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「おい、聞いてるのか?」
顔をあげるとギルバートがムッとした表情で凛を睨んでいた。
「えと、ごめん。なんだっけ?」
「………お前は…ハァ…。少なからずお前も関係する話なんだから、もう少し興味を持て」
「ご、ごめん?」
てへっと小首を傾げるもギルバートは気持ち悪いものを見たような顔をする。失礼な。
「興味を持てって言われても、その時みたいに殺気っていうか…絶対殺す!的な言葉を言われるのは初めてじゃなかったしねぇ。リスティアのお城では結構頻繁にあったことだし。そうやって言葉で脅されるのは割りと慣れてしまっていたというか…。毒殺されかけた時の方が精神的にダメージあったから、それに比べれば全然」
「それは、なんというか…悲惨だな…」
「悲惨なんですよ」
痛ましい。という表情でギルバートは拳を握る。なんだか凛はそれを微笑ましく感じた。
「フェンデロ君は、今とか全然普通に感じるよ?」
「普通、ではないな。見てると意味もなくイライラするし、こうやってお前と会話してることにも理由のない怒りを感じる。…でもまあ、ある程度は訓練してきたからな」
「訓練?」
「先程の話の続きになるが、俺が陛下の怒りを買って城の牢獄に転移させられた時、ディトリ宰相が来て俺に言ったんだ。“リン・イズミの護衛騎士にならないか”と」
「え?!」
初耳だ。
思わず立ち上がった凛にギルバートはビクゥッ!と大袈裟に体を揺らした。
「お、俺が…陛下の怒気に当てられても、それでも意見したことが陛下は気に入ってくださったらしい。それで、護衛騎士にならないかと声をかけて頂いたんだ」
あの時…確かルーク・ディトリは、ギルバートを魔法で転移する直前に凛に「良かったですね」と呟いた。その時は意味がわからなかったし、「おまえのせいでこんな惨事を招いて兵士一人処分することになって良かったな」というイヤミか何かかとも思ったが、成る程。凛の味方になり得る騎士をスカウトしていたのか。それで“良かったですね”なのか。
「俺は獄中で考えた。…獄中っても犯罪者とかが入る牢獄とは違って三食食事付きのベッドも洗面所も付いてる綺麗なところだが…そこでゆっくり考えてくれと言われてな。ただの兵士から王国騎士になったばっかの俺が、急に陛下の婚約者の護衛騎士なんて、普通に考えれば大出世だ。けど、なぁ…」
「その護衛対象が黒目魔力なしだからねえ…」
自分で言っといて遠い目になる。ギルバートには御愁傷様としか言いようがない。
せっかく尊敬する国王に声をかけていただいたのに、それが嫌われ者の婚約者の護衛だなんて、相当ショックだろうに。
「陛下は、俺が断っても構わないと言っていたし、罰はない。いままで通りの王国騎士に戻ってもらっていいともな。呪われた黒目の魔女の護衛なんてやってたら、俺もなんて言われるか分からないし、なにより嫌われ過ぎて敵が多すぎる。相当な負担があるだろうってな。ディトリ宰相もあまりお薦めできる任務じゃないって言ってたし」
「ソウデスヨネ…」
ハハハと乾いた笑いが出た。
百害あって一理なしとはこの事じゃないか。自分だったら、どんなに報酬が良くてオイシイ話でもリスクがありすぎて断る案件だ。
でも、だからこそ、いま目の前に“護衛騎士”として座っている彼が不思議で。
「いろいろ考えたよ。…史上最年少で王国騎士に合格して、すんげー嬉しかったこと思い出して。俺が憧れるリスティア国王陛下に一歩近付けたこと、街の皆が、口々に褒め称える王国騎士の一員になれたこと、そこでまた一層強くなって、リスティア国をもっと良くしていくんだってな。…まぁ実際はさ、俺みたいな十代そこらの若造なんて、歓迎されるどころかナメられてこき使われて…先輩方の、いいストレスの捌け口になってたわけだよな」
赤茶色の髪が風に揺れる。あまり良い内容の話ではないが、ギルバートの表情には怒りも悲しみも無い。ぼんやりと凛の背後にある黄泉の森の方を見つめる彼の目には、尊敬してやまない国王の治める遠い祖国が見えているように感じた。
