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多忙によりなかなかできませんでした。
遅くなると思いますが、一人でも見てくれている方がいるかぎり、頑張ってみようと思います
「凛」
ポンと肩が叩かれると同時に全身から一気に力が抜け、グラリと身体が傾く。床に倒れこむ直前、ふわりと何かに包まれたかと思うと、今度は視界に鮮やかな金と深い蒼がうつった。それは、にこりと凛に微笑む。
何が起きたのか、理解できない。
先程までの全身が凍るなような緊張は消え失せた。 けれど、体は恐怖を思い出したかのようにガタガタと震え、止まっていた呼吸は酸素をもとめ荒く、心臓はバクバクとうるさいほど鳴る。
夢だったのかとさえ思う。突然に現れた、この男の存在も。
「…セシ、ル、くん」
「うん。もう大丈夫。ゆっくり呼吸して」
小さく「吸ってー吐いてー」と指示される通りにしていると、ようやく朧気だった思考が冴えてきた。呼吸が整い、震えも止まるとようやく全身の緊張が解かれホッと息を吐く。とすると、周囲の状況がようやく飲み込めた。
辺りは騒然としていた。それもそうだ。一国の王が突然学院の廊下に現れたのだ。叫びだす者、唖然とする者、気絶する者…反応は様々だが、概ね理解が出来る。けれど凛は、自分がいま置かれている状況に理解が追い付かない。目線が高い。セシルの顔が異様に近い。そしてなにより、セシルに抱え込まれて自分の足で立っていない。
いわゆるこれは、お姫様抱っこ状態だ。
「………えーっと、セシル君ー?何がどうしてこうなったのか、全く理解できないんだけど、とりあえず下ろしてくれる?」
「それは嫌だな。久しぶりに会えたんだし、もうしばらくこうしていさせて?…僕の婚約者殿?」
にーっこりと、鼻がくっつきそうなほどの至近距離で微笑まれた凛は思わず「うぐっ」と言葉に詰まる。
久しぶりに目の当たりにしたセシルは、悔しいがやっぱりイケメンで。そんなセシルを見た他の女子生徒が遠くの方で叫ぶのが聞こえ、嫉妬の眼差しが至るところからビシバシと自分に注がれるのもツラいが、言葉に詰まったのはそれが原因ではない。
セシルはとても優しく、温かく自分を見つめている。それはいつもどおりのはずなのに、いつもと違って瞳の蒼が濃く冷たく感じるのだ。…そう、凄く。
(お、怒ってる…?)
「…その辺りでおよしになってください。リスティア陛下」
「さすが闇の王!我らがリスティア国王様だぜ…!」
凛の背中側から聞こえた声にびくりと身体が揺れる。振り向かなくてもわかる。それはつい先程まで聞いていた、炎を思わせる赤い髪が特徴的な女性の声と、凛との勝負で打ち負かされたあの騎士で。
「はあ…わかったよ。じゃあ治癒を頼めるかな。ロールス嬢。フェンデロ卿は、凛の近くに」
「かしこまりましたわ」
「仰せのままに!」
そっと地に下ろされるも腰はセシルに支えられ、ぴったりと寄り添い、離れようとぐいぐいと押してみるもびくともせず、にっこり微笑まれる。
「ごめんね、凛。僕は回復魔法は使えないんだ。だから、そちらの魔法に優れてるロールス嬢に治してもらおうと思って連れてきたんだ。フェンデロ卿は護衛だよ」
「あ…そうなの?でも私、どこも怪我してないけど…」
「大人しく手をだしなさいな。さっさと済ませますわよ」
そう言ってアイシャがそっと凛の手に触れると、そこからじんわりと体全体に暖かなものが巡るように感じ、体が心なしか軽く感じる。これが、治癒の魔法かと感動した。
「あ、ありがとうございます、ロールスさん…なんだか、軽くなりました」
「こんなもの、朝メシ前ですわ。…賭けで負けたんですもの。約束どおり愚図で鈍間なアナタを助けて差し上げますわ。この、ワタクシが!」
キッと睨み付けるのを忘れない。目力が凄いのだ。「なんか、すみません」と苦笑するしかない。
「じゃあいこうか、凛。みんな待ってるよ」
「え?みんな?」
「そう。ティータイムを皆で過ごそうって、ローゼリアが。いつものガゼボで待ってるって…どこだか分かる?」
「あー、うん。わかる、けどさ…」
そこで凛は、唖然と立ち尽くすレミリアをちらりと見た。よほど驚いたのだろう。セシルを見たまま固まっている。
「さあ、凛。行こう」
「あ、ちょっと待っ…」
「待ってください!セシル陛下!!」
勇気をだしたのだろう。
体はカタカタと小刻みに震え、瞳は今にも涙が零れそうなほど潤ませ、顔はうっすらと紅潮して…レミリアは一歩凛たちの方へ踏み出した。
その恥じらった様子と小動物を思わせる仕草が凛はたまらずキュンとした。
(なにこの圧倒的なヒロイン感…?!可愛い!可愛すぎでしょ!!ねえ!そう思うよねセシル君…!)
声は出さずとも目線だけでわかると思った。きっと、セシルも納得の可愛さだから。「そうだね。可愛らしい人だね」とか、同意してくれるだろうと。
そう思ってセシルを見たが、凛は思わず固まった。
彼は…全く、レミリアを見ていなかった。
見ていないどころが、視界にも入れていない。彼は相変わらずニコニコと、凛だけを見つめていた。
「どうしたの?凛」
「どうって…」
「あ、あのセシル様っ…」
もう一歩、レミリアが踏み出した所で鮮やかな赤と、夕日に似た赤茶色の髪がさらりと揺れると凛とレミリアを隔てるように立ち塞がった。
「これ以上近づくことは許さん」
「っ!」
ギルバートの怒気を孕んだ声に、レミリアはビクリと肩を揺らす。腰の剣に添えられた手がいつでも抜ける状態であり、空気が緊迫したものになる。
「そんな、わたしは、」
「下がりなさい。レミリア・デーン。下の者から声をかけるなんて…ましてや、この方が誰かと分かっていながらの所業。同じ貴族として恥ずかしいですわ」
「…そんな…ひどい…」
堪えきれずポロポロと涙を流し、胸の前で祈るように組まれた手が小刻みに震える。若草色の瞳がチラチラとセシルを見て…助けを、求めているのだろう。
凛にも、どうしてこうなったのか。そして立ちはだかるように凛の前に立つ二人が、どうしてそこまでレミリアに対して怒っているのか分からない。
この空気をどうにか出来るのは、相変わらずぴったりと凛に寄り添うように立つ一国の最高権力者だけで。泣いているレミリアがあまりにも可哀想で…助けてあげてと意味をこめてパッとセシルを見上げる。
「凛?」
「…………」
絶句した。彼はやはり凛しか見つめていなかった。
視線が合うと、小首を傾げてニコニコと「どうかしたの?」なんて聞いてくる。
「…行きましょう。リスティア陛下。姫様がお待ちですわ」
「さあ、行こう。凛」
「え、あ」
腰に添えられた手が、やんわりと、でも拒むことを許さない強さで押さえられ凛は仕方なく従った。
廊下にたくさんいた生徒は割れるように端により、頭を直角に下げる。その中心をギルバートを先導してぞろぞろと進む凛は…非常に居心地が悪い。そして…一人取り残されたレミリアを見るのが怖くて、振り向けなかった。