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「我らが王、セシル陛下を拉致、監禁などをして、ただで済むとお思いですか?極刑を免れません。御覚悟ください」
宰相の青年、ルークはそう吐き捨てると腰に携えた剣に手をかけた。
「は…え?らち…?」
「惚けても無駄ですよ。此処にいる騎士や魔法師全員が証人です」
「ま、まって!何のこと?!」
「私がどれだけ必死に陛下を探したか、貴女にはお分かりにならないでしょうね。どんなに城内を探しても見つからず、もしやと思い此方に来たら陛下の魔力を感じ、犯人は貴女だと確信しました。一体どんな魔法を使って…っと、失礼。貴女には魔力が無いのでしたね」
クスッと嫌な笑いかたをするルークと、それと同じように背後にいる騎士たちもバカにしたように笑い始める。
凛も流石にイラッときたので何か言い返してやろうと一歩前に出ようとしたとき、ぐっと腰を押さえる手に力が込められ、凛はそこでもう一人の存在を思い出した
「…僕の婚約者に、随分な言いようだね。ルーク・ディトリ」
シン…と、部屋が一瞬で静まり返る。
凛はまたもや背中にヒヤリとするものを感じ、隣に佇むセシルを見上げた。
(ひいっ!)
ゾワリと、鳥肌がたつのを感じた。
怒っている。物凄く。
セシルとはそれなりに長い付き合いだが怒っているところなんて見たこともなく、いつもニコニコと暖かい微笑みを携えていた彼からは想像できないような、冷たい目をして前方を…ルークを見据えていた。
気のせいかもしれないが、セシルの周りの空気だけが黒く淀んでいるようにも見える。
ふと、会社の同期の美保が言っていたことを思い出した。
『凛!見て!このセシル様!休憩時間に盗撮しちゃった!もう、超~~~かっこよく撮れたの~!!!』
『美保…仕事してよ…』
『ほら見て!このコーヒー片手に空を見上げながら微笑むセシル様…!素敵!素敵すぎる!天使よ!』
『いやもう、これ絶対撮られてることに気付いてるでしょ。こんな写真集みたいなポーズしないでしょ普通』
『きっとセシル様は、天使なんだわ。訳あってこの混沌とした現代社会に堕ちてしまった憐れな天使…それでもいつか空に還ることを夢見て今を生き、そして私たち疲れきった社会人を癒すために日々笑顔を振り撒いてくださる…!あぁ!天使セシル様!!』
(…天使はこんな黒いオーラは出さないわ)
確かに見た目こそ金髪で碧眼で…王子だと騒がれていたが美保のように熱狂的なファンは彼を天使だと称えていた。
そんな天使ことセシルは片膝をついて頭を垂れ、震えているルークを無表情で見つめている。
「も、申し訳ありません!セシル陛下!…私は一体…何を…」
ルークが謝罪したことにより、周りの騎士や魔法師が口々に抗議した。
「セシル陛下!ディトリ宰相は何も悪くありません!全てはそこの異界の女が悪いのです!」
「そうですぞ陛下!早くこちらへ…!貴方様はその異形に騙されておられなのです!婚約者などど…おぞましい!我らが王が汚されてしまいますぞ!」
(言いたい放題ね)
変わらず向けられる憎悪と殺意の瞳に言葉の刃。凛は小さく溜め息を吐いた。
繋がれている手に軽く力が込められ、気にするなと言われている気がして、凛は困ったように微笑んだ。
「…」
セシルはチラリと騎士や魔法師に視線をやると、またルークに戻した。
ルークは相変わらず震え、俯いている。
「ルーク。僕の助言は、覚えている?」
「はい。勿論です」
「…そう。顔をあげて。ルーク」
セシルに言われ、ゆっくりと顔をあげたルークは、顔を歪め今にも泣きそうな表情をしていた…が、凛と目が合うと「チッ!」という舌打ちと同時に思い切り顔を背けた。
(…うーん、キレていいかな?)
騎士たちの言われようとルークの明らかな態度の差にさすがの凛も苛立ちを隠せなかった。
怒りのあまり笑顔全開になった凛をみた騎士たちが一歩後ずさる。
「…ルーク。本来の君ならこんな簡単なこと分かる筈だ。何故僕が防御魔法を使ったのか。何故凛と共にいるのか」
「分かっているのです!…でも、頭では理解していても、心が、魂が、それを認めないのです…っですが!!」
ルークは勢いよく立ち上がると腰に携えていた剣を放り投げ凛の目の前まで来ると腰をきっちり折り頭を下げた。
凛は突然のことに驚き、思わずセシルにしがみついた。
「へ」
「…リン・イズミ様。数々の無礼、大変申し訳御座いません。…我らが王より、貴女様のことは伺っております。どうか、この城で貴女様が心地よく、永遠にお過ごしいただけますよう微力ながらお支えしていく次第です。…そして」
ゆっくりと顔をあげると凛の黒い瞳とルークの空を溶かしたような水色の瞳がかち合う。
「貴女のことを、少しづつ知っていけたらと思っております。…この世界の力に当てられて、無様な姿を晒した後なので説得力に欠けますが」
「…」
凛はじっと、水色の瞳を見つめた。
それは初めて会ったときと同じように怒りや恐れはなく、震えてもいない。
(嘘じゃない。ただ…)
凛はふと視線を下げると彼の握りしめた手…力を入れすぎて震え、白い手袋からうっすらと出来た赤い血のシミを見つめた。
「…うん、でもまあ…宜しくお願いします。…サツマイモ君」
一瞬キョトンとしたルークは言葉の意味に気づくと困ったように微笑んだ。
「…今は、それで構いません」
「ふふっ」
笑みをこぼした凛を見て、セシルも肩の力を抜いた。
「…まあ、及第点かな。じゃあルーク、少し出てくるよ」
「畏まりました。ではその間にイズミ様のお部屋を整えておきます」
「うん。宜しくね。じゃあ凛」
なに?と返事をする間も無くふわりと抱えあげられた凛は思わずセシルの首に抱きついた
「ちょ、セシル君?!?!」
「見せたいものがあるって言ったでしょう?今からいこう」
「へっ?!…っ!!!」
セシルはテラスの手すりに足をかけるとそのままふわりと飛び降り、凛は突然の浮遊感にセシルの首にさらにしがみつき、ギュッと目をつむった。
部屋から、「何てことを!」「陛下ー?!」「あの異形の女め!陛下を唆して逃げ出しおった!」「追え、追えー!」という阿鼻叫喚の嵐も凛の耳には入らなかった。