「どう?スッキリした?」
言われてみて気付く。確かに先程よりは視界も思考もスッキリとしたような気がする。
セシルと合流したカフェからセシルの運転でこの居酒屋に移動して、それからずっとビールばかり飲み続けていた凛は、強がってはいたが明らかに酒が回っていた。だがそれを後輩の、しかも車を運転するためにウーロン茶のみで凛に付き合っているセシルの前で醜態を晒すわけにはいかないと、なけなしの先輩魂で酔ったのを隠していた。…実際は全く隠せておらず、顔は赤くなり目もいつもよりトロンとし、言葉遣いも態度もいつもより砕けていたのだが。
「ちょっとは覚めたみたいだね?」
不思議そうにグラスを覗く凛ににこりと微笑んだ。
酔っ払った凛も本当に可愛らしいのだが、セシルはこの凛の姿を見ず知らずのやつらに見せていることに内心苛立っていた。
勿論そんな感情は表に一切出さない。
「なんか果実水?なのかな…美味しい」
「よかったねセンパイ。…でもそろそろ、現実に向き合わないと」
凛はグラスの底ををガンっとテーブルに強く叩きつけた。
幸い割れてはいないようでセシルは小さく息を吐く。若干回りの視線を感じたが、セシルは周囲に大丈夫だと示すように微笑みかけた。
回りの注目の的になるからグラスが割れないでよかった、と思うところだろうがそう思わないところが森崎セシルという人物だ。
万が一割れて凛の手に傷が付いたら大変だった…というのがセシルの本心である。
「……あの写真は、本物、なの?」
凛はうつ向きながらグラスを握りしめた。
前髪で隠れてしまって、その表情は窺い知れない。
「そう、だね。僕もこの目で実際に見てるし」
「……」
「ごめんね、センパイ。…知りたくなったよね。でも、センパイは知らなくちゃいけないって、勝手だけど思ったんだ」
セシルは前髪で見えない凛の顔を見つめた。
とても酷な事を伝えているのは分かっている。だけど、だからこそ凛には知って、そして……
(ダメだ、まだ)
セシルは口許を片手で隠す。
幸い凛にはその表情は見られていない事に、セシルは息を吐いた。
「…ねえ、センパイ」
口許を覆っていた手で頬杖をつき、もう片手で向かいに座る凛の長い栗色の髪に触れる。
凛はピクリと反応を示したが拒絶はしない。
セシルは笑みを深くし、指先で凛の髪をくるくるといじる。
…先程の店員の鋭い視線を感じるがセシルは無視をした。
「センパイはさ、どうしたい?」
「……どうって」
「復讐するの?」
凛はハッと顔をあげ、セシルの深い青の瞳と凛の黒の瞳がかち合う。
「それとも、仲直りできるように頑張るの?」
「それ、は………」
凛は表情が歪むのがわかった。
凛は両手を強く握りしめる。ここで泣いたら先輩としての立場がなくなる。
只でさえ全く先輩として敬われていないのに、ここで泣き出したらもう先輩としての尊厳もプライドも地に落ちる。それはとても避けたいことだった。
凛はテーブルにある先程自分が注文したビールを見つけると、それを掴み勢いよく飲み干した。
「え、ちょ、センパイ?」
「っぷはぁ、のんだぁ!!」
凛はまたもグラスを強くテーブルに叩きつけると席をたった。
「すみませーん!会計おねがいしまーす!」
「え?!センパイ?!」
「場所を変えない?セシル君」
先程のセシルに頬を染めていた店員が、怪訝な表情で伝票を持ってきた。
なんなんだこの女は、と表情にありありと浮かんでいる。
凛はその店員をチラリと見やったあと、セシルに向けて手を差し出した。
「行きたいところがあるの」
セシルはハッとし、立ち上がった凛の目を見つめた。物凄く、熱の籠った瞳で。
そんなセシルと凛に挟まれた店員も勿論混乱しているが、チラチラとセシルを見ては
こんな女のどこがいいの、とまたもや表情に出ていた。
それを確認してから凛はにっこりとセシルに微笑んだ。
「…エスコート、してくれるんでしょう?」
その言葉を聞いてセシルはスッと立ち上がり、溶けるように甘い満面の笑みで凛の手を取り、指先に口付ける。
「ええ。勿論。僕のお姫様」
「うっ!」
「きゃっ!」
ざわざわっ!とどよめきが起こる。
セシルの笑顔と台詞とで、言われた凛にも勿論ダメージを食らい顔を一瞬しかめた。が、凛とセシルの間にいた店員にも相当なダメージを負ったらしく、顔を両手で押さえ頬は上気し視線が右往左往している。
…一部始終を見ていた他の客にも差はあるがダメージを負わせたセシルの笑顔は計り知れないものだったらしい。
(煽りすぎた!!!)
凛は物凄く後悔していたが、ここまで来たらあとには引けない。
凛は女優になることにした。
まだ顔を赤く挙動不審になっている店員に優雅に支払いをし、見惚れるような笑顔で華麗にエスコートをし出口まで促すセシルを、誇らしげな表情で見つめながら、凛は店の外へと出た。
改めて外側から店の外観を眺める。
そこはお洒落なイタリアンのお店でも、フレンチのお店でもなく、“安くて美味しい大衆酒場”の外観である。決して、誰からも注目を浴びるようなエスコートをされながら退店するような店ではない。
(もうこの店には二度と来れない)
酔った勢いって恐ろしい。
黒歴史を作ってしまった。