「先輩方から見たら、俺の存在は面白くないわな。貴族といっても底辺の、それも三男だ。価値なんて無いに等しいヤツが、ポッと出てきて注目浴びて。だから…まあ、多少は腹が立ったけど、耐えるしかないかって。んで、俺は絶対こうはならないって誓った。実力で追い抜いて、認めさせるんだって。王国騎士として恥のない、誇り高い騎士になって…ゆくゆくはリスティア王の護衛騎士になってやるんだって」
ぼんやりとしていた瞳に光が灯りキラキラした明るい茶色の瞳を凛に向ける。
凛の事を見ている筈なのに、今までのような怒りや恐れの表情はなく、未来の自分の姿を思い浮かべているのだろう。彼は自信に満ちた笑顔を浮かべた。
(大きくなるわ。この子)
歪んだ感情が見えない。凛は素直に感心した。
こんなに若いのだから、もっと不平不満を訴えてもいいのに。理不尽さを嘆いて、哀れな自分の立場に酔ったっていい。でも、彼はそうしない。彼が語ったことはそう遠くない未来に現実になるのだろう。努力と実力で、無能な先輩達を追い落としていくんだろう。そして後輩は、そんなギルバートの背を見て育つ。
なんて素晴らしい。こんな子が新卒で入ってきてくれたらその年はアタリだったと思う。キッチリ教育すれば素晴らしいキャリアを積むだろう。教育係の凛としては是非とも後輩にほしい人材である。
「その日も俺は非番だったんだが、先輩が無理矢理代われって言ってきてな。転移門守衛なんて下っ端のやる仕事だとか言ってな。仮にも国境を守る仕事なのにふざけたこと言ってんな、とは思ったがいい機会だし勤務してたら…幸か不幸か、お前に会って…今に至るわけだな」
「あなたの先輩ちょっとタチ悪すぎない?」
ギルバートはズズッとアイスティーを飲みながらなんてことないように話すが、凛は怒りに震えた。こんな若さで先輩にこき使われて休日出勤なんてドンだけブラックなんだ王国騎士よ。国王に告げ口してやろうか。
そんな凛の怒りには全く気づかず、ギルバートはニヤリと嫌な笑みを浮かべた。
「そんな先輩達から聞いたんだが…知ってるか?リン・イズミは巷だと“暗黒の死神”とか“呪われし黒姫”だとか、“黒の瞳を見ると不幸が訪れる”とか言われてる反面、“精霊王の再来”とか“救世の女神”、“正しき者を照らす道標”とか言われてんだぞ?笑えるよな」
「えええぇ……」
頭を抱える。
後半の無理やり感のあるヤツはきっとセシル達が流したものだ。印象操作しようとして失敗してる。
精霊王やら女神やらを信じてしまった可哀想な人が少なからずいるのだろうか。
「そんな噂の耐えないリスティア国王陛下の婚約者が俺の目の前に現れて…俺は自分の感情が怒りに染められてくのを抑えられなかった。そんなこと、騎士になって初めてだったな。それと同時に疑問も浮かんだんだ“何故だ?”ってな」
疲れたのか、フゥと息を吐いて深く腰掛けたギルバートは気だるげに凛を見た。なんだかその仕草が妙に色っぽくて不覚にもドキッとしてしまう。よくよく見たら、彼はとても顔立ちが整っている。サッパリとした短髪に明るい金に近い茶色の瞳。爽やかそのものだ。オマケに性格はチームをまとめて引っ張っていくような、明るくてリーダー向きで。クラスで一番の人気者になるタイプだろう。
これが十代の頃で、こうして二人きりで見つめあったりしたならば、若かりし頃の凛なら恋に落ちていた………かどうかは怪しいが、女子は大抵惚れてしまうだろうな、と思った。
「不思議だった。騎士としていろんな訓練をしてきた中で感情のコントロールだって身に付けたし、先輩に喧嘩売られたって苛立ちもしなかったのに…お前と目が合った瞬間、強烈な怒りと恐怖に囚われた。でもお前が目の前からいなくなったら、一気にその感情は萎んで自分が何をあんなに怒っていたのか、恐れていたのか。分からなくなったんだ。コレが噂で聞いてた“世界の拒絶反応”なんだと理解はしたが…納得できなかった。そんなことに翻弄されているようじゃ、陛下の騎士なんて夢のまた夢だ。だから、お前にもう一度接触できるならと護衛騎士の話を受け入れた」
