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(行ってしまわれた…だが、これで良いのだろう…)
騎士や魔法師、はたまたメイドや執事たちが深夜にもかかわらず右往左往する混乱した城内。
彼らは口々に叫ぶ。
「我らが王が拐われた!」「王の身に危機が!」「あの異形の魔女の仕業だ…」「おい誰か、早く陛下を!」「あの女を捕まえて処刑を!」
そんな騎士たちを一瞥すると彼…宰相、ルーク・ディトリは大きな溜め息を吐いた。
「貴方達…先程の陛下がなんと言っていたか、忘れたのですか?陛下の御意志で出ていかれたのですよ」
騒いでいた騎士達は一斉に声のした方、ルークへと向いた。
「宰相様!何故陛下をお止めにならなかったのです?!貴方が陛下のブレーキ役ではないですか!」
「陛下はあの女に惑わされているのです!宰相殿も、そう仰っていたでしょう?!」
「………そう、でしたね」
痛いところを突かれて、ルークは項垂れた。
その通り。まさしくその通りなのである。
(私も、こう…彼等のようになっていたのですね…)
バタバタと慌ただしく部屋から出ていく兵士を見ながら一人残されたルークは、ソファやテーブルがなぎ倒され荒れに荒れた凛の部屋をくるりと見回した後、はぁっとまたも大きく溜め息を吐いた
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「ルークはどちらに転ぶのかな」
大きな執務室の、これまた大きな机に頬杖をつき、こちらを見ながらにっこりと微笑む…魔王セシル。巷では天使だなんだと騒がれるこの笑顔に何ら感情が込められていない事など、長い付き合いであるルークにはお見通しだった。
彼が異界に旅立ってから早数年。久方ぶりに再会した彼は相変わらず感情の読めない微笑みをこちらに向けてきた。
「セシル陛下…突然何なのですか。というか、帰還の知らせもなく突然帰ってこられて、城がどれ程混乱したかお分かりですか?!しかも、婚約者とか…!」
「ちょっと忙しくてね。でも、ちゃんと連れ帰ってこれたよ。…少し強引にだけれど」
「…一緒に黄泉の森から出てこられた女性ですか」
「そう。名はリン・イズミ。彼女は明るくて前向きで…礼儀正しいし、しっかりした女性だから心配要らないよ。彼女はね……」
相変わらずニコニコと微笑みながら凛のこれまでのことをざっと話すセシルだが、凛の話をするときだけ目がふっと優しくなる。その事に驚きを感じてはいたが表には出さず、ルークはそのまま会話を続ける事にした。
「…成る程。その女性の大体の事情は把握しました。…ですがその女性、あまり良い報告は入ってきていません」
「そうみたいだね」
ニコッと、またも感情の消えた目で続きを促され、ルークはため息混じりに伝えた。
…異界からやってきた正体不明の女。リン・イズミ。魔王セシルが婚約者だと連れてきたその女は、黒目で魔力がない。まるで死人のようなその女は薄気味悪く愛想の欠片もない。近くにいるだけで周囲に嫌悪感を感じさせる、陛下のそばに居てはならない者。排除すべき存在…
それが、リン・イズミを見た者達から得た報告だった。
「ルークはどう思う?」
「私はまだその女性に会ったことが無いのでなんとも。…ただ、報告したもの達は全員がただ“見た”だけで会話などはしていません。初見でそこまで人に…しかも全員に悪感情を抱かせることなど可能なのでしょうか」
「可能みたいだよ。…本当に、忌々しいね」
セシルは座っていた椅子に深く腰かけるとくるりと向きを変え、背後にある窓から濃紺に変わりつつあるを夕空を見上げた。
「多少の反応があることは理解していたんだけれどね。まさかここまでだとは思わなかったよ。…凛に悪いことをしてしまった」
「この世界の拒絶反応…でしたか。ですが、陛下は特に影響は受けていないのでしょう?でしたら、他にも影響の少ない者も居るのでは?」
「君はどうだろうね?」
こちらに向き直ったセシルに、先程のような嘘臭い笑顔はない。ただ、無表情でこちらを見つめる深い蒼にルークは思わず背筋が延びた。
「…私も自信があります。そもそも、か弱い女性に対して粗暴な振る舞いなど出来る筈もありませんし。もし私にこの世界の影響が出てしまったら、既に私の自由意思は消滅し、この世界の操り人形となっていることでしょう。…切り捨てていただいて構いません」
深く頭を下げると暫くしてセシルから「そう」という小さな声が聞こえ、ルークは顔をあげた。
「では、ルークに助言を。…強く違和感を感じたのなら、もう一方の感情にしっかりと目を向けなさい。そして常に知ろうとすることだ。」
以上だよ。とにこりと微笑んだセシルは手元の書類の束に目をやると溜まっていた仕事の処理を始め、ルークは深く頭を下げると執務室を後にした。
セシルからの“助言”なんて、彼に仕えてから初めて言われたことだ。それだけ、自分がこの世界の影響を受けないことを期待されていると感じ、ルークは決意を新たにした。
そんなときに報告されたのだ。
“リン・イズミの食事に毒が盛られた”と
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凛の部屋を出ると、二人のメイド…凛専属であるルナとメアリが控えていた。
「宰相様。リン様の新しいお部屋は上階の我らが主のお側で整えてあります」
「こ、こちらのお部屋は私たちが処理しますので…えと、宰相様はどうか、出来ることを…」
「…ありがとうございます」
ルークはホッと息をついた。
なんだか久しぶりにまともに会話が出来る人に出会ったような、同じ感情を共有出来る人に出会ったような、そんな安心感を感じた。
「貴女達は…大丈夫なのですか」
何が、と言わなくても通じるだろう。
ルナとメアリは、お互い目配せしあうと小さく首を振った。
「だ、大丈夫、ではない、ですっ…やっぱりリン様の黒の瞳が、お、恐ろしくって震えてしまうんです…お客様にこんな失礼なこと、絶対にしませんでしたのに…」
「私も同じです。リン様はとても気遣いの出来るお優しい方。…そう分かっているのに、いざ目の前にすると何故か怒りや猜疑心に駆られてしまう…我らが主から事情は伺っておりますが、なんとも…」
そこまでルナが言うと、自然と三人の目が合い、同時に項垂れ、ハァというため息を吐いた。
「「「変な世界ですね…」」」