「そうだったんだ…」
「だが、ただ普通に受け入れた訳じゃない。条件をつけたんだ。“リン・イズミがなんらかの方法で俺に勝つことが出来たら”護衛騎士になるってな」
「勝つ?」
なんかしただろうか。
コテンと首を傾げた凛にギルバートは物凄く呆れた表情だ。慌てて記憶を遡る。
「あー…っと。もしかして………リカードでのスピード勝負のこと?」
そうだと頷くと彼は疲れたように背もたれにもたれ掛かる。
あの時、リカード紹介の時の対戦相手を選んだのは講師のスヴェンだ。
ギルバートが目についたから偶々選んだように見えたが、初めからギルバートを対戦相手にすることが決まっていたのだろう。そしてそうなるよう根回しをしたのがルーク・ディトリ。
ギルバートの護衛騎士になる条件を満たすための場としては最適だったと思う。
ただ、彼は選ばれたとき物凄く驚いていたから恐らく知らされていなかったのだろう。
(じゃあ、二回戦目のババ抜きでロールスさんが選ばれたのも、何かしらの理由があるのかな)
エドワードが選ばれたのは、おそらく凛の感情を落ち着かせ、攻撃的になるギルバートとアイシャ・ロールスのブレーキ役だろう。
アイシャ・ロールスは凛と同じクラスなために、目が合うと憎々しげに睨まれるし、なにもしていないのにアイシャの席から恐ろしいくらいの視線を感じるときがある。が、呼び出されたり嫌がらせをされたり等は無く、時々アイシャの取り巻き達にチクチクとイヤミを言われるくらいで実害はない。
ギルバートがそうだったように、きっと彼女が選ばれたことにもなんらかの理由がある筈だ
遠くの方で鐘の音が聞こえる。午後の授業が終わったのだろう。歴史の授業を丸々サボってしまった。たが、悪くない収穫だったんじゃないか。ギルバートが何故凛の護衛騎士になるなんて言い出したのか確かに疑問であったし、それにアイシャ・ロールスも気になる。嫌々ながら“アナタを守ってあげる”と言っていたのを思い出す。
カタンと音がして顔をあげるとギルバートが立ち上がっていた。
「ホラ、いらしたぞ」
顎でくいっと指した方を見ると、ローゼリアがこちらに走ってくるところだった。
「本当に…リン様がサボっていらっしゃるっ…!!」
驚愕したように見開かれた水色の瞳がまぶしい。品行方正なローゼリアからしたら、サボるなんて言語道断だろう。申し訳なくて目をそらす。
「え、へへ…ゆっくりしてたら授業に間に合わなくて」
「驚きましたわ。リン様をお迎えに教室まで行きましたら、ディトリ先生に来ていないと言われて…」
「ごめん…。先生、怒ってた?」
「安心してくださいませ、リン様。ディトリ先生が、リン様を生徒指導室に連れてくるようにと言われておりますので。怒っているかどうかは、そこで確認できますわ」
にーっこりと微笑んだローゼリアが恐ろしい。そしてニヤニヤとこちらを見ているギルバートが恨めしい。
「そうそう。フェンデロ卿も呼び出されておりますので仲良く一緒にお連れしますね」
今度はギルバートが小刻みに震えだした。道連れが出来たことに思わずニヤつくとキッと睨まれる。
「こ、この!黒の魔女!お前のせいで俺まで…」
「サボったのは貴方の意思でしょう?リン様のせいではありませんわ。ささっ!行きますわよ」
真っ白な生徒会用の制服を翻しズンズン前を歩くローゼリアに小走りで追い付く。後ろではギルバートが肩を落としトボトボと着いてきていた。
「ご、ごめん。ロゼ。サボるのは良くないよね…軽蔑した?」
「まさか!軽蔑なんてしませんわ。たしかに、あそこのガゼボは居心地はとても良いですが校舎から離れていて教室まで戻るのに時間がかかりますもの。リン様もわざとではないようですしディトリ先生も、事情を説明すればわかっていただけると思います」
「そっかあ」
「ただ…」
正面を見据えたまま歩くローゼリアが、少し悲しげにうつ向いた。
「…少し、うらやましいなと思って」
とても小さく呟かれた言葉が、凛にはとても苦しそうに聞こえた。